食卓に並んでいるのは、炒めたウィンナーに目玉焼き、それにバターを薄く塗ったトーストとホットコーヒー。
これが今日の朝食である。
全部相棒のシズカが作ったものであり、ようやくここまで成長してくれたかと軽く感動してしまった。
シズカは警視庁が採用した初のバトルドロイドで、要人警護用に作られたウーシュ0033型の一体である。
ウーシュタイプの主任務は官邸で一人暮らしする要人の警護であるが、ハウスキーパーとしての能力をも兼備している。
独り身の男にとっては、何かと便利な造りになっているのだ。
ところがうちのシズカときたら、メイドとしての機能が完全に欠落している。
警視庁が彼女を導入する際、警察官として不必要なソフトを全て削除したというのが専らの噂だ。
充分にあり得る話だ。
なにせ仕事用のパソコンを貸与するにあたり、わざわざプレインストールのゲームソフトを削除してくれるような組織だし。
市民の目を怖れる余り、上層部が余計なことをしてくれるから、運用する側にしわ寄せが掛かってくるのだ。
戦闘以外は何も知らないシズカをここまで仕込むのに、どれだけの苦労をしたことか。
ともかく、今日で味気ないコンビニのモーニングセットとはサヨナラできる。
「いっただきまぁ〜す」
コーヒーを啜ってみると、注文通りの濃さに仕上がっている。
ちゃんと事前の蒸らしを充分に行ってくれたな。
「ふぅ〜ん。一応まともじゃないの」
もう一人の同居人であるサトコも好意的な評価を下してくれた。
サトコは僕の養家の近所に住んでいた女の子で、いわゆる幼馴染みという奴である。
僕が警視庁に入るのと同時に彼女も上京し、今はミッション系大学に通う敬虔なカトリック教徒だ。
神の使いである彼女が褒めるのだから、嘘とかお世辞ではないのだろう。
「クローの指示に従っただけ……それより……早く食べないと……遅刻……」
ああ、そうだった。
今日は朝一番に都庁に出向き、都知事の白河法子と会わなければならないのだ。
あの女都知事に関わってロクなことになった例しはないが、すっぽかすわけにもいかない。
それに都知事の可愛いSP、ナースのジョオ・ウィッチに会えるかも知れないし。
ニヤニヤしそうになるのをこらえ、朝食を平らげにかかる。
サトコもシズカもテレビを見ながら黙々とトーストを囓っている。
ここでふと疑問が生じた。
「あのさ、シズカ。君って普通に飲み食いしてるけど、それってどうなるの?」
シズカには最高機密とされる動力源が内蔵されており、それで活動に必要なエネルギーを賄っている。
また、装甲に貼られた生体組織を維持するために、活性酵素を補給しなければならないことも知っている。
しかし、それ以外に栄養素を摂取する必要などないはずなのだが。
まさかとは思うが、単にお付き合いってわけじゃないよな。
「……知りたい?」
家長として一応聞いておこう。
意味のない出費でエンゲル係数を上げ、家計が逼迫するのは困るからな。
「摂取した食物は……体内で分解の後……濃縮を経て……安定のため乳化される……」
「ほう、それで?」
「それは……シズカの胸部タンクに貯蔵され……いざという時には……甘くて栄養タップリの……非常食になる……」
シズカはそう呟くや、衣服越しでも分かるメロンサイズの乳房を両手でグイッと持ち上げた。
「ブッ……」
は、鼻血が。
今すぐ2人で富士の樹海に行こう。
もちろん、遭難するために。
なんて考えていたら──。
「……ウソ……信じた……?」
ゲッ、この糞ロボット、はめやがったな。
いつの間にウソをつく機能なんか習得したんだ。
「糞はあなたでしょう。何みっともないバカ面を晒しているのです」
一部始終を見ていたサトコがせせら笑った。
「どうせ八甲田山にでも行こうとか、くだらないこと考えていたのでしょう?」
す、鋭すぎる。
さすがは幼馴染み。
「それほど遭難したいのなら、希望の場所を申し出なさい」
えっ?
「月くらいまでの距離なら、お望みの場所までぶっ飛ばしてあげますから。もちろんあなた一人でね」
サトコの目が聖職者とは思えない鋭さになっていた。
やばくなってきたから直ぐに出勤することにする。
せっかく美味しいコーヒーをゆっくり楽しもうと思っていたのに。
しかし命あっての物種、畑あっての芋種だもの。
寮から都庁のある副都心まではアッと言う間の距離だった。
愛機ベンKCを駐車場にぶち込み、知事室のある7階までエレベーターで上がる。
意外に低い階に知事室があるのは、防犯および防災に対する備えであるという。
都庁の本庁舎は地上80階、地下10階の堂々たる構えだ。
白河法子はこの高層ビル建設の落札を担保として、巨大ゼネコンをグループごと味方に引き込んだと聞く。
自分が当選したら庁舎を新調するから、その時は悪いようにしないってわけだ。
それがタチの悪い都市伝説じゃないとすれば、現都政はスタート時からして癒着体質全開だったことになる。
真偽はともかく、白河法子は選挙戦を制し、知事室でふんぞり返る身分となっている。
7階に着くと、直ぐにセキュリティルームでのチェックを受ける。
僕は出勤前なので丸腰だが、歩く武器庫であるシズカはきっちりシステムに引っ掛かった。
アラームと共に前方のドアがロックされ、先に進めなくなる。
本来なら専用ボックスに銃器を収納すればロックは解除されるが、シズカの場合はそうもいかない。
ウーシュタイプの強力な火器は全て内蔵式だから。
「仕方がないな。君はロビーで待っててくれ」
僕はシズカにそう命じながら、内心でほくそ笑んでいた。
なかなかに気の利いたシステムだ。
お陰で邪魔されずにナースのジョオ・ウィッチに接近できる。
上手く行くと親しくなれるかも。
シズカは不信感ありありの目で僕を見ていたが、意を決したように固く閉ざされたドアの隙間に両手の指先を突っ込んだ。
そして強引にロックを引きちぎる。
バチッと火花が散ったかと思うと、分厚いセキュリティドアが左右に開いた。
「これで……問題ない……」
シズカは呆気に取られた僕を置いて、先に知事室へと入っていった。
「困ります。こんなことなさらなくとも、お二人を通すよう申しつかっておりましたのに」
気の強そうな秘書がキンキン声で抗議してくる。
「こんなセキュリティじゃ……元々意味がない……」
ダメな機械は壊れて当然、とシズカは一向に悪びれない。
まあ、確かに彼女がテロリストじゃなくてよかったのは事実だ。
「クロード主任、シズカさん」
名を呼ばれて振り返ると、次の間からミニの白衣を着たナースが出てくるところだった。
都知事の専属SP、ジョオ・ウィッチ巡査長だ。
警備部警護3係から派遣されているサイボーグで、射撃の腕前は超絶ものだという。
嘘か誠か、超遠距離射撃時には人工衛星を照準器に用い、高々度をマッハで飛ぶ戦闘機すら3機に2機は墜とせるらしい。
「やあ、この前はありがとう。いつぞやの狙撃はあなたでしょう?」
これは先日行われた宮家島レースの時のお礼だ。
彼女が逃げ切りかけたロボットカーを狙撃してくれたお陰で、僕たちはレースに優勝できた。
時速600キロで突っ走るエアカーのサイドミラーを吹っ飛ばした腕前は、まさに神業と言い切れる。
僕が褒めても、ジョオ・ウィッチはニコニコ笑っているだけで返事もしなかった。
さすがは警備部、秘密任務については口が堅い。
このSPがついている限り、白河都知事のセキュリティは万全だろう。
「それが、もうすぐ任期が切れるんです。名残惜しいのですが」
SPの任期は長くても1年以内だという。
これは警護員が対象に特別な感情移入をしないように、との配慮から来る規則らしい。
彼女は飛び切り優秀らしいから、後任の警護員はさぞかし苦労することだろう。
「都知事の警護が終了したら人事異動ですの。次は特機隊でも希望しようかしら」
そいつはありがたい。
可愛い女の子は大歓迎だし、彼女をバックアップにつけたら怖いものなしだ。
「要らない……間に合ってる……わ……」
シズカは不機嫌そうに呟き、自分こそが特機隊の主演女優だと言わんばかりに身を反らした。
ほんと、シズカってサトコには遠慮するけど、他の女の子に対しては容赦しないな。
やっぱり「サトコは本妻」ってイメージがインプットされてるんだろうか。
手も握らせてくれない本妻なんてのはどうかと思うが。
「そ、それじゃ、都知事がお待ちですから」
ジョオ・ウィッチは取り繕ったような笑顔で、僕たちを知事室にいざなった。
「あら、クローちゃん。朝早くから悪いわねぇ」
局アナ上がりの都知事が、満面の笑みを浮かべて僕を歓迎してくれた。
その笑顔が僕に精神的緊張を強いる。
この人がニコニコしている時は、大概よからぬことを企んでいるのだ。
第一期ロボコップ計画と称し、僕にシズカを押し付けてきたのもこの女性だ。
宮家島カジノ化計画では、ティラーノ駆逐の尖兵として扱き使ってくれた。
タレ目でバカっぽい笑みを浮かべていても、頭蓋骨の中に詰まってる東大首席卒業という一級品の脳みそは侮れない。
今度はどんな無理難題を押し付けようとしているのか。
「嫌ぁねぇ、そんな怖い顔しないでよ。あたしとクローちゃんの仲じゃない」
シズカがピクリと反応し、僕の顔をジッと見詰めてきた。
明らかに僕と都知事がどんな仲なのか疑っている。
ポリグラフの如く、僕の体表温度や心拍数の変化を計測しているのだ。
「で、今日はどんな用件で呼ばれたのでしょう。僕もなにかと忙しいんですが」
僕の声は恐怖のせいで、ちょっとだけうわずっていた。
シズカが直接僕に暴力を振るうことはないが、最近はサトコに言いつけるという汚い手を覚えた。
逆上したサトコにこっぴどくやられる僕を、シズカは満足そうに見ているのだ。
「今度のはわりかし簡単よ」
僕の心中など察しようともせず、女都知事はエヘッと笑ってウインクする。
何度も言うが、警視庁職員の僕は都知事から直接命令を受ける立場にない。
彼女には僕に対する命令権などないのだ。
それにも関わらず、都知事はいつも当たり前のように面倒な任務を突き付けてくる。
「今度のミッションはね、あたしの暗殺なの」
えっ?
頭の中が白くなり、相手が何を言っているのか分からなくなった。
都知事を暗殺しろだって?
聴覚に異常がなければ確かにそう聞こえた。
確かにそう言った知事は、相変わらずニコニコ笑っている。
棒立ちになった僕が次に動いたのは、シズカが黙って右手を前に突き出した時であった。
「止めろっ」
次の瞬間、僕はシズカを止めるため、ジョオ・ウィッチは都知事を庇おうと、それぞれ相手に飛び掛かっていた。
「命令だし……さっさとこなして……帰ればいいのに……」
シズカは不服そうに吐き捨てたが、しぶしぶ速射破壊銃の銃身を収めた。
言葉を額面通りに取りすぎだ。
第一、たとえ命令でもロボット3原則に違反する行為だろうに。
まあそう考えると、小芝居でも演じたつもりなんだろうけど。
けど、バトルドロイドの君がやると冗談に思えないでしょうが。
「こっわぁ〜、ジョークも通用しないのぉ?」
ジョオ・ウィッチの肩口から、青くなった都知事の顔が覗いた。
「いや、今のがシズカ一流のジョークなんですよ。ハ、ハハハ」
「ホ……ホホホホホホ……でも、ちょっとだけシュール過ぎやしない?」
しばらく乾いた笑いが続いた後、ようやく本題に入ることができた。
「……で、湾内に国籍不明の小型機が墜落したのが、先週の嵐の夜なのよ。その中から出てきたのが2人の
いいえ、1つの死体と1個のロボットの残骸だったってわけ。死体には身元を明かす資料は何もなかったわ」
不審に思った所轄署は、そのロボットの残骸を科捜研に持ち込んで徹底的に調査をしたという。
結果、死体の正体が判明した。
彼は世界的に有名な殺し屋だったのだ。
通称「マリオネット」と呼ばれる凄腕のプロで、壊れたロボットは彼が仕事に用いる暗殺兵器だったのだ。
外事課の情報によれば、マリオネットは国際警察が付けた通称コードで、顔も本名も知られていない伝説的な存在らしい。
「その殺し屋が何をしに我が帝都に?」
観光ってわけでもなさそうだし。
「まあ、ビジネスでしょうね。普通に考えて」
女都知事は他人事のように言ってのけたが、狙いが誰なのかは明らかである。
彼女を亡き者にしようとする何者かが、マリオを送り込んできたってことだろう。
しかし一体誰がそんな企みを。
「一杯いすぎて訳分かんないくらいね。何となく見当はついてるけどぉ」
怖いもの知らずの都知事はクスクスと笑い声を立てる。
「でね、ロボットの記憶回路を調べたところ、マリオは明日の正午に伊豆で雇用主と落ち合う予定になってたみたいなの」
なるほど、読めてきた。
僕をマリオに仕立て上げ、黒幕が誰か探ってこいってことか。
あわよくば、その場で逮捕して自分の政敵を葬り去ろうってわけだな。
軽くお断りだ。
なんで僕がそんな危ない橋を渡らにゃならんのだ。
それに伊豆は警視庁の管轄じゃないし。
「お願いっ。クローちゃんしか適任者がいないのよぉ」
「ナショーカ警視正に頼めばいいじゃないですか。彼だって人形遣いでしょうに」
人形っぽいってのならトモエの方がシズカより適任だ。
なんてったってゴスロリファッションだ。
それにちっちゃくて、見た目には可愛らしいし。
中身はちょっとアレだけど。
「ナショーカはダメッ。絶対に」
「何故です?」
ここで都知事は人の悪そうな笑顔になった。
「マリオは顔も名前も不明っていう謎の殺し屋だけど、一つだけよく知られている性癖があるの」
なんですか、それは。
「それはね……彼って、女装マニアのナルシストらしいのよ」
なんだ、それは。
言うに事欠いて女装癖があるだと。
「ナショーカにできると思う? 女装」
彼はいい男だが、造りがワイルドすぎる。
確かに女装マニアってのは無理があるかもしれない。
「その点、クローちゃんなら体格的にも問題ないしぃ」
待て待て、絶対にお断りだ。
僕にそんな癖はないし、死んだ養父や義理の兄妹たちにも顔向けできない。
だいたい、こんな容姿だからこそ、僕は人一倍男らしくありたいんだ。
シズカの言うとおりさっさと帰るべきだ。
と思っていたら──。
「了解した……つまらないと思っていたけど……急に興味が湧いて……きた……」
見るとシズカはほくそ笑んでいた。
なんて奴だ、この裏切り者。
「さすがはシズカちゃん。分かってるぅ」
「正義のなんたるかを……世に知らしめる……いい機会……」
絶対に嘘だ。
困って狼狽えてる僕を見て楽しもうって魂胆だろう。
とにかく絶対にお断りだ。
しかし、女都知事は辛辣な言葉で僕の退路を断ちにかかった。
「あれぇ、クローちゃん。コリーンにたぶらかされて、ティラーノに与したって噂はホントだったんだぁ?」
ゲッ、そんなことまで知ってるのか。
いや、別にティラーノに荷担したつもりはないが、知事の不正を暴こうとしたのは事実だ。
あのまま行けば確かに知事は失脚してたかも知れないけど、僕は警察官としての職務を果たそうとしたにすぎない。
しかし、なんて女だ。
僕の裏切りとも言える行いを知りつつ、ずっとニコニコ笑っていたのだ。
普通なら口封じとばかり粛清にかかるところを、「一個貸しね」くらいにしか思っていないのか。
ダメだ、敵に回すには恐ろしすぎる。
「あなたはそこまでして世界政府の主席になりたいんですか」
その皮肉が精一杯の反撃だった。
なのに、都知事はそれすら一蹴してくれた。
「あらっ、あたしそんなモノになんかなりたくないわよ」
知事はそう言ってクスクスと笑う。
何なんだこの人は。
まさかWG主席すら背後から仕切る、あの役職を狙っているというのか。
西暦858年、ローマのヨハンナより絶えて久しい女教皇の座を。
この時、僕は背筋を寒気が駆け抜けるのを感じていた。
「何を悩んでいる……の……何も問題ない……」
警視庁へ向かう途上、タンデムシートからシズカが話し掛けてきた。
僕が悩んでるかだって?
当たり前だろう、僕は殺し屋に成り済まして雇い主に会いに行かなきゃならないんだぞ。
しかも女装なんておぞましいことまでして。
偽物だってばれたらどんな目にあわされるか。
「別に恥ずかしくない……古くはヤマトタケルやアキレウスも……勇者はピンチを……女装で切り抜けてる……」
「なんだって?」
「ノブナガだって……若い頃は……女装が……趣味だった……」
君はつまらないことばかり、実によく知ってるな。
しかし、ヤマトタケルやアキレウスとは、まるっきり事情が違う。
彼らは降り掛かってきたピンチを女装で切り抜けたんだ。
僕の場合は、わざわざ女装して望まぬピンチに遭いにいくんだ。
両者の間には埋めがたい開きがあるだろうに。
「心配ない……クローにはシズカが……ついている……」
だったら僕が女装しなくて済むよう、何とかしてもらいたい。
だいたい、他人が困っているのを面白がるのはよくない趣味だぞ。
「君には元々Sの気があると思っていたけど、やっぱりだったか」
長い溜息を漏らしながらバックミラーを覗くと、シズカの怒ったような顔が見えた。
「シズカはSじゃない……ドSだから……」
不満そうにシズカが呟いた。
ああ、これはもう女装から逃れられそうにない。
周りの者から好奇の目で見られ、変態あつかいされてしまうのだ。
僕は自己嫌悪にドップリ浸りながら、ベンKCのスロットルを開いた。