ツギハギ3

蝉がけたたましい鳴き声を撒き散らしている頃、宗一は萌黄色のトランクに明日の旅行の荷物を詰め込んでいた。
…が、ある時を境に宗一の作業は止まってしまった。じとりとした脂汗が手首を纏うまで、彼の思考は何かに奪われていたのだ。
冷房で冷えきった室内で、汗が滲む手に緊張感を与えていたのは、小さく纏められた衣類に埋もれた白いランジェリーだった。

妹のいる宗一にとって、女物の下着はそこまで見慣れないものでもない。
だが、レースがふんだんにあしらわれた純白の"布い切れ"は宗一の知る一般的なそれとは随分異なって見えた。
(……こんな掌に収まる様な物体に何が隠れるんだ?)
宗一は一瞬、その先を妄想しそうになって首を振ると、黙々と──下着程度で取り乱す自分に虚しくなりながら、作業を続けた。
だが宗一も一人の男であった。
視界に入れないようすればするほど頭の中は散り散りになり、我慢の限界と遂にそれに手が伸びた時、ドアを叩く音が彼を現実に引き戻した。
ややもすれば空調の風音に掻き消されそうなノックであったが、宗一はそれに即座に反応すると、焦りと共にトランクを乱暴に叩き閉じる。
その時、留め具が激しくぶつかり合う音が轟いたが、それよりも雷鳴のような鼓動が頭の芯を揺らしていた。
「あぁ、リナ、どうした?」
情無く上ずった声を投げかけると、扉がゆっくりと開く。
少しだけ開いたドアからリナがひょっこりと顔を出していたが、どうも先ほどの轟音にすっかり萎縮しているようだった。
「あの、宗一(そういち)様、冷たい麦茶を入れましたので少しご休憩を、と思ったのですが……」
リナは心配そうな表情を浮かべては視線を泳がすと、散らばった衣類と揺れるトランクに気づき、しゅんとして黙ってしまった。

「いや、違うんだリナ。これは、その……」
部屋の冷気よりずっと冷たい汗が背中を掠めた宗一は、まだ微かに揺れていたトランクを慌てて抑えた。
「申し訳ありません宗一様。私がもっと荷物を持てればこんなイライラしませんでしたのに……」
どうやら苛立ちの原因を勘違いしているのか、リナはおずおずと宗一の機嫌を伺うばかりだ。
頼りない足取りで服の散らばった部屋にリナが入ると、プラスティックの盆に乗った麦茶が漣(さざなみ)を立ててグラスの縁を撫でる。
小さな飛沫が床に染みを作り、それに気づいたリナは慌てて歩みを止めた。
「そ、宗一様、あの、その……進めません」

「家政補助自動人形(ヘルパー)」が使う日用品は全て、専用の不可視性ARタグが付随しており、彼女達はそれを認識して行動するのが一般的だった。
そして、日用品群は彼女達が持てる重量で設計されており、その重量はリナが持つ盆と麦茶の入ったグラス程度で「仕様」上の限界間近だ。
その上、宗一の衣服がばら撒かれた部屋を渡るなど、石塊を抱えたまま針の筵を渡るに等しいだろう。
彼女達は基本的に歩く事に精一杯で、まして重い荷物など持てず、想定外の荷重はすぐに脆弱な関節群を痛めてしまう。
先ほど、宗一がリナの衣服の入ったトランクに自分の衣装を押し込んでいたのはそんな理由からであった。

「べ、別にイライラしてた訳じゃないよ。だから心配ない、それより休憩しよう、ほら」
話題を逸らすかのように、少し俯いたリナの頭を優しく撫でると、宗一は盆をすっと持ち、リビングに向かっていく。
「荷物はまだまだ入るから安心しな、おみやげだって沢山入る……と思う」
自室から遠ざかるにつれて収まる鼓動を隠しながら、宗一は平常を装った。
「おみやげ、ですか?……それは楽しみです」
えへらっと笑顔を浮かべると、軽くなった歩調で宗一の横にぴたりとくっついて歩いていく。
「でも、あの、どうしてあんなにトランクを勢いよく閉じたんですか? 何か不具合でも……?」
宗一は一瞬ぎくりとして足を止めたが、数瞬の間を持って、薄っぺらい平常心をさらに上塗りして答えた。
「あ、あぁ、トランクの耐久テストだよ。ほら、二人の大切な荷物だから、少し試してみたくなって」
言った本人が危うく吹き出しかける程の酷い言い訳であったが、リナははっとした表情を浮かべて驚く。
「流石です、宗一さま!」
目をキラキラと輝かせるリナに、すっかり毒気を抜かれた宗一は思わず吹き出してしまった。
「そうだろう? さぁ、休憩したらしっかり荷物を詰めて明日に備えるか」
「はい! 明日は本当に楽しみです、宗一さんのお友達とも合うのは初めてですし」
「俺もアイツの片割れと合うのは初めてだ、リナも良い友達なれるといいな」

水滴を纏った麦茶のグラスを見て、宗一はふと明日の旅行先は硝子細工が名産だったな、と思い出していた。
トランクに詰められた色とりどりの割れ物を想像してまた鼓動が早くなるのを感じる。
その時だけは、この旅行の話を持ちかけた友人のことなどすっかり忘れていたのだ。

* * *

翌日、友人が懸賞で当てたという「温泉宿一泊二日の旅」は非の打ち所の無い猛暑日に打ち当たった。
陽炎で景色が揺らぐ中、やっとの思いで駅のホームに辿り着い宗一達を待ち受けていたのは友人だけではない。
暇を持て余した老若男女が一斉に避暑を求めて集まってきたものだから、電車の中まで人とロボットとその荷物が車内を圧迫していたのだ。

「なぁ雨宮(あまみや)、電車の中まで熱いとはどんな了見だ?」
「俺に言うなよ……だがこれが夏だぜ宗一クンよぉ!」
宗一の向かいに座る、雨宮と呼ばれた男が額の汗を拭ってニヤリと笑った。
彼は宗一と同じく文学部の人間で腐れ縁な、軟派な姿がよく似合う金髪の色男である。
「やめてくださいな、お二人共。ますます暑くなりますわ」
そう言うものの、涼しそうな表情を崩さない女は「家政補助自動人形」であるアイシャだ。
濡れた様な黒髪を滝の様に燻らせる彼女は、どうやらすっかり雨宮の心を捉えて離さないらしく、黒のロンググローブにはプラチナの指輪が光っている。
確かに、中東系の切れ長で妖艶な瞳は、初な男など燃え上がらせて余りある威力を秘めていたし
服の上からでも薫る優美なボディラインは、彫刻を思わせる完璧な体躯で、製作者の執念すら感じられる程であった。

「宗一さん、大丈夫ですか? ……私は大丈夫ですか?」
一方、ぼうっとした口調のリナは早くも寿司詰めの様な車内と暑さに疲弊して、隣に座る宗一にもたれ掛かっていた。
「俺は大丈夫だからリナは少し休みな、電車に乗るのもこれが初めてなんだから」
「はい……でも、折角の電車ですのに」
知識として知っていても経験は専ら薄い物であったリナにとって、この旅行は初めて知ることの連続だ。
それでも、旅の出発点がこんな状態では気の毒で、宗一は項垂れた頭を撫でてやることしか出来なかった。

「あら、リナちゃん、機械酔い? そんな時は一度センサーを落として対象を絞るといいわよ」
ふらふらと焦点の合わないリナを見かねてか、向かいに座るアイシャがずいっと身を乗り出す。
彼女が言うに、”機械酔い”とは揺れる車内と多すぎる対象物が処理要領を超えると発生する、ロボット特有の乗り物酔いらしい。
リナはそのアドバイスをふへっと聞いていたが、アイシャがリナの眼前にプラチナを嵌めた指を立てると、揺れる瞳はそれをじっと見つめ始めた。
「そう、その調子よ、そのまま指に集中して……」
黒いロンググローブに包まれた指がゆっくりと左右に振られると、それに合わせて翡翠色の瞳が泳ぐ。
単なる乗り物酔いの施術が、怪しげな催眠術の様に見えてくるのは、色っぽいアイシャと幼げなリナが向かい合っているからだろうか。
「あっ……。本当だ、平気になってきました」
「うんうん、こういう場所ではじっと集中して、揺れに身を任せるといいわよ」
そう言うとアイシャは立てた指をそっと唇に当て、「以上、お姉さんのアドバイスでした」といって手を戻した。

「リナ、もう平気?」
怪しい儀式を固唾を飲んで見つめていた宗一は内心気が気でなかった。
ありえないと分かっていても、なんだか本当に怪しい術にでも掛かっているのではないかと心配していたのだ。
「はい。もう大丈夫です。……今からじっと見つめていますので」
そう言うとリナは宗一の顔を真っ直ぐに見据える。どうやら本当に呪ないにかかっていたらしい。
「お、おう。頑張ってくれ」
リナは僅かに頬を紅潮させて頷いた。ロボットといえども愛らしさを表現する事に抜かりはない。
宗一もまんざらでは無かったが、些か恥ずかしさが勝った

「おー暑い暑い、見せつけちゃてぇお二人とも」
雨宮がニヤニヤと二人の様子を眺めていた。ありふれた光景であったが、それが友人となるとその興味も別らしい。
「あら、陽祐(ようすけ)さん。私はいつも貴方の事を見ていますわ」
悪戯っぽい笑みは獲物を狙う猛禽類の様な危うさを伴っていたが、陽祐と呼ばれた男は完膚なきまでに骨抜きで上機嫌であった。

「家政補助自動人形」とは言え、その全てがリナの様に純情無垢で儚げな乙女という訳では無い。
薄暗いヴェールを身に纏い、研ぎ澄まされた色気で男を狂わす黒い薔薇──そんな個体も根強い需要を誇っていた。
そもそも、彼女たちは「日照りの八年間」の間に培われた"健全"な男達の妄想の産物だ。
第二次性徴を迎えるより早く、男女との関係を断ち切られた彼らの理想と妄執が多少歪んでいたとして、いったい誰が責められようか。

「お暑いのはどっちだか」
そう言って宗一は肩を軽く竦めたが、向かいに座る男は
「ふほほふほ」
と今朝方仲良く作ったであろうサンドイッチを頬張っていた。

山岳部を経由して目的地に向かう列車は、カーブの度に軋む車体を揺らして目的地へと向う。
車窓からの景観は山深い緑色に染まり、時折海を挟んでは車内を木漏れ日で瞬かせると、いよいよ旅先といった情景に他の乗客を色めき立たせた

「わぁ!宗一さん、海も凄いですね!」
幾分減ってきた人波と、電車の乗り方に慣れてきたリナはやっと窓の外を眺める余裕が出来たらしい。
それでも、暫く窓を眺めて驚嘆をあげ、また宗一の顔を照れながら眺めるという事を繰り返していたので
その度、忙しそうにシルバーブロンドのポニーテールが揺れていた。

窓の外を一面に広がる自然は、街住まいのリナにとって新鮮な物であった。
他の座席に座る夏期休暇中の学生身分達も、きっとリナの様に眼前に現れる全てを楽しんでいるのだろう。
宗一はふと、果たして生身の女とでもそんな光景は見られるのだろうかと思ったが、その考えは流れる景色と共に一瞬で霧散していった。

「ふふ、微笑ましいですわ、本当に」
「あぁ、なんだか懐かしいよなぁ、アイシャも初めての時はすご──って?」
そんな猥談一歩手前の会話を止めたのは、二人の異変だった。アイシャとリナは氷つき、表情はみるみる生気を失い、虚ろな瞳は空を捉えた。
ただ、雨宮のしこりの残る"初めて"の言い方に場が冷えた訳ではない。
その証拠にそこかしこで聞こえていた男女の談笑もピタリと止まってしまったのだ。

「リナ、どうした、おい!」
不意に訪れた事態に宗一はただ狼狽えた。
リナの華奢な肩を揺らすと、口を半開きにしたままの身体がぐらりと宗一に倒れかかる。それはずしりとした、空虚で重たい「物」の感覚を味あわせた。
しんと鎮まり返った列車が不穏なざわめきだけを残して、トンネルの闇に飲まれていく。

「あー、落ち着け宗一。事前に言わなかった俺も悪かった。大丈夫だから心配するな」
口を開いたのは雨宮だった。先ほどまでのおどけた表情も口調も消え、薄明かりに照らされた顔は酷く冷静に見えた。
「アイシャ、接続状況、説明」
一昔前の検索サイトを思わせる単語の羅列だったが、アイシャはぐらりと頭を動かして答える。
「現在オフライン状態です。対人コマンドは基本レベルです。電波の届く範囲まで移動してください」
口も動かさずに出た機械音声は、艶っぽさの欠片も感じられない無機質なものだった。
「つまり……?」
「この辺り、トンネルの入口から出口までネット接続不可ってことだな。
 まぁ仕様書にも小さく書いてあるけど、普通は圏外の場所なんてないし。とにかくすぐ戻る」
雨宮の言うとおり、トンネルを抜けるとアイシャはぼうっとした顔を浮かべては、ぐっと背を伸ばす。
寝起きの人間がするように、妙な色っぽさを伴う吐息を漏らしながら。
「んー、二人の事に夢中になってて忘れてたわ。この辺りネット繋がってないのよ。
 ……何度やっても慣れないわね、自分が無くなるみたいで。ところでリナちゃん大丈夫?」

「リナ、リナ、大丈夫か!?」
宗一に抱きかかえられたリナは肩を揺すられても無反応であったが、暫くして宗一の耳にだけ小さな駆動音が聞こえ始める。
その音もやがて収まって、リナは未だに焦点の合わない目をこすっては宗一の胸でもぞもぞと動いた。
「うぅん、宗一さぁん? ……おはようございます。どうしま──ふぎゃ!」
自分の置かれた状況をやっと理解したリナは、慌てて身を引いて、その勢いのままに後頭部を窓にぶつけてしまった。
宗一も聞いたことの無いような声を上げては頭を抱え、髪を飾るフリルのリボンはへしゃげて戻りそうにない。

「そ……宗一さん、見てましたよね?」
「あ、あぁ、大丈夫か、リナ」
宗一はさっきも勿論心配したが、この一連の流れに笑いを堪えるのにも精一杯だ。
リナの不釣合いな剣幕と顔を真っ赤にして肩を震わせる姿など旅の記念に写真に収めたい程でもあった。
「うぅ、まさか再起動するなんて……。恥ずかしくて死にそう」
後の言葉は列車の機動音に掻き消されて、宗一の耳には届かなかった。
「え、リナちゃん再起動してたの?」
顎に手を添えた雨宮の質問は恐らく単なる知的好奇心だったが、それはあまりに無遠慮で、ますますリナを赤面させた。
「えっ、え……?」
もうすっかり混乱の極みに達したリナはあわあわと両の手を顔の前に握っては視点を泳がせるだけだ。
「はいはい、大丈夫よリナちゃん。再起動を見られるのは恥ずかしいから良く分かるわ。ネットが切断されて再起動しただけだから、ローカルデータが多いとなるみたいよ?」
「ネット……? 非接続地域だったんですか?」
「そうそう」
助け舟に落ち着きを取り戻したリナであったが、アイシャが耳元でそっと何かを囁くと、リナは耳まで真っ赤に染めて席から立ち上がり叫んだ。
「ち、違いますっ! そんな動画ばっかり保存してたんじゃありませんー!」
そんな似つかわしくない叫声に男二人は身を縮めて、ただただ目を白黒させてリナを見つめるだけであった。
アイシャもくすくすと笑って「いいことじゃない」と言うだけで、二人の間に如何様な密談が行われたのかは結局分からず終いだった。

トンネルを抜ければ目的地はもう直ぐだ。

*  *  *

宗一は目眩を覚えた。
まず駅名が旅館の名前だという事に驚いたし、トンネルまでもがその為に掘られたと知って半ば呆れるまでに至った。
そして何より、様々なレジャー施設を内包した広大な土地、それはもはや旅館などという生易しいものでは到底なく、小さな街と見紛う程であった。
中央の宿泊施設から放射状に延びた各ブロックには様々な店舗が軒を連ねて、それらを結ぶ路面電車さえ走らせる徹底ぶりだ。
観光街は数あれど、観光の為だけの街などここを除いて他にはないだろう。

「なんだか、凄いな……」
「凄いですね……」
都会育ちの宗一にとっても、その並外れた出鱈目さに感覚が麻痺してしまった。
そんな状態だったので、今更駅からバスに乗ってホテルまで二十分もかかったことは実に些細なことに思えた。
「まぁ男手が余ってるから仕方がない」
ショルダーバッグから招待券を探しながら雨宮はそう言った。

というのも、こんな一大企業がでっち上げた様な泡沫的な計画も、直ぐに国が公共事業へと変貌させ、多数の働き手が雇われるのが常であった。
そして、男ばかりが産まれ、男の"特定"の権利が吹けば飛ぶほどの軽さになっていた昨今、労働はある種の昇華行為とも見受けられた。
大規模な計画ほど国からの補助金も多く出され、管理も企業に任される事から、この様な街に定住する者も少なくない。
企業主体の街、それは"超"男性社会の中に生まれた新しい自治区であった。

「お、あったあった。受付は……えっ」
招待券を片手に持った雨宮は何かに気づくと、「すまん」と言い残してトイレに駆け込んでいった。
「どうされたんでしょうか?」
「さぁ、限界だったんじゃないか」
苦笑混じりに宗一は答えると、雨宮が押し付けてきた二組分の招待券に目を落とす。
招待券は、この華美な施設に対してシンプルで、「特別」と書かれた赤い拌が押されており、それ以外に招待券と記す証はない。
本物なのかと宗一は鼻白むだが、カフスグローブを付けた受付嬢にそれを見せるとすんなり四枚のカードキーが手渡された。
尤も、「受付は私にお任せ下さい」と、リナが全て済ましてしまったので、宗一は四人分の荷物が詰まったトランクを黙々と押すだけであったが。

「おー、すまんすまん、受付大丈夫だった?」
雨宮が合流したのは三人がガラス張りのエレベーターを待っている時だった。
「あぁ、重い以外は何も問題なかったぞ」
「それと『お連れの方は?』とも聞かれましたわ」
「……ええと、本物でしたね!」
三者三様の非難に晒されながらも、雨宮はわざとらしい咳払いでその場を切り抜けると、蛇腹状のパンフレットを指さしながら施設の説明を始める。
「さて皆様、今日は緑柱街、もとい複合レジャーシティ「ベリル・フロント」にようこそいらっしゃいました!」
仰々しい気取った物言いと、広げたパンフレットを両手に掲げる姿はあまりにミスマッチであった。
「お前はここの支配人か」
「そうなんですか?
「違うわよ、リナちゃん」

そうこうしてる内に到着したエレベーターには、階数の書かれたボタンが殆ど無かった。
あるのはレストランやテラスに通じる階がまばらに表示されるだけで、その間には空白を埋めるように乳白色のドットが埋め込まれている。
「……ボタンが無いぞ?」
「あぁ、それは、ここにカードキーをぶすっとな」
開閉ボタンの上にあるスリットにカードキーを差し込むと、エレベーターはぐんっと上昇を始める。
「なるほど、カードを失くしたら事だな」
「そういう事、まぁ俺らが泊まるのは一般客室だから階段でも頑張れるぜ?」
「元陸上部を舐めるなよ、……頑張る必要もない」
だが、宗一はそんな発言を直ぐ撤回する羽目になった。
窓下を一望できる高速エレベーターは徐々にその速度を早め、足元に見える秩序だった街並みが点と線になっっていく。
明らかに一般客室の高さを通り越して、一通り場内の四人を不安に駆らせた後、ようやく硝子の箱は動きを緩め、間の抜けたチャイムが到着を知らせた。
「す、すごい高さですね、宗一さん……怖いです」
高度を上げる毎に宗一に身体を寄せていったリナは遂にぴたりとくっついてしまっていた
「あぁ、流石にこの高さは……無理だな」

エレベーターは最上階より一つ下の階になってようやく停止した後、スライド式のドアを軽やかに開いた。
宗一達が辿り着いたのはこのホテルで最も高級で、最も広いスイート・ルームだった。
一山幾らの学生身分などでは逆立ちしても決して届かない、地平線の果てまで見渡せる五十三階の玄関ホールで四人は釘付けになっていた。

「あら、ま」
「雨宮、……どういうことだ?」
「お、俺が知るかよ!?」
廊下に取り付けられた監視カメラが威嚇するかの様に首を往復させ、エレベーターはもう既に遥か階下へ降りてここには無い。
本当に宗一達が招かれざる客だったなら、袋の鼠よろしく、この優に十人は入れる四角い空間から逃げ出すことなど出来ないだろう。
「とりあえず中に内線があるだろうから聞いてみる。皆は待っててくれ。
 あー、こんなとき疑われるのは少ない方がいいだろうし?」
雨宮は少し早口に言い切ると、すんなり開いた玄関から中に入っていった。

「随分高級な一般客室だな」
僅かに開いたドアの隙間から、大理石張りの床板が見える。
玄関に漏れ出た明かりがシャンデリアから照らされ、三人の淡い影を形作った。
「私達どうなっちゃうんでしょうか?」
小首を傾げたリナが宗一を見つめる。
「わからん。逃げ道が無いのは確かだな」
「そ、そんなぁ……」
「宗一さん、あんまり可愛い妹分を虐めないでくださいまし」
口元に朗らかな笑みを浮かべるアイシャは、孤児院のシスターの様で、悪戯をした子供を窘(たしな)めるような柔らかな口振りだった。
宗一は彼女がリナの"六ヶ月"歳上だということを含め良く知っていたが、その印象は雨宮から聞いていた惚気話とは随分違う。
それでもやはり、肢体を覆う蔦(つた)のような色香(いろか)は「家政補助自動人形」の本質……なのだろうか。

「冗談だって、最悪雨宮をいけに──」
宗一の半分本気の冗談は、この空間に似つかないドタドタとした足音に掻き消された。
「ただいまぁぁぁ!」
「ひぇっ!?」
勢い良く扉を開け放つ雨宮、そこは玄関だ。
「あー、どう、だった?」
宗一は酷く悪い予感がした。この男は調子に乗っていると止まらない。
そして雨宮は良くも悪くも、期待に答える男だった。
「ここで間違いないとさ。スイートだぜ、スイィィト・ルゥゥム!」
「そうか、わかっ──」
雨宮の耳にはもう誰の声も届かないだろう。
マイク(パンフレット)を力強く握り、その勢いは更に加速していく。
金髪の姿も相まってか、それは今や絶滅危惧種のホストの様だ。
「聞いて驚け!
 地上二百六十メートルからのオーシャンピュー、調度品は十八世紀のアンティーク、料理は一流シェフのフルコース
 フロバス露天風呂完備、部屋数八部屋、そしてキングサイズベッド完備の寝室は二つだぁー!」
ピースサインの拳をゆっくりと頭上まで掲げて、雨宮の独壇場はやっと終わった。

「あ、あぁ……、確認ご苦労。リナ、行くぞ。刺激しないように慎重にな」
まだポーズを決めたままの雨宮の横をトランクを押しながらゆっくりと通り過ぎる。
その後ろをリナが「フロバスロテンブロ……?」と顎に指を乗せ、データーベースにない言葉を唱えながら付いて行った。
「陽祐さん、素敵でしたわ。あ、トランクお願い致しますわね」
クスクスと笑いながら一応の世辞を言い、そそくさと部屋に向かうアイシャがいなくなると、終ぞトランクと西日を浴びて輝く金髪だけが残った。

「あれ、皆どこいった?って、おい冗談だって!宗一、頼む、開けてくれ!」
カードキーで扉を開けられる事に気づくまでたっぷり三十秒、雨宮は喉が枯れるまで叫んだ。
その哀れな姿を、監視カメラだけが脇目もふらずにじっと見つめていた。
それは自分が防犯の為に置かれたことを忘れたかのように、ただ雨宮だけをそのレンズに映して。

──後半につづく──

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