本部に戻った僕たちを待っていたのは、「特機隊の恥さらし」という汚名であった。
民間人に負傷者を出しながら、むざむざ暴走ロボカーを取り逃がしたことが幹部の逆鱗に触れたのだ。
「まったく、高価な装備を与えられておきながら」
「一晩掛かって何をやっとったのかね」
「これで航空隊のヘリに美味しいところを持っていかれてしまう」
散々な評価であるが、事実だから反論の余地はない。
昨夜のヒーローは、一夜にして汚物に転落したらしい。
なにとぞ名誉挽回のチャンスをと願ったが、幹部たちの返答はつれないものだった。
「恥の上塗りは隊の名誉に関わるから」
「君たちにはこの任務から外れてもらうよ」
「当分の間、機動捜査は禁止する」
彼らにしてみれば、ロボコップ計画を進めた都知事をいたぶる絶好の機会だ。
僕たちに汚名返上させる訳にはいかないのだろう。
直ぐにもシズカに役立たずの烙印を押し、都知事に全責任を擦り付ける腹づもりなのだ。
白河法子知事に恩義があるわけじゃないが、このままで済ませてはシズカが可哀相だ。
アンドロイド故に表面には出さないが、敵を取り逃がしたことで彼女のプライドは深く傷ついているだろうから。
落ち込んでいる女の子を慰めるのは、やはり主役の義務であろう。
どんな手を使ってでも、リターンマッチのリングに上げてやらなくては。
と言ってRX9を取り上げられては、あのロボカーには太刀打ちできない。
徒手空拳の僕に何ができるか、懸命に考えてみる。
寮に戻ってきてからも、そればかりが頭の中でグルグル回っていた。
なのに、肝心のシズカときたら──サトコと一緒にのんびりお風呂を楽しんでいる真っ最中だ。
こんな時にはお風呂が一番だと、サトコが気を利かせてくれたのだ。
洗いっこでもしてるのか、バスルームからはキャッキャと黄色い声が漏れてくる。
まったく呑気なモノだ。
まあ、これ見よがしに落ち込まれるよりはいいのかもしれない。
考え疲れたので、その場に仰向けに寝転がる。
よく考えたらまる2日近く寝ていなかったな。
流石に疲労感を覚え、ウトウトしはじめる。
けど、騒がしい女どもが、眠りに落ちるのを許してくれなかった。
「クロー……クロー……」
ただならぬ声に叩き起こされたと思ったら、上下逆さまになったシズカが目に入った。
いや、逆さまになっていたのは僕の頭だが、驚いたことにシズカは一糸まとわぬマッパだった。
「クロー……シズカの体……おかしい……」
機能に異常でも生じたのかと焦ったが、問うより先にシズカはドアの向こう側へ引っ込んだ。
と思ったら、今度はサトコの手を引いて再び姿を見せる。
「ちょっとぉ、シズカ。やめなさいってば」
風呂上がりのサトコは、バスタオルのみを体に巻き付けたセクシースタイルだった。
「股間に毛がないの……シズカだけ……サトコだって……」
ほらっ、とばかりサトコのバスタオルをむしり取ったからたまらない。
股間の茂みも生々しい、美人女子大生のフルヌードが露わになった。
「ギャアァァァッ、見ないでぇっ」
サトコは悲鳴を上げて胸と股間を覆い隠した。
幼馴染みとは言え、敬虔なカトリック教徒である彼女の裸などお目に掛かったことは無い。
至近距離でお宝ヌードを目の当たりにして、僕の全身の血は一気に股間と鼻へ収斂した。
ブッと鼻血を噴き上げてのけ反る僕に、追い打ちの一撃が加えられる。
「見るなっつってるだろうがぁ、このバカァーッ」
嫌になるほど重たいストレートが僕のアゴを的確に捉え、同時に景色がグニャリと歪んだ。
「嫌らしい目で私を見るからですっ。しばらく顔も見たくありませんっ」
サトコのわめき声が、ふすまの向こうから聞こえてくる。
脳震盪を起こした僕は、シズカの膝枕で介抱されながらそれを耳にした。
遂に家庭内別居だよ。
つか、そんなに僕の顔を見たくなけりゃ、自分の家に帰ればいいのに。
こんなになっても、まだ僕とシズカがエッチするのを邪魔する気でいるのだ。
「君って奴は、まったく。大人になれば毛ぐらい生えるのは当たり前だろうに」
僕は恨めしげにシズカを見上げた。
「けど……クロー秘蔵のコミックでも……女の股間には…毛が生えてない……女は生えないのが普通と…思っていた……」
アレは生えてないんじゃなくて、描かれた当時の自主規制ってやつだ。
って言うか、その話はNGで願いたい。
「なら……シズカも……毛……欲しい……サトコだって……生えてる……」
あんなもの、あってもなくても同じだろうに。
他人が持ってるモノをなんでも欲しがるのはよくない傾向だ。
そのうち「オチンチンが欲しい」なんて言い出すんじゃないだろうな。
「ペニスは不要……クローのがあれば……充分……」
シズカはこっちが赤面するようなことをサラリと言ってのけた。
まあ、それほど欲しいってのなら、植毛の技術を応用すれば簡単だろうけど。
「それならば……次のご褒美には……毛を要求する……」
だったら手柄を挙げられるように知恵を絞るんだな。
とにかく、今は陰毛の心配なんかしている場合じゃない。
このままじゃ、ロボコップ計画の存続すら危ういんだから。
「禁止されたのは……機動捜査だけ……足で情報を稼ぐのは……許されている……」
だから、何の情報を稼ぐつもりなのかね。。
「一昨日のロボカーと……昨夜の事件の関係を……洗う……」
なるほど、2つの事件はロボカーが絡んでいるというところに共通点がある。
一昨日のロボカーは警察を首都高に引き付けておくための囮で、その裏で宝石店を狙う強盗犯人に操られていた。
昨夜のロボカーはどうだろう。
少なくとも、騒ぎのあった時刻に大きな事件は発生していない。
首都高を荒らした目的は、別にあったと考えていいだろう。
第一、ロボカーの性能だけを見ても両者の差は歴然としている。
それでも2日続けてロボカー騒ぎが起こったのは偶然とは思えない。
「これは、昨日逮捕した技術者をもう一度叩く必要があるな」
そうと決まれば善は急げだ。
捜査一課の取り調べがそこに及ぶ前に、奴の口を割らせるのだ。
その半時間後、僕とシズカは新霞ヶ関の本庁舎にいた。
重要事件の被疑者は所轄署ではなく、警視庁本庁舎の留置場にお泊まりいただくことになっている。
一昨日逮捕された技術者もその例に漏れず、ここの22階に留置されている。
「ああ、クロード主任。残業ですか?」
厳重にガードされた受付で、僕は顔見知りの看守に呼び止められた。
以前、この留置場はサイボーグどもに襲撃され、徹底的に破壊されたことがある。
そのサイボーグ軍団を壊滅させたことで、僕は看守たちから英雄視されているのだ。
「うん、一昨日ぶち込んだ技術者だけど。ちょっとでいいから、話をさせてくれないかな?」
僕は愛想のいい笑顔を見せて看守に頭を下げた。
途端に看守は困惑した顔になった。
奴を逮捕したのは特機隊の僕だが、事件そのものは既に捜査一課が担当している。
僕たち特機隊は猟犬の集団である。
被疑者を逮捕しても手続書を作るくらいで、その後の処理は事件を所管する部課や所轄署に引き継ぐのだ。
だから僕には例の技術者を取り調べる権限はない。
「いや、それは分かってるんだ。その上で頭を下げてるんじゃないか」
僕は拝むような仕草で頼み込んだ。
「幾らクロード主任のお願いでも、こればっかりは……」
職務に忠実な看守は、人情と職務倫理に板挟みになって苦悶する。
「今度、女子大生とのコンパをセッティングするからさぁ。お願いっ」
「えぇっ、女子大生?」
女子大生を餌にすると、看守は呆気なく食い付いてきた。
出会いに恵まれない警察官、それも外部との接触が極度に限定された看守勤務員はこの手の話に飢えている。
女子大生とコンパする機会など、そうそう得ることはできないのだ。
「ちょっとだけ……本当にちょっとだけですからね」
看守は厳めしそうに顔を引き締めると、さっそく留置人の出場手続きに入った。
いつの時代でも、女子大生には需要があるもんだ。
但し、相手の全員が厳しい戒律に縛られた敬虔なカトリック教徒だと知ったら、看守たちはさぞかし落ち込むだろうなあ。
「さて、アンタの作ったロボカーについて話してもらおうか」
僕は如何にも理系バカといった風貌の男に尋問を開始した。
男はフンッと鼻を鳴らすと、軽蔑したような笑いを浮かべた。
こういう時には、押しの利く厳つい外見に生まれなかったことを悔やむ。
「君に僕の創った芸術が理解できるとでもいうのかね?」
男は尊大そうな態度でせせら笑う。
こいつは大手エアカー会社、ユナイテッド・モータースの技術者だったが、研究の成果が上がらずクビになった。
天才を自負している男には、我慢ならないことであったろう。
それで社会に対する恨みを晴らし、研究費を稼ぐために宝石店強盗を企んだのだ。
「芸術? なるほど、そう言えば余りにも繊細だったよな、アンタのロボカーは」
シズカに頼るまでもなく、M6カービンの連射で炎上するのだから、芸術と言うよりはむしろプラモデルだ。
僕が負けじと鼻で笑うと、男は真っ赤になって立ち上がった。
その鼻先に、昨夜現れたロボカーの写真を突き付けてやる。
シズカの映像記録装置が保存していた動画をプリントアウトしたものだ。
濃紺とイエローに塗り分けられた優美なボディを目の当たりにするや、男はサッと顔色を変えた。
「やはり何か知ってるようだね。洗いざらい吐いてもらおうか」
僕は男の肩に手を掛け、無理やりに座らせてやった。
それでも男は口を閉ざし、プイッと横を向いてしまう。
仕草としては可愛いが、男がやっても特に感銘を受けるものではない。
「も、黙秘権を行使させてもらう」
なら、なおさら聞きたくなるのが人情ってもんだ。
「これ以上は絶対にしゃべらないから……」
男が全てを言いきる前に、メキメキというもの凄い音がして取調室のドアが破壊された。
被疑者の逃走防止のため、とびきり頑丈に取り付けられている金属製のドアが外側に引きちぎられたのだ。
「クロー……このドア……立て付け…悪い……」
ただの分厚い鉄板と化したドアを片づけながら、シズカがボソッと呟いた。
立て付けの問題じゃない。
取調室のドアってのは中から開けにくくするため、内側へ開く構造になってるんだ。
「ヒッ……ヒィィィーッ」
シズカを見た途端、男が震え上がった。
そりゃ、逮捕された時にアレだけ酷い目にあわされたのだから怯えもするだろう。
彼は生身の人間だから、本来ならシズカの攻撃は受けずに済んだはずだった。
ところが悪あがきした挙げ句、パワードスーツじみた作業機械まで使ったから余計な恐怖を味わうことになったのだ。
彼にとってせめてもの幸運だったのは、シズカがバトルモードに入らなかったことだ。
シズカが本気になっていたら、彼はこうして震え上がることもできなかったろう。
「言いますっ、全部しゃべります」
男は誰に命令されるまでもなく、土下座の姿勢をとっていた。
男がゲロった内容を要約すると、だいたいこのような話である。
彼はユナイテッド・モータースのAI開発部の技師であった。
UMは次世代型のエアカーを全てロボット化する計画を立て、それに搭載するAIの開発を彼に委ねたのである。
一般道路における自動運行を担うシステムの根幹を築き上げれば、以後の市場をほぼ独占したも同じだ。
他社はUMからそのテクノロジーを買わねばならなくなるのだから。
それ故にUMも必死だったのであろう。
ところが期限を過ぎても市販に耐えうる自動操縦システムの確立には至らず、彼は無能の烙印を押されて解雇された。
自尊心を傷つけられた自称天才ほど怖ろしいものはない。
彼は自作のロボカーを大暴れさせることで、プライドを充足させようとした。
そして、ついでにその騒ぎに乗じて宝石店強盗を働き、研究を続けるための資金を得ようと企んだのだ。
で、その結果がこのとおりなのだが。
「しかし、腑に落ちないな。アレだけのロボカーを作る技術がありながら、どうして解雇されたんだい?」
実際、一昨日暴れた彼のロボカーも大したもんだった。
プロのレーサー並の走りを自動操縦でこなすんだから、よほど優秀なAIを開発したに違いない。
僕が問い詰めると男はまた震え始めた。
「ん? また何か隠そうとしてる?」
僕がシズカを呼ぼうと手を叩きかけると、男は泣きながら最後の自供をした。
「ごめんなさいっ、アレは僕の技術じゃありませんっ。他人の開発したAIを応用、いえ、盗用したんですっ」
男の供述に従い、僕とシズカは都立武蔵野工科大学を訪ねた。
彼はここの研究室が開発した試作のAIを盗み出し、自分のロボカーに搭載したという。
AIの開発責任者はベットーという名の教授である。
「昨日のロボカーと……関係……あるの……?」
シズカはまとわりついてくる学生たちの視線をうざったそうにしている。
ハルトマン社のウーシュタイプは学生たちにとって垂涎の的だろうし、メイド姿はどうにも目立ちすぎる。
連中ときたら、シズカを分解したくてヨダレを垂らさんばかりになっている。
とにかく彼女を見る目の色が普通じゃない。
「さあな、肝心なところを聞く前に時間切れになっちゃったし。取り敢えず研究室の方で事情聴取するしかないだろう」
僕は受付で身分を明かし、来意を告げて人工知能開発室へと案内してもらった。
研究室で応対してくれたのは、若い女性技師であった。
ショートヘアの活発そうな女性で、眼鏡の奥の目はクリッとして可愛らしいが、瞳は知性を帯びた光を放っている。
見た感じ、まだ学生でも充分通用するなと思っていたら、彼女は助手でもなんでもなく本当に学生だったのだ。
「お忙しいところ済みません。ベットー教授に取り次いでもらいたいのですが」
教授は公共交通関係に関する人工知能の分野じゃ第一人者で通っているらしい。
その教授をもってしても、車社会のフルオートマチック化は見込みすら立っていないと言う。
精密なダイヤグラムで管理されている公共機関と比べ、自動車の運行は余りにも自由度が高すぎるから仕方ない。
「残念ですが、先生との面会は諦めて下さい」
女学生の技師は申し訳なさそうに頭を下げた。
さしずめ、偏屈な天才博士の非礼を詫びる弟子といった図式か。
けど、ここであっさり引き下がっては特機隊は務まらない。
「そこを何とかお願いします。お手間は取らせませんから」
「クロー……お礼に精子を……分けてあげれば……いい……」
頼むからシズカ君は少し黙っていてくれたまえ。
僕は女性技師の興味を引こうと、例のロボカーの写真を取り出した。
それが予想以上の効果を発揮した。
「ビッグ・ベン……やっぱり……」
女性技師は両手で口元を覆うと、目を見張ったまま絶句した。
「知ってるんですね、これを」
僕は女性に写真を手渡した。
「恐ろしいロボット兵器です。何としても退治しないと。そのためにも教授にお取り次ぎを」
僕に促されると、彼女は諦めたように肩を落とした。
「先生にはやっぱり会えません、どなたであろうと。殺されたんですの、一昨日」
研究室に通された僕たちは、女性技師、ニーノ・ダイナから詳しい話を聞かせてもらった。
一昨日、教授と最後に会ったのは、ユナイテッド・モータースの技術者だという。
事件を担当している武蔵野署に確認したところ、教授の死亡時刻は午後0時ころである。
当日の来訪者記録によると、ちょうどそのころにUM社のIDカードを持った男が受付を通過している。
現在、本庁舎の留置場にブチ込まれてる例の男だ。
あいつ、無職になったくせに、飲み屋とかで見栄を張るためにIDカードは返さなかったんだろう。
殺されたベットー教授は、以前よりUMからヘッドハンティングを受けていたらしい。
UM本社は、今をときめくティラーノ・グループの傘下企業だから、さぞかし美味しい条件を呈示したことであろう。
それにも関わらず、孤独だが自由な研究を愛する教授は勧誘を断り続けてきたのだった。
僕の想像とは少し方向性が異なるが、教授はやはり変人だったようだ。
「その客が教授を殺害したことは間違いないんですね?」
僕は真っ青になっているニーノ嬢に尋ねた。
教授殺しの犯人を逮捕したのがこの僕だと知ると、彼女はすごく協力的になってくれた。
「ちょうどデータを取っている最中のことですから。全ての映像と音声が記録用ビデオに撮られていたのです」
アイツは別件の強盗事件で僕に逮捕されたんだが、放っておいても直ぐに殺人容疑でパクられてたってことか。
コロシまでやっていたとなると、こりゃ当分は出てこれそうにないな。
「男は新型AIを搭載したマイクロPCの提供を強要してきたのです。それが叶わぬと知るや、いきなり先生を……」
教えてくれるニーノ嬢の声は、怒りのためか微かに震えていた。
アイツはベットー教授の開発したAIを自作のロボカーに搭載し、自分を解雇したUM社を見返そうとしたのである。
他人のフンドシで相撲を取ろうってんだから呆れてしまう。
どこまで性根の腐った奴なんだろう。
「で、そのロボカーのことなんですが。ええっと、ビッグ・ベン……でしたっけ?」
僕はニーノ嬢の手にある写真を指差した。
「ええ。形式番号Bo-0634、通称ベンKC。教授が開発した完全自律型AIを搭載した……意思を持ったエアカーです」
そう説明する時、ニーノ嬢の目が燃え上がった。
よほどの自信作で、素晴らしい性能を誇るのであろう。
単純にスラスター出力だけを見てもKC、すなわち1000サイクロンである。
これは市販されている高出力エアカーの2倍に迫る数字だ。
「犯人が持ち去ったAIは初期の試作品です。ベンと同等クラスのAIが盗まれていたら、大変なことになっていました」
「そんな優秀なベンが、どうして珍走狩りなんかを」
僕はできるだけ嫌味に聞こえないよう、言葉を選んで尋ねた。
すると、ニーノ嬢は悲痛な顔になって説明してくれた。
教授が襲われた時、ベンはボディから降ろされて調整を受けているところであった。
残酷なことに、彼は自分の親とも言える教授が殺される現場に居合わせたのだ。
優秀な人工知能は、幸か不幸か目の前で起きたことを正しく理解する知力を有していた。
そして、再度ボディに搭載されて身体の自由を回復するや、いきなりラボを飛び出していったという。
「ということは、ベンはUMに対する復讐を?」
作り物の人工知能が、仇討ちなんて人間くさいことを考えるものなのか。
「そうとしか思えません。誰かが吐いた『代わりにUMのエアカーを1000台潰してやる』という恨み節を聞いてたのでしょう。
ベンには生命の概念が理解できていません。UMのエアカーを1000台破壊すれば、教授が戻ってくると信じているのです」
なるほど、RX9はアフラ社製だから見逃してもらえたってわけか。
それにしても、いじらしいまでの忠誠心じゃないか。
平気で上司を呼び捨てにする、どこぞのロボ娘にも見習ってもらいたい。
「なら……スクラップ場に呼び出して……気が済むまで……好きに壊させてあげれば……いい……」
シズカは産廃処理業者が泣いて喜びそうなアイデアを提供した。
ロボットらしい合理的な発想だが、どんなもんだろう。
こういう場合は“生き餌”が基本だと相場が決まっているんだが。
それに説得しようにも、ビッグ・ベンはどこに現れるか見当も付かない。
けど、可愛い女の子が悲痛な表情をしていたら、何とかしてあげたくなるのが男気ってもんだ。
「心配しないで。ベンは僕たちが必ず止めてみせるから」
僕は少しくだけた口調に変えて、一気にニーノ嬢との間合いを詰める。
「でも、クローは……機動捜査を禁止されている……RX9も……使えない……」
ニーノ嬢の肩に手を置く寸前、シズカが嫌なことを思い出させてくれた。
そのとおり、ここまで来るのにもタクシーを使ったのだった。
機動力なしで、あのビッグ・ベンと渡り合うことなどできない。
「それじゃ、これを使って下さい」
ニーノ嬢は立ち上がると、僕たちを部屋の隅にあるシャッターの前へ誘った。
そして壁のボタン錠を数回押してシャッターを開けにかかる。
彼女は何を見せてくれようとしているのか。
シャッターが完全に開ききる前に、それは明らかになった。
倉庫に保管されていたのは──なんとビッグ・ベンと寸分違わぬエアカーだったのだ。
流体力学の粋を集めたような、優美な曲線の連続体である。
細長くスマートなボディのため、コクピットはタンデム式の2シーターにデザインされている。
尾部から左右に張り出したメインスラスターは2基であり、あの素晴らしい機動性能を支える源となっている。
空気抵抗を極限まで減らすためなのか、濃紺と黄色に塗り分けられたボディ表面は鏡のように磨き上げられていた。
「これは……」
驚きのため僕は絶句し、シズカは速射破壊銃の発射態勢をとって身構えた。
「AIは搭載していませんが……ベンのために作ったスペアの筐体です。私は元々こちらが専門なもので」
なんと、ニーノ嬢は自動車技師だったのか。
ベットー教授が頭脳を、彼女がボディを、それぞれ分担してロボカーを開発していたのだ。
あんな凄いマシンを作れるのだから、彼女の自動車技師としての能力は確かなんだろう。
親子ほども年齢の離れた2人が、仲むつまじく開発に当たっている姿が容易に想像できた。
「これをお預けします。なんとしてもあの子を……ベンを止めてあげて下さい」
しかし、性能は互角としても、向こうは完全自律型のフルオートマチックマシンだ。
自由度の高いロボカーを相手に、マニュアル操縦で果たしてどこまで対抗できるのか。
「問題ない……クローには……シズカがいる……」
いや、確かに自由度でいったら君の方が遙かに自由だけど。
シズカはコンパネの配線を引っ張り出すと、耳の穴の差し込みジャックに直結した。
自分のAIをエンジン・コントロール・ユニットとして利用しようというのだ。
直ぐにエンジンに火が入り、部屋中に轟音が響き渡った。
「とにかく……チャッチャと片付ける……そして……二度とここには来ない……」
シズカは不機嫌そうに呟いた。
「さっきから何を怒ってるんだ、君は」
ビアンカと名付けられたエアカーを受領して都心へ戻る途中、僕は後席に座ったシズカに話し掛けた。
なぜだか彼女はご機嫌斜めであり、さっきから一言も口をきいてくれない。
元々無口な方だけど、このダンマリにはちょっとした悪意を感じる。
「あの女といると、クロー……血圧が上昇……βエンドルフィンは過剰分泌……分かり易すぎ……」
なんだって。
僕がニーノ嬢に好意を感じていることに嫉妬しているのか。
「クローには……地公法35条に規定された……職務専念義務がある……余計な心理的動揺は……シズカにも迷惑……」
分かり易すぎるのはどっちなんだ。
鼻から漏れている排気熱がもの凄い温度になってるじゃないか。
「いい……サトコに言いつける……から……」
ゲッ、それだけは勘弁してくれ。
今のサトコにそんなこと吹き込んだら、事の真偽を確かめる前に殺されてしまう。
しかし、いつの間にこんな悪知恵を身に付けたんだよ。
これは本当に早く事件を解決しなくてはならないようだ。
僕個人の命に関わってきたとなると、冗談ではなく職務に専念する必要がある。
しかも、同時にニーノ嬢の名誉も守ってやらねばならないとなると、これは並大抵の労力では追いつきそうにない。
僕はさして広くない両肩に、ズシリと重荷がのし掛かってくるのを感じていた。