ぼくは、たっちゃんから最初に千裕(ちひろ)ちゃんの「秘密」を言われても、とても信
じられなかった。

あれは、ある日の帰りの通学路のことだった。ぼくは、いつも学校からは一人で帰ること
にしていた。
どうせ歩いてすぐなのだし、友達とワイワイ騒いで一緒に帰るより、一人でのんびり歩い
ているほうがすきだったからだ。なのに、その日に限って、たっちゃんは後ろから息を切
らせながら走ってきて、いきなりぼくに
「なあ、かっちゃん。おまえ、聞いたか」
と言うのだ。
突然、何を言いたいのかわからなかったぼくは、もちろん、
「え?何のことだい」
と返事したが、実はたっちゃんがたまに、
「なあ、おまえ聞いたかい」
と言って持ってくる話は、どれもぼくには興味のないことばかりだったので、この日もど
うでもいいや、と思っていた。
ところが。
「あのな、相沢のことなんだけどよ」
その名前をきいて、ぼくは胸がドキッとした。が、動揺しているのを悟られないように、
懸命に表情をおさえて、
「相沢がどうかしたのかい」
と、平板な調子で相づちをうった。

相沢千裕(ちひろ)は、5年のはじめに京都から転校してきた女子で、席はぼくのすぐ斜
め前だった。
背はあまり高いほうではないけど、さらさらのポニーテールと、スラッとした長くて細い
手足と、くっきりした眉、黒目がちのくりくりした大きな目をしていて、ぼくは内心、い
つも彼女のことが気になっていた。
でも、そんなこと、誰にも言えない。たとえ心の中で、クラスに気になる女の子がいたと
しても、
「女子なんて、うるせえばっかりで、本当にいやだよな」
と、虚勢を張るのが、ぼくらの中での一種の「マナー」だった。

「あのな、うちの母さんが電話で話してるのをちょっと聞いたんだけどさ」
たっちゃんがもったいぶりつつも高揚しながら、ぼくの顔につばを吐きかけるような調子
でまくしたててくる。
「あいつ、本当はロボットなんだってよ。人間じゃないんだってよ。なあ、おまえ、信じ
られるか」
「えっ、千裕ちゃんがロボット?」
と、危うく言いかけて、ぼくは慌てて口をつぐみ、言葉を飲み込んだ。いけない、いけな
い、千裕ちゃんだなんて、ぼくの心の中だけでの呼び方を口にしちゃいけない。
「相沢が、ロボットだっていうのかい?」
ぼくは気を落ち着かせて言い直した。そんなバカなことがあるわけない。ぼくだって、バ
カじゃない。人間とまったく見分けのつかないロボットなんて、作れるわけがないじゃな
いか。
たっちゃんは、何かの手柄でも立てたように誇らしげに、
「な。そう思うだろ。ところがさ、あいつ、ロボットらしいぜ」
と、まるで嬉しそうな様子で言った。ぼくらの退屈な日常からすれば、こんなサプライジ
ングな出来事は、たしかに興奮させるものがあったのだろう。
「相沢んちのお父さんとお母さんが、大学の先生だってのは知ってるだろ」
うん、それは知っている。前は京都の大学にいたけど、こっちのほうの大学に職場が変わ
って引っ越していたとかって、千裕ちゃんが転校してきたとき、そう聞いた。
「お父さんとお母さんは、人間そっくりのロボットを作る研究をしているらしいんだよ。
それで、実験用とかいって作られたのがあいつなんだってさ。俺たちには言ってないけど、
先生たちは実はみんな知ってるらしいぜ」

たっちゃんは、ぼくの反応も待たずに、愉快そうにまくしたてた。
「で・・・でも、本当にそうかなんて、まだわからないんだろう?」
ぼくが必死に言うと、たっちゃんは、
「ああ。だからよぉ、俺、おもしろいこと思いついたんだ」
と言って、ニタニタ笑った。退屈をふっとばす愉しいイベントを待ちきれない、とでも言
いたげな笑顔だった。
「どんなことだい?」
不安にかられたぼくがそう言う前に、たっちゃんは
「明日か明後日ぐらいにさ、休み時間のときにでも、チャンスがあったら、あいつの首か
腕、引っ張ってやろうと思うんだ。ロボットだったら、きっと引っ張れば外れるぜ。マン
ガなんかだとそうだもんな。おもしろいことになりそうだぞ。みんな、びっくりするだろ
うな」
と、たかぶる気持ちを抑えようとする様子もなく、言ってのけた。
ぼくは、すかさず、
「それは、かわいそうだと思うな。だって、本当に相沢がロボットだったとして、それを
隠しているってのは、あいつなりに隠しておきたいからなんだろう。人が隠しておきたい
秘密を暴くなんて、ひどいんじゃないかな」
と言いたかった。
が、言えなかった。言えば、なぜ相沢をかばうのかと、たっちゃんに追及されるに決まっ
てる。ぼくは、自分が千裕ちゃんを実はすきだなんて、絶対にみんなに知られたくないと
思っていた。
だから、精一杯、
「そうなんだ・・・でも、先生に見つからないように、気をつけなよ」
とだけ言って、
「じゃ。ぼく、塾があるから」
と、そそくさとたっちゃんと別れて、急いで家に帰った。

 その日の夜、ぼくは眠れなかった。あの千裕(ちひろ)ちゃんが、実は人間じゃない、
ロボットだなんて、そんなマンガみたいな話があるわけない。そう思いながらも、気にな
って眠れなかった。
 ぼくの密かにすきな千裕ちゃんが人間のオンナではなく、ロボットだったとして、それ
が何を意味するか、その頃のぼくにはよくわからなかった。ただ、内緒のことをみんなの
前でバラされたら、千裕ちゃんはショックを受けるだろうな、と心配した。
 いつも明るい千裕ちゃんは、涙なんて見せたことないけれど、もしそんなことになった
ら泣いちゃうんじゃないだろうか。ぼくは想像しただけで悲しかった。
 しかし、よく考えてみれば、ぼくはいつも千裕ちゃんの笑顔は見慣れているけど、泣き
顔は見たことがない。笑い顔があんなにぼくの胸にキュンとくるのだから、泣いた顔はき
っともっとキュンとくるに違いない。
 そう思うと、たっちゃんの「計画」が怖いような、それでいてどこか楽しみなような不
思議な気持ちになって、ますます眠れなかった。

 それ以来、ぼくは毎日、気が気じゃなかった。午前中の業間休み、給食明けの昼休み、
たっちゃんがいつその「計画」を実行するのかがやっぱり怖かった。
 天気のいい日は、たっちゃんやヨッピーや山ちゃんたちは、いつも外でドッジボールを
していた。チャイムとともに飛び出して、授業の始まるギリギリまで外にいる。
 ぼくは教室の窓からぼんやり彼らを「監視」しながら、目はついつい千裕ちゃんの姿を
追っていた。千裕ちゃんは、女子の連中と一緒にゴム跳びをよくしていた。よくしなる体
がはね上がると、白いフワフワのついたスカートがさあっと風になびいた。

 何日かして、たっちゃんのやつ、もう「計画」を忘れたのかな、と思って油断していた
その日は、雨だった。雨の日は、業間休みにも昼休みにも先生がまわって来て、
「こらー、教室になんかいないで、外で遊びなさーい」
とか言ってきたりしないので、ぼくはだいすきだった。
 ぼくは読みかけだったポプラ社文庫を喜々として開いた。ぼくの斜め前の席では、千裕
ちゃんが女子たち数人とトランプをしていた。

 まったく心の準備ができていなかった。
 ぼくがすっかり「あの話」を忘れて、ズッコケ三人組が宇宙に飛び出すくだりにのめり
こんでいた瞬間、不意に
「おいっ!相沢っ!」
 たっちゃんの声が教室に響いた。
(あっ!)
と、ぼくが声をあげる前に、たっちゃんは
「えいっ!」
と、無防備な千裕ちゃんの頭を両手で掴んでいた。
 そのまま、たっちゃんは千裕ちゃんの頭を力まかせに引っ張った。

 ぼくは、そのときの光景を一生、忘れないだろう。
「ガチャン」
と、ガラスの割れるような音がして、千裕ちゃんの首が思いっきり胴体から離れたのだ。
「おおーっ!」
 たっちゃんの周りを取り囲むヨッピーに山ちゃん、岡っちたちがどよめいた。
「取ったーっ!」
 たっちゃんが教室中に響く大声で叫んで、もぎとった千裕ちゃんの首を両手で上に掲げ
た。

 つい今まで、千裕ちゃんとページワンをしていたおカメにウッチーといった女子連中は、
目の前で突然起こった信じられない出来事に、ただ呆然として目をみはっているばかりだ。
 ぼくは、すぐには千裕ちゃんのほうを見られなかった。おそるおそる千裕ちゃんの顔を
窺ってみると、たっちゃんの両手の中で、大きな目をさらに大きく見開いて、口を半開き
にし、まるで放心状態のように青い顔をしている。唇が震えているみたいだった。

 たしかに、ぼくは見た。離ればなれになった千裕ちゃんの首と胴体に、それぞれすごく
細かい機械がいっぱいつまっているのを。
「わ〜い、見〜ちゃった、見〜ちゃった。相沢はロボットだ〜、相沢はロボットだぁ〜い」
 ヨッピーや山ちゃんたちが手を叩いてはやしたてた。首から上のなくなった千裕ちゃん
の体がバタバタと動くのを、中村と梶田が二人でおさえつけていた。

 ぼくは、震えていた。次に何が起こるのかが怖くて、震えていた。やっぱり、楽しいこ
となんて、ありはしない。つらいだけだ、と思った。目の前がまっ暗に感じた。

 突然、
「うわあん」
と、高い泣き声が教室中に響いた。もちろん、千裕ちゃんの声だった。それは、ぼくにと
って、今までまったく聞いたことのないほど悲しい泣き声だった。
 まさに突然「火がついたように」泣く、とはこんな状態を言うんだろう。たっちゃんの
両手に抱えられた千裕ちゃんの激しい嗚咽が、ぼくとみんなの胸に鋭く突き刺さった。
 ヨッピーや山ちゃんたちも、にわかに手を叩くのをやめ、困ったようにお互いの顔を見
合わせ始めた。同時に、みんなの刺すような視線が、たっちゃんたちになじるように注が
れた。
 千裕ちゃんの首を抱えているたっちゃんは、ついさっきまで誇らしげに胸の前に「獲物」
を掲げ持っていたが、急にシュンとなって、きまり悪そうに、千裕ちゃんを脇にいる岡っ
ちに渡そうとした。
 岡っちは逃げるように、首を横に振りながら、両手で「いらない」の仕草をしてみせた。
反対側にいるヨッピーに手渡そうとしたが、ヨッピーもやはり同じ仕草をしてその厄介な
ものを受け取ることを拒否した。

 ぼくは、自分がどうしたらいいかわからなかった。どうしたいかは決まっていた。無論、
千裕ちゃんのためにたっちゃんを懲らしめて、外されてしまった首を元通りにつけてあげ
て、千裕ちゃんの涙を拭いて、なぐさめてあげたかった。
 でも、できなかった。ぼくには何もできなかった。顔を下げて、おろおろして成り行き
を見守る以外には。

 教室中がしんと静まりかえって、どう事態を収拾させればいいのか、みんなそれぞれの
立場で考えて、固唾をのんでいたとき。さっきまで唖然としたまま黙っていたおカメこと
亀井亜矢香がすっくと立ち上がって、ズカズカとたっちゃんのところに行って、
「バシッ!」
と、思いっきりたっちゃんに平手打ちをした。そして、
「戻してあげなさいよ!」
と、短く、しかし毅然として言った。
 たっちゃんはうつむいたまま、黙って小さくうなずき、まだ泣いている千裕ちゃんの頭
をもとの胴体にはめこんだ。
 もとに戻った千裕ちゃんは、やっと涙が拭えるとばかりに、両手で顔をおおって、また
泣き声をあげた。
「うっ。うっ。うっ。うっ・・・」
 静まり返った教室に、千裕ちゃんの泣きじゃくる声と、外の雨音だけが重く響いた。誰
も、何も言わなかった。

「ち・・・千裕ちゃん」
と、ぼくはよっぽど肩でも抱いてあげたかった。が、ぼくが勇気をふるう前に、おカメと
ウッチーが
「相沢さん・・・」
と言って、千裕ちゃんにそっとハンカチを差し出した。
 しかし、千裕ちゃんは受け取らなかった。千裕ちゃんは顔をおおったまま、椅子から立
ち上がると、ランドセルも持たずに教室から飛び出して、それっきり、休み時間が終わっ
て3時間目が始まっても、戻ってこなかった。
 ぼくはやっぱり、追いかけることはできなかった。できなかった。・・・

 その日は一日、給食のときも昼休みのときも教室が異常に静かだったので、田辺先生が
不思議がった。もちろん、誰も休み時間のできごとのことは一切ふれなかった。ただ、お
カメとウッチーが黙って千裕ちゃんのランドセルを持って下校して行った。

 ぼくは自分がつくづく情けなかった。どうして、前もって千裕ちゃんに気をつけなって
言ってあげなかったんだろう。別にたっちゃんとは親友でも何でもないんだから、千裕ち
ゃんに告げたって、全然かまわなかったはずなのに。
やっぱり、内心どこかで、興味があったんだろうか。千裕ちゃんが困ったり泣いたりする
姿を心のどこかで期待する気持ちがあったんだろうか。そう思うと、ますます自分がいや
になった。
 結局、ぼくは千裕ちゃんに警告してあげることも、事件が起こった後で助けてあげるこ
ともできなかったのだ。おカメのほうが、ぼくなんかよりずっと「男らしい」と思った。
 ぼくは、その晩からまた眠れなくなってしまった。

 それから数日間、千裕ちゃんは学校に来なかった。
 千裕ちゃんがもう一度、学校に来たのは、あの事件から一週間も経ってからだった。そ
の間、ぼくだけでなく、たっちゃんやヨッピーたちも気にしている様子だった。
たっちゃんたちは、千裕ちゃんのことではなく、あの事件で先生に怒られるのではないか
ということを心配していたのに違いない。
 だけど、田辺先生は意外にも一切、何も言わなかった。千裕ちゃんがお父さん、お母さ
んに何も言わなかったのか、先生が知っていてみんなの前で叱るのを避けたのかはわから
ない。
田辺先生は、うちのママに言わせると、コーネンキのせいでヒステリーらしいから、いつ
もみたいに長いお説教をするのかと思っていただけに、何だか不思議だった。

 千裕ちゃんが再び学校に出てきた日から、おカメやウッチーたちでさえ、あの事件のこ
とをまるでなかったことかのように口に出さず、いつも通りに千裕ちゃんと接している。
だけど、確実に千裕ちゃんは変わった、とぼくは思った。1学期の最初からずーっといつ
も千裕ちゃんのことを見ていたぼくには、それがわかった。
 今までは授業中あんなに手を挙げていたのに、すっかり手を挙げなくなって、「おとな
しく」なってしまった。休み時間には今までみたいに他の女子と外で遊んでいたけれど、
何だか笑顔がほとんどなくなったように思えた。
 ぼくのせいだ・・・ぼくは「主犯」ではないけど、たっちゃんが千裕ちゃんをいじめる
のを事前に防ごうと思えば防げたのに、そうしなかった。家庭教師の内村先生が、こうい
うのをフサクイハンって言うんだって教えてくれたっけ。

 校庭の桜の葉っぱもすっかり散って、木枯らしが冷たくなってきたある月曜日、担任の
田辺先生がぼくらに言った。
「今日は皆さんに、ちょっと残念なお知らせがあります」
 ぼくの頭の片隅で何かがピンときた。そして、ぼくは悪い予感が外れてくれることを願
った。
「この4月以来、みんなと一緒に勉強してきた相沢千裕さんが、今度、転校することにな
りました」
 ああ、やっぱり。どうして、嫌な予感ほど当たってしまうんだろう。

 横を見ると、たっちゃんもヨッピーも、居心地悪そうな顔でうつむいていた。みんな、
あの日の気まずさを思い出して、黙りこくっていた。
「ですから、今週の金曜日、皆さんで、お別れの会をしてあげましょうね。いいですね」
 田辺先生は落ち着いた調子で、教室を見渡した。
「はーい」
 ぼくらは声を揃えて言ったが、当然、どこかトーンの低い声になっていた。
 田辺先生はそれに気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、
「じゃ、はじめますよ。1時間目は算数ですね。面積の問題ですよ」
と言って、いつも通りに授業を始めた。

 お別れ会と言っても、飲み食いをするわけじゃなく、ただみんなで歌を歌ったり、ハン
カチ落としをしたり、フルーツバスケットをするだけだったが、田辺先生が会の途中で、
「じゃ、これから遠くに行く相沢さんのために、みんなで寄せ書きをプレゼントしましょ
う。短い間だったけど、この5年2組にいた思い出に残るように」
と言って、色紙をまわした。
 ぼくにまわってきたときは、もうクラスのみんな、ほとんどが書き終わった後だった。
「転校してもがんばってね」
「お手紙ちょうだいね」
「新しい学校に行っても元気でな」
「風邪ひかないように気をつけなよ」
「相沢さんにもう算数おしえてもらえないなんて残念です」
 どのメッセージも当たり障りないことばかりだ。
 思った通り、みんな誰もあの事件のことには触れてない。そりゃそうだろうな、と思い
つつ、ぼくは急に腹がたってきた。
 みんな、最後までごまかすんだ。みんな、最後まで目をそむけるんだ。そう思うと、色
紙に並んでいるメッセージまで憎くなってきた。何が元気にだ。何が風邪ひくなだ。そん
なもんひくか。知ってるじゃないか。・・・
 ぼくのいらだちは、あの日のぼく自身への後悔から、みんなに八つ当たりしたかっただ
けだったんだと思う。
 ぼくは、サインペンを握って、
「もう、これからは人間にいじめられないように気をつけること。吉屋和彦」
と、強く殴り書きした。