「なんですの、これは? しみったれていますわ」
最初シャブシャブの肉を見た時、コリーン嬢はその薄さに不快感を示した。
分厚いステーキばっかり食べているお嬢には、向こうが透けて見えるようなスライス肉が貧乏くさく思えたのだろう。
だが一口食べると、お嬢はたちまちシャブシャブの虜になった。
「貧弱で頼りないのに味わい豊か。それにこの繊細な歯ごたえはどうでしょう」
コリーン嬢は危なっかしい箸使いで、おろしポン酢を絡めた牛肉を何度も口に運ぶ。
取り敢えず、気に入ってもらえたようで何よりだ。
国際貴族のトップレディたるお嬢を怒らせるようなことになれば、うちの独身寮など明日にでも取り壊されてしまう。
お引き取りいただくまでは、ご機嫌を損ねぬようできる限りの努力をしなくてはならない。
「お代わり……持ってきた……」
シズカがスライス肉を盛った大皿を運んできた。
その姿は完全にメイドだが、恭しさは全く感じられない。
で、立ち去り際にわざとらしく前屈みになると、思った通りシズカはパンティを履いていなかった。
そんな命令など出してもいないのに、わざとノーパンシャブシャブを演じていやがる。
僕をメイド虐待の趣味を持つ変態野郎に仕立て上げ、お嬢から嫌われるように仕向けているのだ。
ロボットのくせに姑息な計算しやがって。
だが、シズカの悪巧みも変にズレているお嬢には通用しない。
そう、彼女は天然ものなのだ。
「クロー。何も知らない私にマナー違反をさせて、恥をかかそうとしてますの?」
お嬢は怒ったように立ち上がると、パンティを降ろしにかかる。
だから違いますって。
性悪ロボメイドの嫌がらせだってのに。
「本当にゲストは履いたままでよろしいですの? 後でこっそり笑おうとしてません?」
お嬢は疑り深そうに薄目で睨んできたが、どうにか脱ぐのを思い止まってくれた。
そんなこんなで、おっかなびっくりのお食事会はなんとか終えることができたのだった。
しかし、ラッキーだったのはサトコが留守だったことだ。
教会で重要な行事があるとかで、今日は帰ってこれないとのことである。
もし嫉妬深くてハードパンチャーの彼女がいたらどうなっていたことか。
サトコにはティラーノも糞も関係ないだろうし、コリーン嬢も僕の幼馴染みになんら斟酌する義理はない。
2人がケンカをすると決まっていたわけではないが、もしそうなれば間違いなく血の雨が降ることになっていたであろう。
「へぇ、クローはあのフジワラ家の出身なのですの」
食後のお茶を飲んでいる時、急に僕の出自の話になった。
フジワラ家は世界でも屈指の国際貴族で、実権はともかく家系の古さではミナモンテスやティラーノの上を行く。
だからコリーン嬢が驚くのも無理はなかった。
「嫡流じゃなくて、諸派の傍流の分家で……しかも僕は養子なんですけどね」
僕は自嘲気味に唇を歪めて笑って見せた。
それでも大したものだと、お嬢は感心したように頷いた。
「元の姓はクラマーといいます。孤児として神学校の養護施設にいたところをフジワラの養父に引き取られたんです」
ちっちゃい頃のことだから、本当の両親の顔なんか覚えてない。
クラマーというのも神学校の校長の姓であり、僕は自分の本名すら知らないのだ。
どういう経緯で僕を引き取ったのかは知らないが、大学の教授だった養父は本当に良くしてくれた。
義理の兄妹たちだって実の家族同然に接してくれたから、僕は歪むことなく成長することができたのだ。
彼らには幾ら感謝しても足りないほどで、生んでくれた両親以上に感謝している。
だが、その養父も今は他界してしまっているから、悲しいかな僕は親孝行というものをしたくてもできない。
「で、代わりに少しでも社会に尽くそうと、警察官の道を選んだってことですのね?」
コリーン嬢は勝手な解釈で自己完結して何度も頷いた。
「違う……クローは……『ウェスタンポリス』のディーモン団長の……大ファンで……」
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホン……」
シズカが得意気に僕の秘密を暴露しかけるのを必死の咳払いで押さえ込む。
せっかく感心してくれているんだから勝手にさせとけばいい。
子供のころ好きだった刑事ドラマに影響を受けて、なんてのよりはよっぽど立派じゃないか。
「なら……そうする……」
シズカは不服そうに口をつぐんだ。
僕についてなら誰よりも知ってると、コリーン嬢に自慢したかったのだろう。
「クローも苦労なさったのですね。いえ、駄洒落ではなくってよ」
そう言うお嬢は何不自由なく成長したんだろうなあ。
家族だって仲がいいみたいだし。
「そりゃあ、ティラーノは血の繋がりを大事にしますもの。身内同士で殺し合うミナモンテスとは違いますわ」
お嬢は誇らしげに胸を張るが、血縁を重んじるのはティラーノの出身母体がシシリーの非合法組織であるからに他ならない。
「難しい話は……分からない……もう寝る……」
シズカが面白くなさそうに言い切った。
今日は疲れたから、その意見には賛成だ。
寝てしまえばお嬢に煩わされることもなかろう。
で、どうしよう。
サトコの部屋、つか、寮室で唯一のベッドルームには施錠されており、残っているのはこのリビングしかない。
「なら……そう言うこと……2ひく1は1……簡単……」
単純な減算の結果、リビングにマットレスを敷いて川の字になって寝ることになった。
しかし、これって相当にヤバい図式になるのではないか。
僕を真ん中に、絶世の美女2人が添い寝するのだ。
どう考えても寝付く自信はない。
勝手に一人でドキドキしていると、いきなりシズカが飛び掛かってきた。
「おいっ、シズカ。これは何の真似だ?」
僕はシズカに向かって抗議した。
シズカが僕の体を洗濯ロープで縛り上げ始めたのだ。
「クローが間違いを起こせば……国際問題になる……から……」
失礼なことをいうなっ。
「小間使いにしてはいい考えですわ」
そう笑っていたコリーン嬢だったが、シズカは彼女にも飛び掛かっていった。
「不埒な真似はお止めなさいっ。あれぇっ……」
「あなたは……無理やりクローに……ご褒美をあげかねない……から……」
シズカは訳の分からないことを呟きながら、手際よくお嬢に亀甲縛りを施していく。
そして僕とお嬢をマットに転がすと、真ん中に寝ころんでスリープモードに入ってしまった。
いや、ピアスのLEDが消えているところを見ると、完全に電源を切ってやがる。
こうなるとシズカは朝の7時までは再起動しない。
シズカは僕の命令を無視する正当性を得るため、システムをダウンさせたのだ。
絶対服従のアンドロイドといえど、聞こえない命令には従わなくてもいい。
「やられたな」
僕はロープを解かせるのを諦めると、そっと溜息をついた。
まあ、これはこれで有りなのかもしれない。
後でサトコに知られた時のことを考えると、これ以上の保険はないだろうから。
けど、息をするのも辛いほど厳しく縛られているので寝付けやしない。
暗闇の中でまんじりともできずに黙っていると、僕の名を呼ぶ囁き声が聞こえてきた。
「クロー……クロー、起きていますの?」
僕は返事をせずに身じろぎだけで肯定の意を伝えた。
シズカはボイスレコーダーを生かしているだろうし、滅多なセリフを吐いてしまえば後で大変な目にあう。
浮気の証拠としてサトコに提出でもされたら酷いことになる。
「唐突ですが聞きたいことがあります。クローはあのいけ好かない都知事の何なんですの?」
いきなり答えようのない質問が向けられた。
そんなことを尋ねられても困る。
僕が宮家島レースで優勝したことにより、都知事はティラーノを島から閉め出すことができた。
結果だけを見れば、僕は都知事を助けたことになる。
お嬢が僕たちの関係を勘ぐるのも当然であろう。
「警視庁の上層部は、あの女を嫌っているようですけど。クローもアレとは敵対関係にあると思ってよろしいの?」
僕は警視庁の職員だから、組織の上層部を支持する立場にある。
それに、白河法子がいけ好かなく、油断ならない女だってのも間違いじゃない。
ただ、僕が従うべき上層部の連中は、彼女より更にいけ好かないってのも事実なのだ。
僕はこれまでに二度、上層部の命令を排して、女知事の意向に添った働きをした。
その方が公共の福祉のために役立つと考えたからだ。
決して知事の私兵として動いたわけではない。
僕が沈黙を守っていると、コリーン嬢が後を続けた。
「それを前提にお話ししますが、我々はアレを排除します。あの女は私腹を肥やすため、背任行為を重ねているのです」
我々というのはティラーノグループのことであり、彼らはいよいよ宮家島の復讐に出る決意を固めたのだろう。
しかし、背任行為ってのはなんだ。
「あの女は都の予算を着服して、多額の寄付金をバチカンの教皇庁に送り続けていますの。きっと次期世界政府主席の座を
汚れた金で買おうと企んでいるのですわ。えぇ、夢物語なんかではなくって、もちろん確かな証拠もありますのよ」
ということは、都知事は遂にティラーノの政敵になる決心をしたってことか。
相変わらず怖いもの知らずな女だな。
お嬢もお嬢で立派な口をきいているが、何のことはない。
社会正義など関係なく、単に目障りなライバルを蹴落としたいっていうだけのことだろう。
だが、法子知事の背任が事実ならば、僕にも見逃すことはできない。
都の予算ってのは都民が納めた税金であり、都知事のポケットマネーじゃないんだから。
公金横領は立派な犯罪行為なのだ。
「証拠って?」
「あるライターが都知事の不正を暴き、帳簿改ざんのデータをメモリーチップに収めたのです。それが『聖櫃』ですの。
そのライターは特ダネの買い手を物色している最中に射殺され、『聖櫃』は何者かの手によって盗まれてしまいました」
聞いたことのある固有名詞だと記憶を手繰っていると、ゴスロリ少女の顔に行き着いた。
確かトモエも『聖櫃』がどうかしたと言っていたはず。
「それですわ。盗まれた聖櫃は紆余曲折を経て、最終的に中華マフィアの手に渡ったと聞いています」
なるほど、ナショーカ警視正もそれを狙ってあの店にカチコミする予定だったんだ。
ガサ入れのどさくさ紛れに聖櫃をこっそり戴くつもりだったんだろう。
いいように利用されかけたうちの補佐こそ惨めだ。
聖櫃を手に入れれば、都知事だけじゃなくバチカンに対しても有効に使える。
まさに切り札というべき貴重な存在なのだ。
「あんな山猿に渡してたまるものですか。アレは価値が分かる者が手にして、初めて意味を持つのです」
帝都を手中に収めたいお嬢は、感情を露わにして語気を強めた。
世界制覇を目論む者は、必ずバチカンと我が帝都を狙うことになる。
名目上のことだが、世界政府の主席になるには教皇の指名を受けなければならない。
如何に力があろうと、教皇庁の承認を得ずして世界の王にはなれないのだ。
そして我が帝都を押さえれば、強力なロボット生産工場を手中に収めることになる。
現代戦はロボット兵器の優劣が全てを左右すると言ってもいい。
如何にソフトの面で欧米が優れているといっても、本体の技術ではこの国は世界の最先端を行っている。
特に二足歩行型ロボットの水準は、世界を大きくリードしている。
何といっても前世紀から子供がロボットで遊んでいる国なのだから。
ティラーノにとっても、帝都のロボット工場はノドから手が出るほど欲しいに違いない。
それを奪取するためにも、どんな手を使ってでも都知事を堕ちた偶像にしたいのだ。
「なんとしても他に先んじて聖櫃を手に入れる必要があります。クロー、手伝ってくれますね」
もちろん、と言いたいが、僕的にはどうなのだろう。
法子知事には恨みはないが、予算の横領が事実なら、僕にはそれを明らかにする義務がある。
けど、それは捜査2課の所管業務であり、特機隊の僕にとっては担当外に当たる。
しかも、その捜査が外国の利益に供するためとなると、下手をすると左遷ものだ。
いや、そんなもんでは済まされず、きっと懲戒処分の対象になるだろう。
「お願い、他に頼るあてはないのです。クローだけが頼りなのです」
勝ち気なトップレディにここまで下手に出られると困ってしまう。
まったく男って奴は──。
「で、どうすればいいんです」
僕はため息混じりにそう答えていた。
「あの店に聖櫃があったのなら、まだ瓦礫の下に埋まったままの筈ですわ」
コリーン嬢の声が弾んでいるのが、手に取るように分かった。
あのマッサージ店は崩落した直後から新宿署の監視下に置かれている。
殺人未遂事件の証拠固めのため、掘り起こしての捜査が必要と認められたのだ。
だから作業が始まる明朝までは、所管区交番の制服ポリスが立入禁止措置をとっている。
「現場保存は新任さんの仕事だから。上手くやればなんとか誤魔化せるんじゃないかな」
僕は彼ら新任ポリスにとって憧れの存在である特機隊の隊員だ。
それにこっちにはお色気満点の美女がついているんだから。
そうと決まれば即行動だ。
取り敢えず、身体の自由を回復させなければならない。
僕は苦労してシズカを乗り越えると、コリーン嬢ににじり寄る。
「ちょっとだけ失礼します」
世界で最も高貴なオッパイに半ば顔を埋めるようにして、僕はロープの縄目を噛みしめた。
柔らかい胸の谷間に鼻が沈み込んでいく。
あぁ、いい匂いに包み込まれて──なんだか頭がクラクラしてきた。
「クロー、ボヤッとしている場合じゃなくってよ。早く縄を外しなさい」
分かってるけど、海綿体に血液を独占されて思考が途切れ途切れになってくる。
首筋を流れる汗が夜風に当てられひんやりと感じた。
8階だと上り下りに苦労するが、風通しがいいのがありがたい。
特に夜は夏場でも冷房いらずなので電気代が助かる。
「えぇっ?」
この時、僕はとんでもないことに気付き、一瞬で我に返った。
どうして夜風が入ってくる?
今晩は防犯の必要上、窓は厳重にロックしておいたはずなのだ。
同時に背後に人の気配が。
振り返ると、闇の中に複数の人影が立っているのが見えた。
「て、敵襲……?」
何者が襲ってきたのかは分からないが、これ以上はないくらい最悪のタイミングだった。
頼みのシズカは完全に機能を停止させ、僕やお嬢ときたら間抜けにも相手に縛る手間を省いてあげるお人好しっぷりだ。
携帯麻酔スプレーのプシュっという音を最後に、僕の意識は暗闇の底に落ちていった。
強かに往復ビンタを喰らい、僕は闇の世界から現実に引きずり戻された。
「さっさと起きねぇか、このオカマ野郎」
目を覚ますと、人相もプロポーションも最悪な男が立っていた。
背後には男の手下と思われる数人が取り巻いている。
どいつもこいつもラテン系だが、一目でその筋の人間だと分かる。
まあ、警察の施設を襲撃してくる一般人もあまりいないだろうが。
「お嬢はどうした?」
僕は負けじと男を睨み返してやった。
すると、男はニヤリと笑った。
「ほぅ……自分のことより、まず女の身を案ずるとはな」
男は少し感心したようだったが、そんなことは当たり前だ。
決してナイトを気取っている訳じゃない。
お嬢にもしものことがあれば、どのみち僕は切腹なんだから。
「我々はカディバ一家の者だ。お察しのとおり、我々も聖櫃を狙っている」
やっぱりそっちの人種だったか。
最近カブキタウンで幅を利かせはじめたシシリアンの一派だ。
「昼間、アンタらの暴れっぷりを見せてもらったよ。いや、大したもんだったぜ」
アレを見られていたのか。
ほとんどシズカ一人の活躍だったけど。
彼らが現場に居合わせたのは偶然じゃあるまい。
新宿じゃ老舗にあたる中華マフィアと新興のシシリアンは犬猿の仲だから、互いにフルタイムで監視し合ってるんだろう。
「そこでアンタの腕を見込んで頼みがある。まさか嫌とは言わねぇよな?」
男はコリーン嬢を人質として機能させていることを言外に匂わす。
「武装警察官の監視網をかいくぐって聖櫃を取ってこい、って言うんだろ」
「ガハハハッ、ご明察。あの厳重な警戒の中だ、任せられるのはアンタしかいねぇ」
男はがさつに笑って答えた。
簡単に言ってくれるが、僕一人の力では無理な話である。
コリーン嬢のアシストがあればこそ、何とかなりそうだと思ったんだ。
「そりゃできねぇ相談だ。あの女は大事な人質だから、自由にはさせられねぇよ」
男はそうは行くかと唇を歪める。
「メイドロボの方なら使ってもらってもいいんだが、あっちは全然起きやがらねぇし」
男がカーテンを開けると、マジックミラー越しにとんでもない状況が見えた。
シズカがテーブルに載せられており、手下風の男たちに体をいじくり回されている。
メイド服は剥ぎ取られ、下着すら身に着けていないフルヌードだ。
「分解しようにも、どこをどうやったらいいのかサッパリ分からねぇらしい」
男たちはシズカを起動させようとしているのだろうけど、弄っているのはいかがわしい部分ばかりだ。
しかしシズカは一向に反応せず、男たちの下半身だけが思い切り起動していた。
こいつら揃いも揃ってバカだろ。
シズカが起動しなくて当たり前だ。
乳首やクリがスイッチとかって、エロ漫画じゃないんだぞ。
今のシズカは、午前7時までは一切の外部入力を受け付けないんだから。
「おいっ、直ぐに止めさせろ。汚い手でシズカに触るな」
僕の剣幕に気圧されたのか、男は手下たちに中止命令を出した。
「なら、人質は2人ってことで、アンタだけでやるんだな。俺は結果さえ出してもらえればいいんだ」
男はニヤニヤ笑いながら言った。
「けど、早いに越したことはねぇ。手下どもがロボ娘にもっとひでぇことやりかねないからな」
それはそうとして、コリーン嬢には手を出さない方がいいぞ。
僕はもちろん、アンタの一家だって無事には済まされないんだから。
くそっ、とんでもない展開になってきた。
僕は同僚が監視する立入禁止場所へ潜入し、泥棒をしてこなければならない。
しかも悪人の懐を肥やすためにだ。
断ることもできず、しくじってもヤバい結果が待っている。
タイムリミットは掘り起こしが始まる午前9時。
頼みとするシズカは、敵のアジトで集団セクハラを受けている真っ最中だ。
襲い来る絶望感のため、僕は目の前が真っ暗になっていくのを感じていた。