カコカコとキーボードを叩く音がテンポ良く響き、かたん、という音で
締めくくられた。生活感の無い部屋の中。真剣な瞳で液晶のディスプ
レイの一点をじっと見つめるのは、一人の少女。

−サーバ負荷が(以下略)−

「……ホシュぅ」
 しょぼん、と肩を落としてうつむけば、柔らかい金髪がさらりと膝に流
れる。
 ディスプレイの隅に浮かんでいる時計を涙目で見れば、時間は午後の
十一時。彼女の一番嫌いな時間だ。
「ホシュ!」
 ぐっと小さな手を握り、力を込めてマウスを掴む。
 次々とページを切り替え、その中で書き込みの極端に少ないスレッドを
チェックする。見事なタッチタイピングでキーボードを操り、再びエンターを
打鍵。

−正常に書き込まれました−

 書かれた文字はただ一言『ホシュ』。
「……ホシュ!」
 小さくガッツポーズして、次のスレッドへ跳ぶ少女。
 スレッドの内容そのものを彼女は知らない。軍事問題なのか、
それとも今日の夕飯なのか、はたまた大人の内容なのか。文意を
解析するプログラムが無いわけではない。内容に対する知識が
メモリーに刻まれていないから、理解できないのだ。
 ただ理解できる範囲の内容から良スレと駄スレを判断し、『ホシュ』
というスレッドの内容に抵触しない単語を入力する。

−httpエラーが(以下略)−

「ホシュぅ……」
 再びがっくりとうなだれる少女。それはどんなに卑猥な会話が連なる
スレッドでもしっかり保守する彼女の、一番嫌いな言葉だったからだ。
 保守age、即死回避カキコ、このスレもがんばりまっしょい、1さん乙、
良スレage。
 彼女以外にも善意の保守屋がたくさんいた、みんなの想いのつまった
暖かいスレッドだったのに。その最後を見てしまった時が、少女には一番
辛い。
『ごめんね。ほしゅできなくて』
 そう発言欄に書き込み、エンター。 

−ERROR:このスレッドには(以下略)−

 書き込めないと分かっているが、それでも小さくため息をつく。
 零時。
 今日も彼女の戦場には数多くのスレッドが生まれ、もっと多くのスレッドがデータの
狭間に消えていくのだろう。消える定めにあるスレを、一つでも多く救いたい。
 生活感の無い部屋で、少女はキーボードを叩き続ける。
 少女と同じ運命に至るスレッドを、一つでも救うために。

「あら? まだ保守ってましたの? ホシュ」
 掛けられた声に、少女はキーボードを叩く手を止めて振り向いた。
 少女によく似た娘だ。ホシュと呼ばれた少女の服が白地に薄桃の意匠を
施されているのに対し、娘の服は赤地を基調にした少し攻撃的な印象を
与える。
『ホシュ子さん……』
 ブラウザの傍らにちょこんと浮かんでいたメモ帳に、その単語を書き込む
ホシュ。
「まったくもう。オーナーに発声プログラムくらい入れてもらえば宜しいのに」
 ホシュ子と呼ばれた赤い娘は、ホシュのメモ帳を覗き込んでそう答える。
『むりですよぅ……。私、メモリもちいさいですし』
 簡単な文意の解析と動作制御、あと少々の感情プログラムを走らせれば、
ホシュのメモリは一杯だ。ホシュは最初期型のアンドロイドだから、もともと
そう複雑な事が出来るようには作られていない。
 だから彼女に出来るのは、おさがりのノートPCでネットを巡り、緩やかな
流れを求めるスレッドに『ホシュ』という単語を打ち込む事、くらいだ。 

「……そうでしたわね。私のご先祖様でしたものね。貴女は」
 だが、赤い娘は違う。同じモデルの最新型である彼女は、ネット保守はおろか、
プロキシ切り替えやブラクラ撃退、次スレ立て、果てはスレ違い誘導まで、流れを
読んだ上で見事にやってのける。
「で、どのくらい保守出来てますの?」
 そう言い、ホシュ子は近くにあったハブのLANポートに人差し指をすっと差し込んだ。
耳に付けられたカバーのLEDがちかちかと点滅し、透き通ったレンズの瞳に無数の
記号が流れ始める。
 電子の海の情報を本体へダイレクトに取り込んでいるのだ。舌のコネクタで32.6kの
ダイヤルアップにしか繋げないホシュには、逆立ちしても出来ない芸当である。
「貴女にしては、まあまあですわね」
 人差し指を抜き、付いた埃を小さくひと舐め。ホシュ子からすれば亀のような歩みだが、
それでもホシュからすれば精一杯やっているのだろう。気持ちはまあ、わからないでも
ない。

『廃棄寸前の私でも、お役にたててるのかなぁ……』
 再びディスプレイを覗き込んで、ふとメモ帳に描かれた文字に気が付いた。
 思わずホシュ子の手が伸びる。
「ほ……っ。ホシュ……ぅ!?」
 ほっぺをぐにぐにとつまみ、そのまま引っ張り上げる。
「ホシュぅぅぅっ」
 キーボードに手が届かなくては、「ホシュ」としか喋れないホシュに意志を
伝える術はない。USBコネクタも無線LANポートもないから、直接意志を伝える
事も出来なかった。
 まあ、ノートPCがあったところで、大して難しい会話は出来ないのだが。
「貴女、一度、解析プログラムをメンテした方が良くてよ?」
 ほっぺをむにむにと引っ張ったまま、ディスプレイの前に顔を持っていく。
反対側の手はホシュに数倍するスピードでキーボードを操っていた。
「ホ……シュぅ」
 やっぱりホシュ子は凄い。 

「これ、見てみなさいな」
「ホシュ?」
 見れば、思わずホシュの顔が弛んだ。
「じゃ、私もそろそろ業務に戻りますわ。貴女も頑張りなさいな」
「ホシュ!」
 引っ張った頬にリアクションを返さなくなったホシュに飽きたのか、ホシュ子は
生活感のない部屋をすっと後にする。
「ホシュぅ……」
 残るのは、にこにこした表情の少女が一人。
 ディスプレイに映るスレッドに書かれてあった文字は短い一言。

 ホシュたん、乙! 

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