はがれたせなか

 優(ゆう)は、高崎に帰ってきた。
 旅館は今日は非番だし、休学中の高校にも近々戻ろうと決めたのだから、しばらくぶり
の休みに高崎の空気に触れに帰るといい、と女将の絹子にも勧められたのだった。
(里夏、最近会ってないけど、どうしてるかな。ソフト部の新庄監督と真理先生、本当に
結婚するのかな)
 いやだったはずの学校だが、いざ戻るとなると、やはり懐かしい気がした。
 と言っても、優の足が真っ先に向かうところは学校ではなかった。
 村上厩舎。ここは、学校の行き帰りに優がいつも寄り道していた競走馬育成の厩舎だった。
「ジョンコぉ!久しぶりぃ!」
 優が声をかけた相手は、人ではない。馬である。名はサイゴウジョンコ。メスのサラブ
レッドだ。
 ジョンコと名づけたのは優自身だった。最初は何の期待もされていないジョンコに、優
が勝手に同情的肩入れをしているような状況だったが、今やジョンコは競馬界の期待の星
となっている。
(私、何だかジョンコに取り残されているかなあ。勉強もソフトボールも仲居の仕事も何
だか中途半端で)
 ぼんやりとそんなことを思いながらも、久々にジョンコのたてがみを撫でてやっている
と、将来への不安も父の仕事の心配も父のケガの心配も何だか癒されるような気がした。
「おっ。久しぶりじゃん。戻ってたんだ」
「太郎さん」
 太郎は、この村上厩舎の若い厩務員である。
「ジョンコ、元気そうだね」
「ああ、そうだな。先週のレースでも優勝したからな。俺も来年はJRAの調教師試験、絶対
に受かるぞ」
「うん、そうだね。がんばって」
と言いながらも、優の表情は冴えなかった。
 太郎が調教師試験に熱意を燃やす理由はわかっている。太郎は琴子と結婚するつもりなのだ。
 琴子は母の旧友であり、今は家族で世話になっている駒之館の娘である。「自立する大
人の女性」である琴子は、いつも優にとってはまぶしい「あこがれの存在」だった。しか
し、太郎と琴子が急接近してからというもの、どうも優は心中穏やかではなかった。
「そうだ、おまえ、ジョンコに乗ったことなかっただろ。ちょっと乗ってみるか」
「え?いいの?」
「ああ。でも村上さんや西郷さんには内緒だぞ」
 太郎は笑顔で下手なウインクをした。この機嫌の良さから察するに、琴子とはよほどう
まくいっているのだろう。そんな太郎を見るのは優にとってつらかった。既に太郎への想
いが優の中ではっきりとしてきていたのだから。
 が、せっかくだいすきなジョンコの背中に乗れるのだ。こんなチャンスを逃すことはない。
 太郎は、ジョンコの鞍へと優がまたがるのを手助けしてやりながら、
「よいしょ、あれ、おまえ意外と重いんだな」
と言った。
「やだ。やめてよ、そんなこと言うの」
 優は怒ったように言ったが、はじめてまたがるサラブレッドの背から見る眺めはやはり
気持ちがいい。
「うわぁ、いい気持ち!」
 だが、ジョンコの足取りはなぜかいつもより遅いように太郎には見えた。優一人を乗せ
てゆったりと厩舎内を歩いているだけなのに、なぜか息が荒い。
「おかしいなあ。こんなに疲れるなんて。なあ、おまえ、細いようで、実は相当重いんじゃ
ないのか。何キロだ、おまえ」
 太郎がそんなことを言ってからかうので、つい優も
「もう〜。変なこと言うな〜」
と、おどけて殴るしぐさをしてみせた。
 そのとき、
「あ!危ない!」
と太郎が叫んだのとほとんど同時に
「キャッ!」
 バランスを崩した優がジョンコの背から落ちた。
 ズザザザ・・・優は背中から転落して、地面をそのまま少し引きずられた。
「おい、大丈夫か!?」
「うん・・・大丈夫・・・」
と言いながら、優は顔をゆがめて背中をおさえた。
「あいたたた・・・背中すりむいちゃったのかな」
「どれ、ちょっと見せてみろ」
「うん」
 優のシャツの背中を少しだけめくってすり傷を確認しようとした太郎は、そのとき、息
がとまる思いがした。
(えっ!!??これは!??どういうことだ!!!???)
 太郎には何が何だかわからなかった。
 優の背中に出血はない。ほんのわずかに皮膚がすり剥けただけで済んだようだ。しかし、
問題はそこではない。太郎の見た優の背中は、剥がれた皮膚の下に機械があったのだ。
 おそらく合成樹脂系の素材と思われる物質が、すり剥いた肌の下から顔をのぞかせていた。
ご丁寧に一部がスケルトン仕様になっていて、さらにその中の細かな機械が見えた。
 時計のような歯車、ではない。むしろLSI系の集積回路だろう。どっかで見た何かに似て
いる。そうだ、パソコンだ。家にあるスケルトンのパソコンの背面にそっくりだ。太郎は
戦慄した。
「ン?太郎さん、どうしたの?」
 優がいぶかしげに問うた。
「オイ!おまえの身体、いったいどうなっちゃってるんだ!?」
とは、太郎は言わない。
「あ・・・いや、何でもないよ。血も出てないし、おまえが痛くないんなら、平気なんじゃ
ないかな。四万温泉に帰ったら、お母さんに診てもらいな」
とだけ言って、その場は優を帰すことにした。

「どうしたんだろ。変な太郎さん!」
 優は四万に向かった。もう日は暮れかけて、上州の野はからっ風だった。

 夕方からは団体客の宴会があり、今夜の駒乃館は忙しい。
「ねえ、お母さん」
「あ、優。帰ったの。ごめん、今ちょっと手が離せないの」
 亜沙子は、大広間に膳を次々と運ぶ準備に追われていると見え、優のほうに顔も向けず
に、なおざりの相づちを打った。
「あのね、お母さん。さっき、ちょっと背中をケガしちゃったみたいなんだけど、診てく
れるかな」
「え?ケガ?」
「うん」
「痛くないの?」
「うん、ちょっとだけね」
 亜沙子は、急に声をひそめるようにして、
「じゃ、すぐ診てあげるから、部屋に行きましょう」
と言った。
「ううん。ここでいいよ。だって、お母さん、忙しいんでしょ」
と優が言ったが、
「ええ。でも、少しの間なら大丈夫よ」
と、優を追い立てるように部屋に連れて行った。
「どれ、見せてごらん」
と言いながら、優のシャツの背をめくった途端、亜沙子の顔は曇った。が、優からは母の
表情の変化まではわからない。
「どうかな、お母さん」
「ええ。大丈夫みたいよ。でも、ちょっと今夜はお風呂はやめておきなさい」
「うん」
 優が澄んだ声で返答すると、亜沙子は、とってつけたように、
「このケガ、どうしたの?」
と聞いた。
「うん、ちょっとね。何でもないんだ」
「誰かに見られた?」
「え?どうして?う〜ん、見られたって言えば見られたけど・・・それがどうかしたの?」
優が一瞬だけいぶかしげに首をかしげたので、亜沙子は慌てて、
「ううん。何でもないのよ」
と打ち消して、しかし、
「その人、何か変なこと言ってなかった?」
と、ただすことは忘れなかった。

「ちょっと露骨だった・・・かな?」
 自分の問い方が不自然だったのでは、と、亜沙子は厨房に戻った後も少しだけ悔いていた。
 ともかく、すぐにサービスセンターに連絡して、修理をお願いしなければ。たぶん、あ
の程度の外傷ならラテックスで傷をふさいで表面をサーフェイス処理するだけですむでしょう。
来てもらう前にまた優をスリープさせておかないとね。
 いつものサービスマンの人は、皮膚がはがれたぐらいなら内部の機能に支障はないと言っ
てたけど、何かのきっかけで仲居仲間の竹子や小梅たちにバレないとは限らないものね。・・・

 政府機関の試作品のモニターは、学術研究への協力者という、ボランティアのような位
置づけであるそうだ。だから、優の定期メンテナンスも故障があったときの修理も、実費
を請求されたことは一度もない。
 科学技術省先端科学研究所精密機械開発部なる機関がふだん忙しいのか暇なのかなどと
いうことには興味はなかったが、ともかく、電話をかければすぐにサービスマンがかけつ
けてくれる。その点には少なくとも亜沙子も啓太も満足していた。
 今回も、優の損傷の程度を言って、出張修理を頼むと、すぐに日程の確認をとってくれた。

 ただ、その日程の調整は、今まで高崎の自宅で暮らしていたときと違って、周囲の目を
考えなければいけないぶん、慎重にならざるを得ない亜沙子だった。
 交通事故で入院している啓太もすぐに退院だが、リハビリ中の啓太にあまり心配はかけ
たくないし、その前にすませてしまおうか、そしたら、明後日の非番の日かな、と亜沙子
は思った。
 どうせ、旅館のほうは女将の絹子が東京の大学に進学したいなどと言い出して主人の隆
行ともめているから、私たちのところにどんな客が来ようと、そんなことにかまっている
暇もないでしょう。テレビが壊れたから電器屋さんを呼びましたとでも言っておけばいい。

「あら。いつもの人はどうしたんですか」
 くだんの機関から派遣されてやってきたサービスマンは、見慣れぬ中年男だった。
「ああ、川瀬ですか。川瀬でしたら、異動になりました」
「そうなんですか」
「ええ。何でも、独立行政法人化とやらの影響で、うちの機関も随分と合理化とか言って
統廃合されましたね。実は、前橋のサービスセンターも閉じることになっちゃったんですよ」
 ボソボソとそんなことを話しながら、下卑た薄笑いを浮かべるその男に、亜沙子は何と
なく生理的に嫌な感じを受けた。
「そうですか・・・じゃ、これからは、どこにお願いしたらいいんですか」
「さいたまのセンターに業務統合されますんで、後で名刺をお渡ししますよ」
 そのような気のない会話をかわしているうちに、いつも通り、優はすっかり裸にされて
いた。生気のない無表情な顔をして、あおむけに横たえられていた
 亜沙子と啓太にとって不満があるとすれば、政府機関から来る出張サービス技師がいつ
も男性であることだった。なるほど、冷静に考えれば、エンジニアが機械の修理やメンテ
をしているだけだ。男性とか女性とかいう性別にこだわるほうがおかしいのだろう。
 しかし、それでも亜沙子はいつも違和感を感じていた。優が、家族から見ればいわば他
人の男性に裸にされ、体の中をいじられているのを横で見ているのは、「親」として気持
ちのいい光景ではなかった。
 以前に来ていた川瀬という男は愛想こそなかったが、どこか職人らしい誠実さを感じさ
せて、亜沙子は決して嫌いではなかった。
 だが、今日の池田と名乗る男は、亜沙子にとって妙に嫌悪感を覚える印象だった。
 池田というその男は、優をうつぶせにすると、
「この程度の損傷なら、こっちでいいかな」
と、ひとりごとを言いながらカバンから工具を取り出し、鼻歌まじりで作業をすすめた。
あっと言うまに優の背中は元通りになった。
「ありがとうございます」
と、亜沙子も礼を言わざるを得ない。
「ついでだから、定期検査も簡単にやっちゃいますね」
「え。それはまた別のときに」
と、亜沙子が言う前に、もうその池田というサービス技師は、勝手に優の胸を押し、フタ
を開けてしまっていた。
 優の幼い胸の奥の内部機械があらわになる。冷たい機械の体。でも、亜沙子にとって、
かけがえのない「娘」の体。
 OS、言語ロム、内部バッテリー、埋め込み式生ゴミ処理装置などの動作チェックをし、
必要な数値を一通り計り終えて、胸のフタを閉めると、池田は優のボディをなでながら、
「いやぁ、前にいた出張所でもアンドロイドの体はいじりなれているけど、こういう若い
女の子型のやつは、はじめて触りましたよ。いいもんですな」
と、黄色い歯を見せて、いやらしく笑った。
 亜沙子は、
「そうですか。よかったですね。ご苦労さまでした」
と、表情を変えずに乾いた声で言って、池田という男を帰した。
 たとえ優が政府機関備品の試作機で、亜沙子たち夫婦には「所有権」すらない預かりも
のであったとしても、初対面の男に「娘」の裸をいいように触られて気分が良いはずはな
かった。啓太さん、いなくて良かった、と思って気を紛らわせるしかない。
 目の前には、相変わらず優が何も知らない無機質的な表情で横たわっていた。

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