カディバ一家から解放されて自由の身になった僕だったが、どうしたらいいものか途方に暮れていた。
今の僕に頼れるのは自分の体一つで、相棒どころか武器さえもない。
そんな徒手空拳の状態で、武装警察官が見張る焼け跡からメモリーチップを盗んでこなければならないのだ。
元々の持ち主──中華マフィアの残党も遠巻きに監視してるだろうから、難易度は相当に高い。
こうなるとベンを本庁に置いてきたのが悔やまれる。
この時間だと、地下3階の駐車場は厳重にロックされている。
いや、ベンなら扉をぶち破ってでも飛んでくるだろうが、後の言い訳に困ることになる。
地下3階は押収品の保管所を兼ねており、全方位から監視カメラが見張っているのだ。
僕の愛車がロボットに変形して駐車場から出ていく──なんて映像は撮らせるわけにはいかないだろう。
「弱ったな」
僕は行くあてもなく、夜のカブキタウンをさまよっていた。
改めて自分の無力さを思い知らされ、なんとも情けない気分だ。
都知事の白河法子に泣きつこうにも、今回はそうはいかない。
あの『聖櫃』と呼ばれるメモリーチップは、彼女を失脚させるためのネタなのだから。
あれこれ思案しながら歩いているうちに、件の焼け跡近くに来てしまっていた。
ビル街の一角が完全に崩落しており、付近にはまだ焦げた臭いが漂っている。
現場には数人の制服ポリスが配置され、周囲を隈無く見張っているようだ。
パトカーの回転灯が、制服の夜光チョッキを定間隔で赤く光らせている。
見れば、まだ若い──おそらく卒配されて間もないルーキーばかりだ。
経験はないが、やる気だけは満々という、今の僕にとっては迷惑この上ない連中である。
計画ではコリーン嬢のお色気を目眩ましに使うつもりだったのだが、予定が狂ってしまった。
「さて、どうしようか……」
街路樹の陰から焼け跡を見張り、何度目かの溜息をついた時である。
「おにいちゃん……」
いきなり背後から呼び掛けられ、僕の心臓は停止しかけた。
振り返ると、ニンマリ笑ったトモエ01の顔があった。
この街には似つかわしくない、例のゴスロリ衣装のままである。
「おにいちゃんもやっぱり『聖櫃』なの?」
そう言う彼女もまた、マスターの命で聖櫃の回収を目論んでいるのだろう。
「萌ちゃんか……驚かさないでくれよ。隊長さんは?」
僕は無意識のうちにナショーカ・キッソ警視正の姿を探していた。
いきなり背後から怒鳴りつけられそうな気がしたのだ。
コリーン嬢のせいか、どうも国際貴族には苦手意識を持たされてしまったようだ。
「ナショーカなら家で寝てるよ。萌に一人でどうにかしてこいって」
トモエは不服そうに頬を膨らませた。
酷いご主人様だな、対するロボ娘の態度もどうかと思うけど。
「そうか、可哀相に……」
ちょっと同情した言葉を掛けてあげると、トモエは早くも目をウルウルさせ始めた。
「でしょ? でしょ? アイツったら酷いんだぁ」
トモエは唇を尖らせて恨み節を吐く。
「で、あのポンコツメイドは?」
トモエはようやく僕がシズカを伴っていないことに気付いたらしい。
「いや、僕はちょうど萌ちゃんと逆の立場なんだよね」
僕としては情けない笑みを浮かべるしかなかった。
ややこしくなるので事実だけを語り、詳細は省くことにする。
「なにそれ、ひっどぉ〜い。あんなバカロボット捨てちゃいなよ」
トモエは自分のことのように憤慨する。
「そうだ。おにいちゃん、萌と組もうよ」
トモエが目をキラキラさせて魅力的な提案をしてきた。
「いや、けどな。聖櫃は一つだけだし……萌ちゃんが怒られちゃうのは困るし……」
「いいの、萌は。成功しても、ナショーカならどうせ『ふんっ』だけだし」
これは驚いた、彼女にはマスターを裏切る機能なんて付いてるんだ。
ご主人様に嘘をつけるAIってのはどういう作りなんだろう。
人間に近づけようとしたあまり、ロボットじゃなくなっているような気もする。
いいのか、ザ・パワー・オブ・ドリームス。
大丈夫なのか、新しい世界を創るポンタの開発部は。
それでも、今の僕にとってはありがたい提案である。
「それじゃあ、お願いしちゃおうかな」
僕の決断で、即席のコンビが結成された。
はからずも、予定されていた特機隊とゼロ機の合同捜査が、形を変えて開始されたのである。
「じゃあ、萌が正面から突っ込むから、おにいちゃんはバックアップに回ってね」
トモエは植え込みの中からM66機関砲を取り出した。
20ミリ弾を毎分1000発の速度で発射するその砲は、本来ヘリや戦車に搭載する重火器である。
トモエは自分の身長とほぼ同じサイズのM66を片手で軽々と取り扱う。
見た目はちっちゃくて可愛いのに、恐ろしいまでのパワーだ。
しかし、頭の方は少し残念な出来らしい。
「ダメダメ、萌ちゃん。それじゃ同士討ちになっちゃうだろ」
見張りに立ってるのは、悪の組織の戦闘員じゃない。
僕たちと同じ、警視庁のポリスなんだ。
「あ、そうか。おにいちゃんに責任が掛かってきちゃうか」
君にもだ。
大ざっぱなのも程度の問題だぞ。
「じゃあ、どうするの?」
仕方がないな、作戦は僕が練ろう。
まずは対象の正確な位置が知りたい。
おそらく聖櫃は不安定な半導体メモリじゃなく、磁性を利用した記録媒体だろう。
信頼性に優れた光磁気チップあたりか。
だから、磁気を探れば所在が分かるかもしれない。
磁気の強さから媒体の容量が推測できれば更にいいんだが。
多分、フリーライターがよく使ってる、1ペタバイトくらいの市販品であろう。
事務用の媒体より大容量だから判別は簡単なはずだ。
「そんなの簡単だよ。ちょっと待ってて」
トモエは指向性センサーを働かせて、焼け跡をスキャンしていく。
「候補は9つ。磁気から推定した容量を元に絞り込むと、南東角近くにある対象が一番怪しいかな」
これで聖櫃の位置は割れた。
さて、どうやって接近するかだ。
「萌ちゃん、新宿署生活安全課のデータベースに侵入できるかい?」
そこにはこの店の営業許可をとる際に提出した書類が、デジタル化されて収められている。
その申請書類には、店舗の間取りを記載した平面図が添付されているのだ。
「おやすい御用だよ」
トモエはポシェットから6インチ画面のディスプレイを取り出すと、ケーブルを伸ばして耳の穴に接続する。
画面に文字が浮かび上がり、次々に流れ去っていく。
やがて目的の画面に辿りつき、一階のフロアが線画として描かれた。
どうやらマネージャー室ってのが目的の場所らしい。
「それから、帝都下水道局の施設管理部から付近の配管状況を入手してくれ」
「分かった。地下から攻めるんだね」
ご名答。
2つの図面を合わせると、敷地内に潜入する経路が見えてくる。
「店内の配管状態を見てくれ。マネージャー室の近くに太い配水管は通ってないか?」
「同じ部屋にシャワールームがあるけど、これは細すぎるね」
中を這っていくのだから、いかに僕が細身でもある程度太いパイプでないと。
「裏庭に洗車場があるな。ここならなんとかいけそうだ」
それでもそこは裏通りに近く、警戒中の制服ポリスに気付かれるおそれがある。
崩れ残った壁のお陰で視界は妨げられても、音がどれだけ響くか分からない。
「おにいちゃん、萌に任せときなよ。アイツらバッチリ引きつけとくから」
トモエが貧弱な胸を叩いてウインクする。
「おにいちゃんはそのまま聖櫃を持ってトンズラしていいよ」
いいのかな、マスターを裏切らせたりして。
罪悪感は残るが、背に腹は替えられない。
「よっ……と」
トモエは近くのマンホールに指を掛け、ポリバケツの蓋を開けるように軽々と持ち上げた。
体格も力も女の子並みの僕には到底できない芸当だ。
「それじゃあしっかりね」
トモエはパンと缶コーヒーを入れた籠を持って立ち上がる。
差し入れに来た近所の警察ファンを装って、見張りを引きつけてくれるのだ。
連中がホモか堅物じゃない限り、しばらくは時間が稼げるだろう。
「悪いね、萌ちゃん」
「そう思ってるのなら、今度こっそり萌とデートしてね」
おやすい御用だ。
ナショーカやシズカはともかく、サトコの監視網をかいくぐるのが難しそうだが。
なんとか聖櫃の回収に成功した僕だったが、真っ直ぐカディバの所に帰るわけにもいかず繁華街をぶらついていた。
奴らにはコリーン嬢とシズカを人質に取られている。
聖櫃を渡したからといって、すんなり彼女たちを返してくれる保証はない。
ヤクザ者の遣り口など、どこの国でも似たようなものだろうし。
まあ、放って置いても午前7時になってシズカが起動すれば、連中はお終いなわけなのだが。
心配なのはコリーン嬢だ。
間違いでもあれば、この国の存亡に関わる大事に発展するのだから。
いや、それだけではない。
高慢だが意外に可愛らしい一面を持つあの美人を、僕は嫌いじゃなくなり始めていたのだ。
どうしたものかと思案していると、前方からチャラチャラした男が近づいてくるのが見えた。
チャラ男にお似合いの、軽そうな女を何人も連れている。
いかにも軽薄そうなその男は、僕もよく見知った顔であった。
向こうも僕に気付いて声を掛けてきた。
「クローのアニキじゃねぇか? あれっ、アネさんは?」
その男はかつての仇敵で、今は情報屋として協力してくれているヒューガー・イッセーであった。
僕がシズカを伴っていないと知ると、ヒューガーはホッと溜息をついた。
以前、コイツはシズカに殺され掛かったことがあるから、相当怯えているのだろう。
「こんな場所で会うなんて珍しいねぇ。おっと、深夜徘徊で少年補導なんてのはゴメンだぜ」
見掛けは10代半ばでも、こいつはカテゴリー3のサイボーグだから補導なんかされっこない。
何のことはない、僕が警察官であることを連れの女たちにさり気なく伝えたのだ。
即ち、自分にとって都合の悪いことを口にしてくれるなと、女たちに釘を刺したに違いない。
この分だと、性懲りもなく悪事に手を染めているんだろう。
けど、今は管理売春とかのケチな犯罪に関わっている暇はない。
こっちは国際紛争を回避できるか否かの大問題に直面しているのだ。
「せっかく会ったんだから、その辺で一杯やってかないかい」
本当は一刻も早く立ち去りたいくせに、ヒューガーは僕を酒に誘う。
未成年である僕が立場上乗ってこないと知った上でだ。
相変わらずズル賢い奴だ。
だから嫌がらせでちょっと立ち話に付き合ってやることにした。
彼の持っている知識を借りることにしたのだ。
「えぇっ、カディバ一家のことが知りたいってのかい?」
早く立ち去りたいのか、ヒューガーは迷惑そうに顔をしかめて答え始めた。
「現在のボスはカゲット・カディバってオッサンだよ。規模的に言えば中堅どころの組かな」
こういうのは暴対課の連中なら知ってて当然の話なんだろうけど。
門外漢の僕には中堅どころってのが、どの程度のものなのかサッパリ分からない。
しかし、次にヒューガーが発した言葉が僕を凍りつかせた。
「けど連中と一戦交えようってんなら、相当にヤバいぜ。なにせ、ティラーノの傍流に当たる極東八家の一つだからなあ」
ティラーノ? 極東八家?
後で知った話だが、ティラーノが国際貴族になる際に、マフィア稼業を続けようとする派閥が世界中に拡散したという。
その中でも東アジアに根を下ろした有力な8グループを、俗に極東八家と呼ぶらしい。
ホルジオーネ、ミユラ、ティーヴァ、カズーシャとか、それに件のカディバ一家もそうだ。
「そうか……カディバ一家ってのは、ティラーノグループの一派なのか……」
「だからティラーノ宗家が帝都に進出してきたってんで、最近じゃ息子のスェード・カディバまでが幅を利かせてやがるんだ」
それが気に食わないのか、ヒューガーは吐き捨てるように言った。
「かく言う俺もティラーノに属するイッセー家の出なんだけど、連中より遙かに宗家に近い格上なんだぜ」
ヒューガーがさり気なく自慢する声は、もう僕の耳には届いていなかった。
それからどこをどう歩いたのか覚えていないが、気が付くと僕はカディバ一家の事務所の前に立っていた。
色々悩んでいたことが急にバカらしくなってきた。
騙されて利用されたのは腹が立つが、絶体絶命のピンチが現実のものじゃなくてよかった。
僕とシズカはともかく、コリーン嬢は最初から安全だったのだ。
ドッキリカメラにはめられたお笑い芸人ってのは、こんな気分になるのだろうか。
この時の僕は怒るより、むしろホッと安堵していた。
「早かったじゃねぇか」
ボスらしい男がにやついた顔で僕を出迎えた。
こいつがカゲット・カディバか。
「ふん、僕を誰だと思ってるんだい」
僕は不遜な態度でカゲットを睨み付け、メモリーチップを投げ渡した。
「現場じゃ一発の銃声もしなかったらしいじゃねぇか。さすがは特機隊、俺様が目を付けただけのことはあるな」
カゲットは感心したように唸り、聖櫃を部下の男に手渡した。
こんな奴に褒められても嬉しくも何ともない。
それより早く帰らせてもらいたい。
「そう慌てるな。手下に案内させよう」
手下の案内で通されたのは瀟洒なゲストルームだった。
ノックしてドアを開けると、中ではコリーン嬢が紅茶を飲みながらファッション雑誌をめくっているところであった。
テーブルの上には色とりどりのフルーツやお菓子が並んでいる。
VIP待遇を受けていたのか、お嬢はリラックスムード満点だ。
「遅くなって申し訳ありません。お迎えに上がりました」
ドアを開けたのがマフィアでなく僕だと気付くと、お嬢は驚いたようにソファから立ち上がった。
「クロー……」
お嬢の顔に狼狽の色が広がっていく。
「で、聖櫃は……メモリーチップはどうしたのです?」
「連中に渡しましたよ。仕方がなかったのです」
僕はあなたを人質に取られてたんだから。
それよりも早いところここをお暇したい。
「そ、そうですわね。聖櫃のことは後で考えましょう」
コリーン嬢はぎこちない動きで僕に続く。
ドアのところに案内の手下が立ち塞がっていた。
そのお気楽そうなヘラヘラ顔が無性に癇に障った。
「どけよっ。宗家のお嬢さまのお通りだろっ」
僕がついカッとなって怒鳴った瞬間、コリーン嬢の顔が真っ青になった。
「クロー、あなたは思い違いをしています。説明させてください」
お嬢の声は震えを帯びていた。
「確かにカディバ一家はティラーノの傍流です。しかし、何年も前に袂を分かち、今では相互に何の友誼もありません。
いえ、極東八家の一つ、ホルジオーネがミナモンテスに荷担するなど、我々とはむしろ敵対関係に近くなっているのです」
お嬢はムキになってまくし立てる。
「今回のことはカゲットの独断で、私は何も関与していません。彼らが今すぐに本家と争うつもりはないと知らばこそ
私も身の危険は感じませんでした。ですが、人質に取られていたのは本当なのです。私の名誉に誓って嘘ではありません」
喚いているうちに感情が激したのか、コリーン嬢の目に涙が滲んできた。
「いえ、そんなことどうでもいいことですから」
そう言う僕の声は、自分でも驚くほどドライだった。
「信じて……くれませんの……?」
お嬢の両肩が弱々しく落ちる。
「ですから、どうでもいいじゃないですか。お嬢がご無事だったんですから」
「…………?」
「連中から酷い目にあわされてるんじゃないかって、死ぬほど心配してたんですよ」
僕がそう言った途端、いきなりコリーン嬢が僕の胸にしがみついてきた。
そしてワンワン声を上げて泣き始めたのだった。
多分、お嬢の言ってることは真実なのだろう。
路傍の石に過ぎない僕を道具に使っても、悪びれる必要もない立場の人なんだから。
まして、彼女の性格からして、たとえ演技でも他人に涙を見せることなどあるまい。
それにしても参ったな。
シャツにお嬢の匂いを付けて帰ったら、サトコに殺されてしまうかも。
今のうちに言い訳を考えておかなくては。
僕たちが部屋を出て階段のところまで来ると、何やら階下で騒ぎが起こっていた。
誰かが大暴れしているらしい。
「な、何の騒ぎですの? まさか、中華マフィアが聖櫃の奪還に……」
「僕が仕掛けていた時限爆弾が作動したのですよ」
知らぬうちに夜が明けており、腕時計を見ると午前7時になっていた。
タイマーが作動して、ようやくシズカが起動したのだ。
計算どおり、バッチリのタイミングだ。
踊り場から一階に下りていくと、ちょうどゴロツキの一人が飛んでくるところであった。
ゴロツキはボールみたいにバウンドして、床の上でピクリとも動かなくなる。
それを追うようにシズカが現れた。
あられもないマッパのままだ。
「あ……クロー……目が覚めたら……なぜかこんな所にいた……詳細な説明を……」
不審顔のシズカの足元でゴロツキが呻き声を上げる。
それをシズカが踏みつけた。
彼女がここまでやるからには、連中は生身じゃなくサイボーグなんだろう。
「こいつ……シズカのお尻に……ドリルを突き立てていた……」
シズカは腹に据えかねたのか、カンカンに怒っている。
まあ、寝てる間にアヌスを弄られちゃ、大概の女の子は怒るだろう。
「で、どうなの? お尻、大丈夫なのかい」
僕が心配して問い掛けると、シズカは小首を傾げて黙り込んだ。
「なんか……変……」
「えぇっ?」
「……よく…分からなかった……ハッキリさせたいから…今度…クローが試してみて……」
おいおい、変な味を覚え込まされたんじゃないだろうな。
僕にはそんな趣味はないんだから、そんな熱っぽい目で見詰められても困る。
そこへ武器を抱えた組員どもが駆け付けてきた。
屋内なので重火器は使えず、ぶっ放しているのはマシンガンくらいの物だ。
だから補助装甲のメイド服がなくてもシズカはへっちゃらだ。
それにしても、この期に及んでオッパイばかり狙ってるのは男の業なのか。
威力の小さな拳銃弾では、せいぜいオッパイをプルルンとさせるのが関の山なのに。
そんなソフトタッチじゃシズカを悦ばせるだけだぞ。
「ひぃぃっ?」
「化け物ぉ?」
後ずさりする組員にシズカが近づいていく。
「ア、アンタ。暴力メイドを止めてくれ。このままじゃ組が潰れちまう」
カゲット・カディバが僕に泣きついてきた。
「さて……どうしたモンでしょうかね、お嬢?」
「あら、私を拉致などしたのですから、どのみちカディバ一家に将来などありませんのよ」
僕とコリーン嬢は顔を見合わせて笑ってやった。
カゲットが真っ青になる。
「聖櫃を諦めて私に渡すというのなら、考えてあげてもよろしくってよ」
コリーン嬢がホホホッと笑い声を上げると、カゲットは観念したように項垂れた。
「そう、人間諦めが肝心ですわ。それに私が使おうがあなたが使おうが、どうせ同じ結果が生じるのです」
そのとおり。
違うのは彼の元に大金が転がり込むか、込まないかだけだ。
どちらにせよ、白河法子都知事が失脚することには変わらないのだ。
「さあ、観念なさいっ」
諦めたカゲットが書斎のドアノブに手を掛けた時であった。
部屋の中からパリンというガラスが割れる音がした。
カゲットがドアを開けるのと、黒服の男が窓から飛び降りるのが同時だった。
「無いっ、聖櫃が盗まれている。ベルリーニの奴、チャイナ野郎のスパイだったのか」
カゲットがオーバーに頭を抱えてしゃがみ込んだ。
なるほど、隠し金庫が壁から露出しており、合金の扉が開けられている。
逃げていった男は、組に潜り込んでいた中華マフィアのスパイか。
「追いかけましょう」
コリーン嬢が割れた窓から飛び出していく。
「待て、君は服を着てからだ」
マッパで続こうとするシズカに釘を刺し、僕も窓から飛び出す。
左右を見渡すと、路地から裏通りへと走るお嬢の背中が目に入った。
早くも太もものホルスターからベビーバレッタを抜いている。
くそ、またパンティを拝みそこねたではないか。
不埒な考えを振り捨てて、僕は慌ててお嬢を追いかける。
「お待ちなさいっ。止まらないと、背中からでも遠慮なくブッ放しますわよっ」
警告するお嬢の口調は丁寧だが、有無を言わさぬ厳しさを帯びている。
脅し文句も堂に入っており、本職の僕なんかよりずっと迫力がある。
問題なのは、台詞を言い終わらぬうちに早くも撃ち始めた気の短さだ。
ベルリーニは背中を丸めた姿勢で走り続けていたが、逃げ切れぬと見て手近の建物に飛び込んだ。
そこは帝都でも由緒ある、古いローマ教会の大聖堂であった。
罰当たりのくせに今さら神様に縋ろうってのか。
僕とお嬢が同時に聖堂に飛び込む。
次の瞬間、聖堂の奥から叫び声が上がった。
「ギャアァァァーッ」
聞くもおぞましい男の悲鳴だ。
「何事っ?」
見ると、大聖堂の最前列、聖壇の前にベルリーニが転がっていた。
焼けただれた顔面や、スーツの背中から立ち上っている煙を見れば、彼が死んでいるのは一目瞭然だ。
そしてその隣には、チャイナ服を着た別の男が倒れている。
この死体はベルリーニを買収し、聖櫃の奪還を目論んだ中華マフィアの一員だろう。
ベルリーニがここに逃げ込んだのは偶然じゃなく、取引の場所だったからなのだ。
しかし、誰が2人を殺ったんだ。
ふと、視線を上げた僕は、思わず息を飲んでしまった。
朝日が差し込むアーチ窓のところに、なんと2人の天使が立っていたのだ。
なぜ天使だと分かったかって?
そんなもの見れば誰でも分かる。
如何なる芸術家でも創造不可能な完璧なプロポーション。
金色に輝く肌と、背中に生えた白銀の翼。
そして頭上には朝日より遙かに眩い光の環が──。
見る者をひれ伏せさせるような、人外の美しさに溢れていた。
これだけの神々しさなのだし、きっととびきり美人のはずだ。
しかし光の環が眩しすぎて、顔を直視できない。
網膜がヤバくなってきたので視線を落とすと、無惨になったベルリーニの死骸が目に入った。
その手元には聖櫃が転がっている。
思わず歩み寄ろうとした僕を制するように、ロングヘアの天使が右手を掲げた。
そこから光が発せられたと思うや、メモリー・チップはドロドロに溶けてしまった。
「て、天罰……?」
僕は腰を抜かしてしまった。
「たぶらかされないで。ただの虚仮威しですわっ」
コリーン嬢の叱責が僕を我に返らせた。
お嬢を見ると、厳しい顔で天使たちを睨み付けている。
「マリーヤ、どういうこと? これがバチカンの意向だというのっ?」
お嬢は2丁のベビーバレッタを天使に突き付ける。
だが、無駄だと知っているのであろうか、直ぐに銃を下ろした。
「お、お嬢は天使に知り合いがいるのですか?」
我ながら滑稽な質問をしてしまった。
しかし、コリーン嬢はニコリともせずに答えた。
「バチカンの意思を体現する者。教皇庁が飼っているサイボーグどもです」
飼ってるといっても、愛玩用って訳じゃなさそうだ。
熱線兵器を操るサイボーグとなると、かなりのエネルギーを秘めているはずである。
それでいて通常サイズの人型とは、余程の高性能マシンなんだろう。
「マリーヤ、黙ってないで何とかおっしゃい」
尚も食い下がるコリーン嬢に対し、ロングヘアの天使が答えた。
「コリーン殿のあずかり知らぬこと……」
耳障りのよい、とても綺麗なイタリア語であった。
「帰って御尊父にお伝えあれ。教皇様は急激な変化を望んでおられません」
つまり、しばらくはティラーノに天下を取らせるつもりはないということか。
コリーン嬢は悔しそうに唇を噛みしめていたが、どうすることもできなかった。
戦闘に入れば勝ち目がないことを知っているのだ。
僕がひたすら畏れ入っていると、あろうことか天使様からお声が掛かった。
「帝都の若き英雄よ」
英雄?
そう言えば、ちょっと前にそう呼ばれていた時期があったっけ。
「コリーン殿を連れて立ち去りなさい。あなたの従者が到着すれば、戦いは避けられないでしょう」
天使様はシズカのことまで知っている。
こちらの手の内など、全てお見通しらしい。
「あなたは死ぬにはまだ若すぎます。即刻、ここを立ち去りなさい」
なんと、天使様はシズカのことを知りつつ、彼女など怖れるに足らぬと言うのか。
驕る風でもなく、ただ事実を淡々と述べるような口調であった。
メイド対エンジェルの戦いを見てみたい気もするが、こんなことでシズカを失うわけにはいかない。
戦略的価値のない勝利など、何の意味もないことは明らかであった。
もはや聖櫃は失われ、全ては闇に葬られてしまったのだ。
未練がましく天使たちを睨み付けるお嬢を諭し、僕はおいとますることにした。
大聖堂を出ていこうとする僕の背中を、天使マリーヤの声が後押しする。
「あなたは何も見ていない。全て忘れてしまいなさい」
驚いたことに今度は日本語だった。
イタリア語以上に流暢で、奇妙なことに以前どこかで聞いたことがあるような、親近感を抱かせる声であった。
「結局、なんのお役にも立てませんでした」
その日の午後のこと、ナリタエアポートの搭乗口で、僕はコリーン嬢に頭を下げていた。
本国へ帰る彼女の護衛と見送りが、本任務の最終ミッションとなった。
お嬢が来日した真の目的は支部の候補地探しではなく、聖櫃の奪取にあったのだろう。
邪魔な都知事を失脚させる切り札は、遂に手に入れることはできなかった。
だが、強かな彼女のことだから、また直ぐに次の手を考えつくであろう。
その時、お嬢が僕の敵になるか味方になるか、それはまだ分からない。
「所期の目的は果たせました。それに……」
コリーン嬢はエヘンと咳払いをしてから後を続けた。
「こちらに寄った時のプライベートな拠点を手に入れることができましたから。これは大きな収穫ですわ」
それって、まさか──。
「次はプライベートで遊びに来ますから。その時はよろしく」
性懲りもなく、また我が独身寮に泊まりに来るってのか。
仕事でこき使われてもいいから、それだけは勘弁して欲しい。
「では、今度はクローがうちにいらっしゃい。招待しますわ」
それも勘弁して欲しい。
警護のSPたちに囲まれながらでは、何もできやしないじゃないか。
それに何十万円もするご馳走ったって、巨大な皿に山盛りになった蟹チャーハンくらいしか思いつかない僕なんだ。
恐れおののく僕の姿を楽しみたいってのなら、それは悪趣味というものだ。
「それじゃ、時間ですので。アリヴェデルチそしてグラツィエ」
軽く片手を上げて去っていくお嬢の姿は、初対面の時とは別人のようであった。
「ようやく……帰ってくれた……」
人混みに紛れて護衛をしていたシズカが近寄ってきた。
「結局、何だったんだろうな。よく分からない人だったけど」
僕は肩の荷が下りたとばかり、長い長い溜息を漏らした。
「あの女は……クローと生殖行為をするために……やってきた……」
あまりに淡々と語るものだから、最初シズカが何を言っているのか理解できなかった。
「な、なんだって?」
「あの女は……初めて自分を負かした男に……心理的劣等感を抱いた……」
確かに、宮家島ではメチャクチャ悔しそうにしてたっけ。
「そして負の葛藤を合理化するため……クローを自分に相応しい男だと……思い込もうとした……」
なるほど、自分は凄いがその自分を負かした男は更に凄い。
故に、自分が負けたことは恥ではないってことか。
けど、僕とセックスしたいなんて、そんな素振りも見せなかったぞ。
「あの女は……最初から最後まで……全身で訴えかけていた……端から見ていて……まる分かりなくらい……」
くっそお、どうして教えてくれなかったんだ。
断言してやる。
あんな美人とやれる機会なんて、二度と巡ってこないんだぞ。
「可哀相なコリーン……クローなんて……それほど大した男じゃ……ないのに……」
シズカは拗ねた口調で決め付けてくれた。
いやにお嬢の肩をもつじゃないか、あんなに毛嫌いしていたのに。
「それは……コリーンが…本気でシズカに…嫉妬してくれた……最初の女だから……」
そう呟くシズカの顔は少し嬉しそうであり、また照れ臭そうに見えた。
なるほど、シズカはシズカでそういう心理か。
まあ、あのお嬢に掛かっちゃ、相手が人間だろうがロボットだろうが一切関係ない。
常に両舷全速前進の豪華客船みたいなもんだからな。
「ところで、それってもしかして告白? 君も僕に恋してるの?」
シズカに恋愛感情が芽生えるなんて、最初会った時には考えもしなかった。
人間と交わることにより、AIもどんどん進化していってるのだろうか。
いや、人間らしくなるのは一向に構わないが、平気でマスターを裏切るようなトモエみたくはなって欲しくないなあ。
僕が黙って見詰めていると、シズカは急に不機嫌そうに仏頂面になった。
「知らない……シズカは…必要とする量の蛋白燃料を……常に確保していたいだけ……」
あらら、やっぱり素直じゃないんだな。
けど、こっちの方がシズカらしくていいのかもしれないな。
「そんなことより……そろそろ帰宅したサトコが……明らかにシズカのものとは異なる……長い長い金髪を見つけるころ……」
えぇっ?
「シズカが……洗面台に集めておいたから……」
君って奴はぁ──。
昨日から抱いていた鬱憤を晴らすため、サトコの腕力を利用しようとしていやがるんだ。
自分じゃ直接僕を殴れないからといって。
これは一難去ってまた一難だ。
「いい提案が……ある……」
シズカが意味ありげな視線を送ってきた。
「イセタンに……ステキなプラチナブロンドの……ウィッグが売っているの……シズカ前から知ってる……」
ああ、そう言うことですか。
分かりました、買わせていただきますとも。
サトコに対する言い訳ができて、なおかつ君が喜んでくれるのなら言うことはない。
きっと驚くほど高いんだろうけど、命あっての物種だもの。