雲流れる果てに…9

 ある夏の朝のこと、僕はアラームが鳴る前に目が覚めた。
 何かツンとする軽い刺激臭が鼻をつく。
 この匂いのせいで目が覚めてしまったのだ。
 キッチンで物音がするところからして、シズカが朝食でも作ってくれているのだろう。
 漂っている匂いからして、ちらし寿司ってところか。
 珍しいこともあるもんだ。

 シズカは警視庁特殊機動捜査隊における僕のパートナーである。
 見た目にはメイド服の似合うミドルティーンの美少女だが、彼女は人間ではない。
 ハルトマン社製のバトルドロイドで、形式番号ウーシュ0033シリーズの一体なのだ。
 同機は要人の家政婦と警護員を一体でこなすよう設計されており、独り身の男にとっては非常に便利な作りになっている。
 ところが、うちのシズカときたら、メイドとしての機能が気持ちいいくらいにスパッとオミットされている。
 警察仕様には不要な機能だからとも、購入時に当局が値切りすぎたためとも言われているが、真偽のほどは定かではない。
 ともかく、補助装甲を兼ねたメイド服は着ているものの、シズカにハウスキーパーとしての能力は全く期待できない。

 せっかく自由に使えと貸与されているのに、これでは宝の持ち腐れだ。
 と言って、彼女に便利な機能をインストールしようとすれば、バカ高いソフトを自費で買わなければならない。
 ネットで拾えば無料なんだろうけど、ファイル共有ソフトの使用は警視庁の内規で懲戒処分対象となっているからNGだ。
 だから彼女を便利な同居人として使うには、面倒でもこつこつ気長に仕込んでいくしかないのである。
 そんなシズカが珍しく僕より早起きして朝飯を作ってくれているとは、教育の甲斐があったってもんだ。

 感激しつつも、どこか壊れたのではと半ば心配してキッチンに入ると──シズカはいつも通りのシズカであった。
「何をしてるんだい、こんなに朝早くから」
 料理だなんてとんでもない、シズカは単に鍋でビネガーを煮立たせ、そこへ甘味料を入れてかき混ぜていただけなのだ。
 甘酢あん掛け風の料理を作っているのでないことは一見して分かった。
 普通、あんを作るのに毛筆を使ったりはするまい。
 シズカは僕を無視して片手を上げると、剥き出しになった腋の下に筆を這わせ始めた。
「なんなのよ、この酷い臭いは?」
 不機嫌そうな声がしたと思うと、もう1人の同居人であるサトコが顔を覗かせた。

 サトコは僕の幼馴染みで、帝都のミッション系大学に通う女子大生だ。
 僕が養子に行った先のご近所さんで、かれこれもう10数年の付き合いになる。
 同居人と言っても、彼女はガチガチのカトリック教徒だから、男が期待するようなことは何一つさせてくれない。
 それどころか、僕がシズカとエッチな行為に入るのを妨害しようと躍起になっている。
 これでブスならぶん殴るところだが、なまじナイスバディの美女だけに勿体ない。
「また変なこと教え込んだんじゃないでしょうね?」
 サトコが目を細めて僕を睨んでくる。
「これが命懸けで強盗に立ち向かった、あの『帝都の英雄』の実像だとは……情けなすぎて怒る気もしません」
 そんなの知るか。
 この件に関しては、僕だって被害者の1人なんだから。

 僕たちの諍いを止めようというのか、唐突にシズカが手を上げた。
 いや、彼女は手を上げたのではなく、腋の下を見せつけたのだ。
 シズカの盛夏用制服はノースリーブで胸元も大きく抉れている。
 あちこちにフリルが施され、エプロンは装備されているものの、もはやメイド服でも何でもないコスプレ衣装だ。
 お陰でスベスベした腋の下が全開になっている。
「シズカ……汗臭くなった……夏だから……」
 なんか訳の分からないことを言い始めたぞ。
 要するに、汗をかいて臭いがきつくなった腋を再現しているってことか。

 ウーシュ0033シリーズはヒトに似せるため、装甲の上を人工生体組織で覆った構造になっている。
 人造皮膚には汗腺を模した潤い機能がついており、しっとりした皮膚感を保持している。
 しかし滲み出てくるのは汗ではないから、放置してても分解臭を放つことはない。
 少しでも人間に近づこうとするシズカには、それが気に入らないのだ。

「サトコの……腋の臭いを……サンプリングした……」
 シズカが礼を述べた途端、サトコが真っ赤になって激怒した。
「しませんっ。そんな臭いなんかっ」
 普通なら若い女の子にとっては、嬉しくない臭いだからな。
 そんなものを有り難がるのはシズカくらいなもんだ。
 アンドロイドが人間に近づこうと必死になってる姿は、見ていて微笑ましいもんだが。
 得意げになってるシズカの顔を見ていると、知らず知らずのうちに口元が緩んでくる。
 それがサトコのカンに障ってしまった。
「なんですかっ、ニヤニヤといやらしい」
 嫌になるほど重たい右ストレートが炸裂し、僕はそのまま強制的な二度寝に入った。



 僕は新霞ヶ関にある警視庁本庁舎ビルの非常階段を駆け上がっていた。
「シズカ、どうして起こしてくれなかったんだよ」
 二度寝から覚めた時、本来の起床時刻はとっくに過ぎていた。
 お陰で愛車のベンKCにもかなりの無茶をさせたし、地下駐車場から18階まで全力疾走するハメになったのだ。
 この時間帯はお偉方の出勤と重なるので、僕のような下っ端は畏れ多くてエレベーターなど使えない。

「クロー……頭打ったから……動かすの危険……」
 シズカは涼しい顔をして、僕の後ろに続いている。
 そりゃそうなんだろうけど、元々彼女が余計なことを言わなければ、僕が頭を打つこともなかったんだ。
 タップリお説教してやりたいが、今はそんなことしてる時間はない。
 僕の階級は巡査部長だが、特機隊のような本庁執行隊では事実上のヒラなのだ。
 まして新入りで一番の年下である僕は、警察学校を出たての新任同然なんだから。
 先輩たちより1秒でも早く隊室に入るのは、鉄則中の鉄則である。

「ヒィハァ、ヒィハァ……」
 全力で走ったお陰で、何とか一番乗りできた。
 隊室には当直明けの非番隊員がいるだけで、まだ先輩たちの姿は見えなかった。
 この間にコーヒーを淹れて、掃除をしてしまわなければならない。
 それと同時に、配布物の仕分けなんかの雑用もこなす必要がある。
 どれか一つでもシズカが手伝ってくれれば非常に助かるのだが。

 僕が吐き気をこらえつつ机を拭いていると、ギリギリのタイミングで先輩たちが出勤してきた。
「よぉ、クロォ。今日はやけにゆっくりだな」
「お前も偉くなったもんだ。それとも昨晩頑張りすぎたかぁ」
 いつもならとっくに掃除を終えている時間なので、先輩たちが嫌味な口調でからかってくる。
「おはようございます。直ぐにコーヒーを……」
 まるで奴隷と主人の間柄だが、先輩には絶対服従ってのがここの伝統だから仕方がない。
 それに普段はこんな風でも、いざって時にはこの人たちが、命懸けで後輩を助けてくれることを僕は知っている。
 厳しくも麗しい主従関係なのだ。

 僕がコーヒーの準備を始めた時だった。
 先輩の1人が鼻をクンクンさせ始めた。
「おい、なんだ。なんか変な臭いしねぇか?」
 それにつられて他の先輩たちも鼻を鳴らせる。
「本当だ。甘酸っぱいというか何というか……」
 先輩たちはコーヒーのアロマに混じる異臭を嗅ぎ取り、不審そうにキョロキョロしている。

「臭うの……シズカ……さっき走ったから……」
 シズカが手を上げ、ノースリーブの袖ぐり部から覗く腋の下を見せつけた。
「お、おぅ……」
 先輩たちは返答に窮して黙り込む。
「夏だし……申し訳ない……」
 シズカは申し訳なさそうにするどころか、誇らしげに胸を張っている。
「こらぁ、クロォ。テメェが制汗スプレーとか買ってあげねぇからだろうがっ」
「シズカが可哀相とは思わねぇのかっ」
 反応に困った先輩たちは、苦し紛れに僕を足蹴にしてきた。
 えぇっ、これって僕のせいなのか?
「さっさと買ってきやがれっ」
 よく分からないけど、先輩の命令ならば仕方がない。
 飛び込めと言われたら、火の中だろうが水の中だろうが飛び込まずには済まされない特殊な社会なのだから。

 理不尽に思いながらも売店に行ってみたが、あいにくデオドラントスプレーは売り切れていた。
 くそっ、交通部の外回り婦警どもが買い占めたのに違いない。
 やむを得ず、僕は庁舎外にあるドラッグストアまで足を伸ばすことにした。
「ちぇっ、なんだって僕が……」
 どうして僕がシズカのパシリをしなくちゃいけないんだ。
 僕はシズカの上司だし、わずか数ヶ月とはいえ先輩なんだぞ。

 それでも採用当初は奇異に見られていたシズカが、特機隊の仲間として認められつつあるのは嬉しいことである。
 先輩たちだって「ロボコップなんざ永久に無視してやる」と意気込んでいたのに、今ではあのザマだ。
 巡査部長の僕より2等巡査のシズカの方が、扱いは格段に上ではないか。
 末席から脱出できなかったのは悔しいが、それでもシズカが冷たくされるのよりは遙かにいいことなのだ。

 それはそうとして、奇異に見られているといえば今の僕自身である。
 ドラッグストアの女性化粧品売り場に、男が1人でウロチョロしているのだから怪しまれるのも無理がない。
 けど、女の子の化粧品って、どうしてこんなに種類が多いんだ。
 焦れば焦るほど制汗スプレーが見つからない。
 それにパンストとかの色っぽい商品ばかりが目について、陳列棚を正視できないじゃないか。

「いらっしゃいませ。どのような商品をお求めでしょうか?」
 いきなり背後から女性に話し掛けられ、僕の心臓は止まりそうになった。
 何もやましいことはしていないのに。
 カチコチになって振り返ると、そこに立っていたのは店員ではなかった。
 10代前半に見える少女が、冷たい笑みを浮かべて僕を見詰めていたのだ。
 端正だが不健康にすら思える蒼白い顔は、濃いアイシャドーや口紅とも相まって死人を連想させる。
 更に奇抜なのは、彼女が着ている服だった。
 黒を基調としたエプロンドレスのあちこちが、レースやフリルで過剰に飾られている。
 こいつはゴスロリファッションって奴だ。

 21世紀のポップカルチャーを趣味とする僕にとっては、馴染みのスタイルではあるが、際物扱いなのは今も昔も同じだ。
 無論、生で見るのは初めての経験である。
「そのコスって、アンジェリカ……かな……?」
 知ってるだけあってか、つい余計な知識が口から飛び出してしまった。
 しまったと思ったその途端、美少女の表情が劇的な変貌を遂げた。
 パァッと花が咲いたような笑顔を見せたのだ。
「あ、その……レースの編み方とか……そうじゃないかなって……いや……」
 僕は取り繕うとして更に泥沼に陥っていく。
「分かるぅ? お兄ちゃん、分かるのぉ?」
 美少女は相好を崩して僕に迫ってくる。

 ゴスロリファッションはその特殊性からして、世間に受け入れられにくい。
 というより、ハッキリ言って白眼視されることが多い。
 それだけに理解者の登場が嬉しかったのだろうか。
 いや、僕は知識として知ってるだけで、決して理解者ってわけじゃないのだが。
 でも、そんな言い訳はせっかくシンパを見つけ、目をウルウルさせてる相手には通用しなかった。
「やっぱ、レースはクロッシェレース、それもアイリッシュに限るな……なんちゃって……」
 僕はジリジリと立ち位置を変えて逃げ支度に入る。
 ゴスロリ少女の死生観は僕とは相容れないものだから、関わる気はさらさらないんだ。

「クロー……なにしてる……の……」
 もう少しで出口が真後ろに来るって時、背後からシズカの声がした。
「遅いから……気になって来てみたら……誰……?」
 振り返ると、シズカは不機嫌そうに眉をひそめていた。
 右手に握られた制汗消臭スプレーの缶が破裂寸前になっている。
「いや、全然知らない子。ホントだぜ」
 僕は現行犯で押さえられたスリみたいに焦って応える。
 なにも悪いことなんかしていないのに。
「なら……さっさと買って……」
 シズカは上司みたいに偉そうに命令すると、僕の腕を引っ張ってレジへと向かった。
 ちょいと振り返ってみると、ゴスロリ少女が鋭い目でこちらを見ていた。
 その目が研ぎたての刃物を連想させ、僕の背筋に冷たいものが流れ落ちた。


 ギリギリで滑り込んだブリーフィングが終わり、僕とシズカは喫茶室へ移動してパトロールの計画を練ることにした。
 ここのところ帝都に大きな事件は起きておらず、今日の勤務は通常の市中パトロールとなる。
 最近は歓楽街で違法なサイボーグが暗躍しているとの風評があるので、そちらを中心に回ってみるのもいいかもしれない。
 今日は夕方までの日勤勤務だから時間的な制約もあるし、カブキタウンを軽く偵察ってことにするか。
 カブキタウンの上がりは中華マフィアの資金源だから、悪い芽は早いうちに摘んでおくにこしたことはない。
 でも中華マフィアときたら、遠慮なしにブッ放してくる血の気の多い連中が揃っているから頭が痛い。
 何かあればシズカの支援に頼り切ることになるのだろう。

 そのシズカは、腋の下に制汗スプレーを吹き付けてご満悦に浸っているところだ。
 近くを人が通る度、これ見よがしに噴射しては「クローが……買ってくれた……」を繰り返している。
 元々匂わないのに何をやってんだか分からないけど、ご機嫌が戻ってくれたのならひと安心だ。
 シズカって、拗ねるとあからさまにやる気を失うからなあ。
 美少女だから拗ねた顔も可愛いが、僕にとっては命に関わることになりかねないので厄介だ。

 さて、ご機嫌を損ねないうちにパトロールに出掛けるか。
 と思って席を立とうとしたところに、1人の先輩が僕を探しに来た。
「クロー、補佐が呼んでるぜ。直ぐ来いってさ」
 何だろうと思って頭を捻ってみるが心当たりはない。
 最近は怒られるようなヘマはやっていないし。
 まあいいかと軽い気持ちで隊長補佐の執務室に向かった。

「クロード・フジワラ巡査部長、入りますっ」
 僕は申告して補佐の部屋へと入った。
 隊長補佐は所轄署の課長に相当する職で、階級は警部だ。
 警部と言ってもうちの補佐はキャリア組じゃないから、結構なオッサンである。
「待っていたぞ。主任にお客さんだ」
 補佐は緊張した面持ちで来客用の応接コーナーを示した。
 普段偉そうにふんぞり返っているオッサンが何を畏まっているんだ。
 訝しがりながらソファに目をやると、見知った顔がそこにあった。

 顔が全部出るようにした引っ詰め髪はブロンドで、後ろ髪を何本もの縦巻きロールにして垂らしている。
 キリッとした細眉と吊り上がり気味になった青い目は、明らかに猫科の肉食獣のものだ。
 高い鼻梁に続く珊瑚色の唇が、優雅にティーカップの縁に添えられている。
 その唇がカップの中身を啜った途端、眉毛が不機嫌そうに顰められた。
「なんですの、この紅茶はっ。安物ですわっ」
 キンキン声と共に、カップがソーサーに叩き付けられるガチャンという音が響いた。

 間髪入れず補佐がソファに駆け寄り、これまた安物の絨毯に這いつくばった。
「お口に合いませんでしたかっ。平にっ、平にご容赦を」
 日頃は特権階級の貴族みたく威張り散らしている補佐が、床に額を擦りつけて謝罪する。
 それもそのはず、彼の禿げた頭頂部の先に座っている女性は、正真正銘ホンモノの貴族様なのだから。
 その女性、コリーン・ティラーノは、ハンカチで口を拭いながら補佐の禿頭を睨み付けている。

 コリーン嬢は世界で最も勢いのある国際貴族、ティラーノグループ総帥の愛娘だ。
 俗に「ティラーノに非ずば人に非ず」とまで言われる昨今である。
 ライバルのミナモンテス家が没落した現在、ティラーノ一族に対抗できる者などいない。
 総帥キーヨ氏には、バチカンの教皇庁すら表だって逆らえないのだ。
 したがってコリーン嬢は、現在のところ世界で最も高貴なレディと呼んで差し支えない。
 彼女の不興を買えば、警視庁の一警部の首などは簡単に飛ばされてしまうだろう。
 禿げオヤジが這いつくばって許しを乞うのも、まあ無理もないことかもしれない。

 そんな強大な力を持つティラーノグループだが、庶民に過ぎない僕の人生には何ら関わり合いのない存在だった。
 ホンのついこの間までは、そのはずだったのだ。
 それが、先日僕があるエアカーレースに参加したことから事情が変わってきた。
 僕は捜査の一環として出場したのだが、グループの命運を背負ったコリーン嬢もまた、同じレースに参加していたのだ
 そして成り行きとはいえ、僕は彼女を押さえて優勝してしまった。
 レース終了時のお嬢は、恥ずかしさのあまり悶死寸前になっていた。
 彼女は勝負事で負けることに慣れていないし、あまり好きではなさそうなのだ。

 そんなコリーン嬢がわざわざ帝都の警視庁を訪問してきたとなると、用件は自ずと限られてくる。
 そう、彼女はきっとこの僕に意趣返しするためにやってきたのだ。
 僕は補佐を笑えない境遇にあるのに、膝はさっきからガクガクと笑いっぱなしになっている。
 僕が怯えた目でコリーン嬢を見詰めていると、向こうもようやく僕の存在に気付いた。
 お嬢は「コホン」と咳払いすると、補佐に立つよう促した。

「あぁ、クロード君。こちらはコリーン・ティラーノ様でいらっしゃる」
 補佐に「君」付けで名前を呼んで貰える日が来るとは、長生きはしてみるもんだ。
「コリーン様は帝都の視察に来られたそうだ。近々ティラーノグループの支部を帝都に構えられるそうで……」
「その下見ですわ」
 コリーン嬢が後を引き継いだ。
「支部の位置は用地問題や交通の便を考慮して検討中ですの。後は治安状況についての情報が必要なのです」

 なるほど、帝都乗っ取りの第一歩として、都内の一等地に橋頭堡を築くつもりか。
「で、都内の治安状況に精通している、我が特機隊を頼ってきて下さったというわけだ」
「仕方ありませんわ。他に知り合いなどおりませんもの」
 コリーン嬢は心底から不本意であることを露わにするように深い溜息をついた。
 そんなに不服なら関係省庁にでも掛け合えばいい。
 身に余る光栄とばかり、軍隊の護衛付きで案内してくれるはずだ。

「ともかくクロード君、よろしく頼んだよ。私はこれから機動隊との打ち合わせがあるから、これで失敬するよ」
 補佐は「後は任せた」と逃げに入る。
 おっとっと、1人だけ安全圏に逃がしてたまるか。
 だいたい機動隊なんてウチとは無縁の部署じゃないか。
 打ち合わせってのも限りなく嘘臭い。
「う、嘘じゃない。前からの予定で、今日にもゼロ機との合同捜査があるかもしれんのだ」
 補佐は僕の頭の中を見透かしたように言い訳を口にした。

 警視庁には第1から第9まで、全部で9個の機動隊が常設されており、それぞれが都の治安警備に当たっている。
 ゼロ機こと第0機動隊とは、そのいずれにも属さない警備部長直属の部隊だ。
 その実体は、対マシン兵器戦に特化した戦闘部隊である。
 なるほど、特機隊とは業務内容が被っている。
 うちの上層部はどこかへのガサ入れでも予定していて、反撃抑止のためにゼロ機に応援出動を頼む腹なのだろうか。

 それでも責任ある立場の警部を逃がすわけにはいかない。
 こっちは下っ端の主任に過ぎないのに、こんな一大事を背負い込まされてたまるか。
「えっと、僕はこれからカブキタウンの風俗街へ実地調査に出掛けるんですが……」
 僕も忙しいのだと言外に拒否を伝える。
 それが間違いだった。
「あら、面白そうじゃありませんか。是非ともご一緒させていただきたいですわ」
 コリーン嬢がこともなげに言い放ったことで軍配は補佐に上がった。

 話し合いは終了したとばかり、コリーン嬢はソファから腰を上げる。
 今日のお召し物は、肩も露わな白いキャミソールドレスだ。
 前回のぴっちりレーシングスーツ姿もハァハァものだったが、こういうフェミニンな格好も実に似合っている。
 立ち上がるとスカートの短さ、というより足の長さが際立った。
 薄手のドレスだし、胸元がえぐれたデザインなので目のやり場に困る。
 ただ、カップ付きタイプなのが残念であった。


 これは厄介なことになった。
 僕はコリーン嬢を伴って地下駐車場へ向かっていた。
 これなら素直に命令に従って、帝都見物のガイドでもしていた方がマシだった。
 彼女をドンパチの現場へ連れていき、掠り傷一つでも付けるようなことになれば国際問題になる。
 僕一人が腹を切ったって到底済まされるようなことではないのだ。
 どうしようかと思い悩みながら通路を歩いていると、地下駐車場に着いてしまった。
 そこに新たな厄介ごとが待っていた。

「クロー…遅い……何をしていたの……」
 近づいてきた僕たちを見た途端、シズカがフリーズした。
 妙な気配を感じて振り返ると、コリーン嬢のこめかみに青筋が浮き出ていた。
「あの時の無礼なロボメイド」
 コリーン嬢は衆目の前で自分に恥をかかせたシズカのことを覚えていた。
「シニョリーナ、これは僕の部下でシズカです。シズカはコリーンさんを知ってるよね」
 シズカだってコリーン嬢のことをもちろん記憶していた。
 彼女には危うく殺されるところだったんだから、忘れる方がどうかしている。

「クロー……警視庁はいつから牧場に……こんなところに……ホルスタインが……」
 シズカはコリーン嬢の方を向いたまま、鳶色の瞳だけを動かして僕を睨んできた。
「アハハハハ、コリーンさんは特機隊のお客様なんだよ。失礼の無いようにしなくっちゃ、ねっ」
 我ながら情けない声色だったが、国際問題が掛かっているから仕方がない。
 ここはどうあってもシズカに引いてもらわなくては。
「クローが……そう言うのなら……」
 僕のお願いを職務上の命令と捉えたのか、シズカは渋々ながら引き下がってくれた。

 とにかくパトロールに出ようと思ったが、生憎と愛車のベンKCは2シーターだ。
 3人で出掛けるのなら、アフラRX9を使わねばならない。
 コリーン嬢だって自分を負かした車には乗りたくはないだろうし、僕もあまりマジマジとベンを見てもらいたくなかった。
 ベンが例の殺人ロボカーだとばれる心配があるから。

 ちょうどいいとばかりRX9を借り出してくると、また一悶着が発生した。
「後部座席じゃ充分に視察できませんの。あなたが後ろに乗りなさい」
「ナビゲーターシートは……シズカのもの……」
 2人はどっちが助手席に乗るかで口論を始めたのだ。
 このままではどちらも引きそうにない。
「シニョリーナ、上級者は後部座席に座るものと決まっています。助手席などは一番の下っ端が座る場所です」
 僕には正論でその場を取り繕うしかできない。
「それに……美しいシニョリーナに真横に座られると、気を取られて事故を起こす危険がありますから」
 柄にもないお世辞を口にした途端、白けきったような気まずい空気がその場に流れた。
 自分の吐いたセリフながら、あまりにも惨めで情けない。

「わ、分かりましたわ。儀礼を受けるのが上級者の義務ならば、それを果たしましょう」
 コリーン嬢はバカバカしさのあまり戸惑ったのか、うわずり気味の声で答えた。
 相当に気分を害されたのであろう、表情は引きつり、頬も上気している。
 それでもお嬢は黙ったまま、ロボットのようなぎこちない動きで後部座席に身を沈めた。
 RX9は2ドアだから後ろは窮屈であろうが、これでコリーン嬢が嫌になって降りてくれたらめっけものだ。
 だが、彼女は文句一つ言わないでシートに納まっている。
 無遠慮にわざと大きく背もたれを倒したシズカの方が、よっぽど大人気なくて恥ずかしいぞ。

 ああ、こうなったら自棄だ。
 国際問題になろうが戦争になろうが、どのみち僕が死刑になった後の話だ。
 僕が死んだ後の帝都がどうなろうと知ったことか。

 僕は自暴自棄になってRX9のアクセルを踏みつけてやった。