「はぁ……ぅうッ……あァッ!」 部屋には女の嬌声と水音が響いている。 息を荒げて一心不乱に腰を振っている男は四十がらみの壮年で、三十半ばから出始めた 腹を女に押し付けて快楽を貪っていた。 女の顔は整っていて、切れ長の潤んだ目で視線をくれると、男は狂ったように女を求めた。 女は十代の女のようにきめの細かい肌をしている。 「あァ……旦那様……いっぱい……出してッ……はァっ」 「ソフィア……そろそろっ」 男は女の胎内で果てた。男の絶頂に合わせて女もクライマックスを迎え、男から精液を 搾り取る。 男とまぐわっているのは形式番号 HAL-2001-37564-SOPHIA『ソフィア』、一年前に発売 され、日本中の話題をかっさらった革新的アンドロイドシリーズの一機だった。 「ソフィア……俺はお前だけいれば満足だ……」 「旦那様、そんなことッ、言ったら……奥様が、あッ」 奥様。そうだ、俺には冬美がいたのだ。男はソフィアを再び押し倒しながら、妻の冬美 を思い出した。 冬美。神経質で、文句言いで、気に入らないことがあるとすぐにヒステリーを起こして 小娘みたいに金切り声で騒ぎ出す。 家事もできないし、頭も悪い。取り柄と言えば外見だけの、空っぽな女だ。ああ、なんて 嫌な女だろう! 男は考えながら腰を振り、ソフィアの胎内をかき混ぜる。 俺はなんであんな女と結婚しちまったんだ。あの時、 性欲に負けなければ……。 男は 20 年前の行動を後悔し、ソフィアの体を貪ることでその嫌な心情を紛らわせた。 「やっ……ッは……いィ……ふわぁッ……」 ソフィアの嬌声の間隔がだんだんと短くなり、徐々に大きくなっていく。 そうだ。アイツと結婚したのが全ての間違いだった。二人の娘は小さい頃はあんなに可 愛かったのに、今では父である俺を嫌っている。俺は別に子供なぞ欲しくなかったのに! 「だんなサマっ……わタシっ……イキますッ……」 そうだ! 冬美さえいなければ! 男は腰を振るのを突然止めた。絶頂を迎えようとし ていたソフィアが絶望的な表情で男を見た。 「旦那様、どうして……」 「ソフィア」 それまで虚空を見ていた男の目がソフィアに向けられた。 「冬美達を殺して、二人で外国にでも行って暮らさないか?」 米里警部は、自分が国家公安委員会に呼び出される理由は何か、とずっと思案していた。 何しろ、国歌公安委員会といえば、下っ端のノンキャリア警察官である米里にとっては雲 の上の神様みたいな存在である。 交通課の婦警に手を出したのがバレたからか? なじみの喫茶店のマスターに領収書を 多めに切って貰って着服したのがバレたのか? 米里には思い当たるフシがたくさんあっ たが、全てを思い出すことはできなかった。 一流ホテルのホールの扉のような重々しい観音開きの扉を警備員が開けると、老人達が Cの字の机にずらりと並んで座っていた。机に埋め込まれたディスプレイの光が老人達の 顔のしわを浮かび上がらせている。 「米里薫警部であります」 米里はへたくそな敬礼をした。ここ数年、とんと敬礼などしていなかった。老人達の無 遠慮な視線が突き刺さる。 「かけたまえ」 「失礼します」 米里は二つ並んだパイプイスの一方に腰掛けた。Cの字の中央の一番引っ込んだところ に座っている老人が委員長らしい。委員長はメガネをかけて手元の書類を眺めた。 「君の噂はかねがね聞いている。優秀な刑事だそうだね」 「は、光栄であります」 「そこで優秀な君に特別な仕事を用意した」 米里はいやな予感がした。特別に呼び出されて与えられる仕事はロクなものがない。今 度は委員長の右隣の軍人顔の老人が口を開いた。 「入りたまえ」 米里の後ろで扉が開いた。入ってきたのは若い女だった。髪が長く目は切れ長で鼻筋が 通っていて、いかにもエリートといった雰囲気を漂わせている。まるでロボットのような 硬質な美人だった。 「米里薫警部補であります」 米里は驚いて女の方を見た。新任少尉のように、妙にしゃちほこばった敬礼をしている。 こいつ、俺と同姓同名なのか。 「かけたまえ」 「失礼します」 米里と同姓同名を名乗った女は米里を一瞥して、米里の隣にかけた。となりに美人が座 っているからか、それともこのような堅苦しい場に引き立てられたからか、米里はかなり 緊張していた。 「米里薫警部、並びに米里薫警部補にはこれより通常業務を離れ、先日発生した一家四人 連続殺人事件を捜査してもらう」 委員長が口をもぐもぐさせて言う。入れ歯が取れかかっているらしいが、遠くて良く見 えない。 「尚、この事件は既に解決済みの事件だ。まだ解決したことは公表していないがね」 「では、なぜ私達が事件を再捜査する必要があるのですか?」 米里に代わって、隣の女が低く落ち着いた声で質問した。こいつ、口調までロボットみ たいなヤツだな。 「これは試験だからだ。君達には、人外の捜査員で構成された公安委員会直属捜査機関の 適性試験を受けてもらう」 人ではない者で構成された捜査機関。その適性試験になんで人間の俺がロボットと参加 しなきゃいけないんだ? 「警部、君は階級上は警部補より上だ。彼女に捜査のノウハウを教えてやってほしい」 「は、承知しました」 米里は自分が呼ばれた理由をようやく納得した。つまり、俺はロボット女に捜査の仕方 を教える教育係ってわけだ。米里は面倒だな、と思いつつも了承した。 「期限は明後日の正午まで。明後日の正午になったらここに来て、結果報告をしてもらい たい。無論、解決できない場合もあるだろうが、その時はただ警察手帳を返してもらうだ けだ。気楽にやってくれたまえ」 米里と警部補は早速事件現場にやってきた。閑静な住宅街にある庭付き一戸建てで、背 の低い塀に囲まれている。入り口には見張りの警官が二人立っている。 「お疲れさんです」 警官に警察手帳を見せ、「立ち入り禁止」のテープを潜った。玄関前の庭は良く手入れ されていて、花壇には青紫の花が咲いている。 軍人顔の説明によると、家の中は事件当時のままに再現されているそうだが、渡された 資料に部屋の物品の配置や発見された証拠品などは全て資料に載っており、改めて調べて も発見できるものはなさそうだった。 二人はまず妻・冬美の死体があったキッチンを見た。死体はさすがに運び出されていて、 キッチンの床が白く人型に囲ってある。 洗い物が食器洗い機の中にまだ雑然と残っており、流しの生ゴミの入った袋にはずいぶ ん厚いりんごの皮が入っていた。冷蔵庫を開けてみると、野菜室には長い間放置されて黒 くなったキャベツやカボチャが入っている。 冷蔵室にはオレンジジュース、漬物、半年前に消費期限の切れた栄養ドリンクなどが入っ ている。冷凍室はほとんど全てが冷凍食品で埋まっていた。 「どうも家事が苦手だったらしいな」 「そうですね。まな板もほとんど使われた形跡がありません」 これらは全て資料に載っていることと符合する。現場を見る限り、おかしなところは何 もない。 「まあいい、次だ」 二人は次に長女・夏生が死んでいた浴室を見に行った。 夏生はかなり派手な殺され方をしたらしく、浴室の壁はほとんどに血がこびりついてい た。資料によれば、頚動脈を切断されての失血死、とある。 床は綺麗だが、これは殺された時シャワーを使っていたために、水で流れてしまったから だった。他、風呂桶・浴槽・石鹸・シャンプーやリンスの類・鏡など、ほとんどのものが 血を浴びていた。 「こいつはジェイソンも真っ青だ」 「なんですか、それは」 「知らないならいい。次いくぞ」 二人は二階へ上がり、夫・秋雄が死んでいた書斎に入った。書斎にはここの一家の所有 していた新型アンドロイドのタンクベッドが置いてある。 タンクベッドについているシリアルナンバーをみると「HAL-2001-37564-SOPHIA」とある。 当のアンドロイドはというと現在行方不明である。 この部屋の主である秋雄はベッドで眠っているところを襲われたらしく、ベッドのすぐ 下が白く囲ってある。襲われた時に逃げようとベッドから落ちたようだ。死体はメッタ刺 しにされていて、一家の死体で一番酷い状態だった。 書斎の本棚はロボット工学の本やロボットに関連する書籍で埋まっていた。中には何だ かワケのわからない複雑な図面やら、英語で書かれたレポートのようなものまである。秋 雄は世界最先端のロボット技術を持つ HAL 社のエンジニアだったから、 本棚の内容は自 然といえた。 「ベッドの下とか、本棚の後ろに何かないか」 「何もないようですが、心当たりでもあるのですか」 「男の秘密があるのはだいたいベッドの下か本棚の後ろだ。が、まあバカ高いダッチワイ フがあったんなら、エロ本その他は必要ないか。よし、次」 次女・小春が死んでいたのは自分の部屋だった。入ってみると、年頃の女の子らしくか わいらしいはずの部屋は血で赤く染められて、気の利いたホラー映画にありそうな状況に なっていた。 小春は勉強中に殺されたらしく、死体は勉強机に突っ伏していたそうである。部屋は良く 整頓されていて、優等生だった小春の人柄が窺えた。 小春は姉の夏生と同じく頚動脈切断による失血死だったそうである。 「こいつはフレディもビックリだ」 「なんですか、フレディとは」 「いや、いい」 こいつがロボットだって事をすっかり忘れていた。米里は頭を何度か掻いて髪を撫で付 けた。 二人は半地下になっているガレージに降りてきた。ガレージのシャッターは閉まってい て、白熱電球の淡い光がなければ、ものの輪郭しかつかむことができない。死体が保管さ れているために、ガレージはひんやりとしていて、ジャケットを着ていても肌寒いくらい だった。 「これが四人の死体か」 「そのようです。左から冬美、秋雄、夏生、小春の順です」 冬美は四十五には見えないほどの容色を保っていた。白い肌、豊かな黒髪、ほっそりと したボディライン。米里は和服を着たらきっと似合うに違いないと考えた。 「死因は心不全。冬美はもともと心臓が弱くて、ペースメーカーをつけていたようです。 それが何らかの電撃を受けた拍子に破壊され、発作を起こしたというわけですね」 「なるほど。あー、わき腹に電流斑があるね」 冬美の腕を持ち上げてみると、わき腹にはトランプのスートであるクローバーのような 形の焦げ目がついていた。 「着衣の乱れは発作時に苦しんだ跡だけ、と。……ん?」 米里は丸めて手に持っていた資料にある一文を見つけた。「発見当時、遺体の背部・後 頭部・臀部・頸部に濡れた痕跡が認められた」。 つまり死体の後ろ側が全体的に濡れていた、ということになる。これだけでは何とも言え ないが、後々重要な手がかりになるかもしれない。米里は頭の片隅にこの事実を焼き付け た。 「ま、いいや。次」 秋雄の死体は見るも無残といった状態で、体中刺し傷だらけだった。監察医の検死報告 には全部で 27 ヵ所の刺し傷と 6 ヵ所の切り傷があった、とある。顔もぐちゃぐちゃで、 頭蓋骨から復顔をしてようやく秋雄だと判別したくらいだった。 「体に無数にある刺し傷は腹のひとつを除いて割合浅めで、キッチンにあった文化包丁が 凶器のようです。第一撃で勢いをつけて腹を刺し、秋雄が死んだ後に何度も刺した、と見 るのが妥当でしょう」 「そうだな。しかしこいつは酷いねぇ。よっぽど恨みがあったのかな。刺し傷が浅いとこ ろをみると、女かな? ま、とりあえず次、いってみようか」 夏生の死体は発見当時、全裸だった。入浴中だったから当然と言えるが、これは犯人も 水を浴びた事を意味する。 「ああ、こりゃこの子が生きてるうちに拝みたかったね」 夏生は発見当時と同じく、全裸で遺体袋に入っていた。母の血を濃く受け継いだのか、 一見して大和撫子といった感じだった。年齢は 19 とあるが、二十歳前の女とは思えない 色気があった。 「夏生は頚動脈を一撃されただけで、他に暴行の痕や外傷はありません」 「犯人は男じゃないね」 「なぜですか」 「男だったら、殺す前か後かはわからないけども、彼女にイタズラして行くだろうからね」 「そうでしょうか。殺す前なら悲鳴を挙げられる可能性がありますし、殺した後だとして もいつ家族がやってくるかわからない状況で死姦するでしょうか」 「死姦ってお前……まあいい」 小春も夏生と同じく頚動脈を切られて死んでいた。もう血こそ出ていないが、咽喉の切 り口が妙にグロテスクに見える。 「小春も夏生と同様の殺され方です。犯人はプロ同様、正確に頚動脈を切っています」 「それは怖いな。まるでレオンだ」 「……」 「悪い、知らないんだよな」 これで全ての死体を見たことになる。しかし、不審な点は他にはない。 米里はガレージを出る途上に、資料の被害者一家の交友関係についての欄を読んだ。冬 美・秋雄とも両親は既に死亡しており、冬美は一人っ子、秋雄は姉がいるだけで、その姉 も 3 年前に死んでいる。 親類との交友はないに等しい。また、冬美は陰気な性格だったようで、親しい友人はなか った。秋雄は社交的ではあったものの、人間関係は「広く浅く」だったらしく、こちらも 親しい人はいない。 二人の娘も内気な母の気質を受け継いだのか、学校ではおとなしく、友人も少なかったそ うだ。つまり、一家は外部の者との付き合いがほとんどなかったと言える。連続で無断欠 勤した秋雄と話をしようと家を訪ねた上司が第一発見者というのもうなづけた。 米里はガレージを出て、リビングにいた。リビングはかなり広く、高級そうなふかふか のソファと 50 インチのプラズマテレビが部屋の中央を占めている。 壁掛け時計を見ると、時刻は 18 時を回っていた。死体検分に意外と時間を食っていた ようだ。 米里はソファにもたれて資料をぼんやりと眺めていた。 現場の状態についての記述によれば、浴室から廊下・玄関・リビングを通りキッチンに 至る通り道に、水の滴った跡があったらしい。つまり、犯人は浴室で夏生を殺害した後、 キッチンに行って冬美を殺害したことになる。 米里が玄関に通じるドアからキッチンに通じる通路に目を走らすと、キッチンの方から 警部補が入ってきた。 「おう、どうだった?」 「キッチン、浴室、階段は全て玄関で通路が分かれていますから、誰かが三つのうちどこ かに向かっていたとしても、互いに気付くのは無理ですね。 仰った通りに、通風孔や小窓などを調べてみましたが、三ヵ所につながりはありません。 この三ヵ所は玄関を通らなければ、完全に分離しています」 「そう。ご苦労さん」 米里は予想通りの回答を得て満足と落胆を同時に味わうと、先ほどの推理に思考を戻し た。夏生殺害時の水浴びから、犯人が一家四人を殺した順序が大体見えてくる。米里はも う一度頭の中で状況を整理した。 第一に、犯人は夏生殺害時に水を浴びている。 第二に、冬美の体には濡れた痕跡があった。 第三に、秋雄・小春の体には濡れた痕跡はなかった。 第一と第二より、犯人は夏生→冬美の順で殺害した、と推察できる。また第一と第三よ り、犯人は秋雄・小春→夏生の順で殺害したと推察できる。 無論、夏生・冬美を殺害した後、着替えるなりして水が滴ったりついたりしないようにし て、秋雄・小春を殺したとも考えられるが、余計な手間を考えると可能性は低い。 殺人を犯す人間のほとんどは早く事を済ませて逃げたいと思うものだ。殺人を犯すのが人 間ならば、だが。 ともあれ、以上のことから殺害順は秋雄・小春→夏生→冬美となった可能性が最も高い。 米里がこれを警部補に話すと、警部補は軽くうなづいた。 「おそらく正しい推論でしょう。ですが、これが事件解決に繋がるのですか」 「さあ……」 「警部。濡れた痕跡から殺害順を推理するのも結構ですが、私は娘二人と夫妻の殺され方 の違いのほうを問題にすべきだと考えます」 「殺され方か。確かに妙だよな……」 娘二人と妻は咽喉を切られたり心臓をやられたりで「あっさり」殺されているが、秋雄 だけメッタ刺しというかなり「ねちっこい」殺され方をしているのは異質に見える。 また、娘二人と夫は咽喉を切られたり、メッタ刺しにされたりと「派手な」殺され方をし ているが、妻はペースメーカーを破壊されて、いわば「地味に」殺されているのもやはり 異質である。 前者を考えると、犯人は秋雄殺害に強い動機があり、秋雄の殺害が主目的だったと推察 される。となると、女性陣は秋雄殺害を邪魔立てされないように、または早期発見を避け るために殺害されたことになる。 しかしそうなると、秋雄殺害の後に小春を殺しているのはおかしいことになってしまう。 後者を考えると、事件の内容が見えなくなる。父娘を残虐に殺しておきながら、妻だけ を体に傷が付かない方法で殺す合理的理由が思い浮かばないのである。 以前から冬美に想いを寄せていた男が家に押し入り、一家を殺した後で冬美に迫ったが拒 絶され、殺してしまうというのも考えられなくはないが、そうなると冬美に暴行の後があ ってしかるべきではないか。 殺害順序としてはこれが当てはまりそうだが、やはりおかしなことになる。 第三の見方として、咽喉を切られて殺された娘二人と、それ以外の方法で殺された夫妻 に分けることもできる。この場合はどうなるのだろうか。 娘二人をなるべく傷の少ない方法で殺して遺体を持ち帰り、剥製にする猟奇殺人? いや、 それならば咽喉を切って殺さなくとも、首を絞めてしまえば首に跡が残るだけだから、見 栄えはずっといいはずだ。 それにキッチンにいた冬美や二階にいた秋雄には気付かれないのに、わざわざ危険を冒し て殺しに行っていることや、殺害順序からしても、この見方は破綻している。 「ああ、俺には全然わからん。お前の言う殺害方法から見てもさっぱりだ」 「どこでひっかかるのですか」 「秋雄と冬美の死に方が全く邪魔立てしやがる! なんで秋雄はメッタ刺しなのに、冬美 はペースメーカーを……」 米里の脳裏に一条の光が走った。 「どうしました」 「犯人がわかった」 「ようやくわかったのですね」 「ようやく? お前はわかってたのか」 「ええ、資料を読んだ時点で犯人はわかりました。冬美はペースメーカーを破壊されて殺 害されていますが、これを実行できるのは冬美がペースメーカーを着けていることを知っ ている者、つまり冬美と親しい者のみです。 一家は極端に人付き合いのない家ですから、冬美がペースメーカーを着けているのを知っ ていたのは本人・家族・担当医師に限られることになります。担当医師は本件には関与し ていませんから、犯人は家族の誰かです。 しかし、冬美を除く三人は皆死んでいる。となれば、家のアンドロイド『ソフィア』が犯 人であると推理できます」 米里は惨めな気分だった。俺が、エリートとはいえ警察学校出たてのぺーぺーに先を越 されるなんて! 「警部。これは新聞にも載っている推察ですよ。もっと世間の出来事に目を向けるべきな のではありませんか」 なんて嫌な女だ! 「悪かったね。あいにく俺はマスコミが嫌いなんだ。……もう帰ろうじゃないか。7 時を 回ってるし、事件は半分解決したようなもんだ」 「まだ解決したわけではありません。アンドロイドが主人を殺害する動機がありませんよ」 「それも明日だ。帰るぞ」 米里は警部補を無理矢理引っ張って、家を出た。無意識のうちに懐に手が伸びてタバコ の箱を探したが、我に返ってみると、なぜかタバコを吸いたいとは思っていなかった。 そういえば禁煙したんだったか? 思い出そうとするが、禁煙した記憶がなかった。米里 はまあいいか、と思考を停止して帰路に着いた。 翌朝、二人は再び事件現場にいた。 「さて、昨日の宿題は……アンドロイドの動機だったか?」 「そうですね。なぜアンドロイドが主人を殺害したのか。また、ロボット三原則第一条で 人に危害を加えられないはずのアンドロイドが、なぜ三人もの人間を殺せたのか」 「ちょっと待て。なんだ、そのロボット三原則ってのは」 「資料を良くお読みになればわかりますよ」 米里はふてくされたように乱暴に資料をめくった。アンドロイド「ソフィア」の欄に、 「ロボット三原則」が参考資料として載っている。 第 1 条「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、 その危険を看過すること によって、人間に危害を及ぼしてはならない」。 第 2 条「ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。但し、 与えら れた命令が第 1 条に反する場合はこの限りではない」。 米里はその下に注があるのに気が付いた。 「尚、製品の初期不良により、ある程度所有者との親交が深まると第 1 条の前半より も第 2 条前半の原則が優先され、また第 2 条後半は失効する」。 「ということはアンドロイドは主人に命令されれば、殺人は可能だったわけか」 「そうなります。ですが、主人である秋雄が自分を殺すように命令を出すか、疑問です。 資料にも載っていますが、秋雄と冬美の夫婦仲はあまり良くはなかったようですから、冬 美殺害を命令する動機はあります。 どうやら冬美は、秋雄がアンドロイドに夢中になっているのを快く思っていなかったみた いですね。また、秋雄は年頃の娘に嫌われているのがずいぶん嫌だったようで、会社の同 僚に愚痴をこぼしていたそうです。 娘の父親嫌いに我慢がならなくなり、娘二人の殺害を命令したのも、あまり合理的ではあ りませんが、ありえます。しかし、自分を殺害するように命令するのは論理的とは思えま せん。 秋雄は担当だったアンドロイドのカーボンフレームが新型アンドロイドに採用されて、来 年度にチーフエンジニアに昇進が決まっていましたし、会社での評判も上々でした。死ぬ べき理由が見当たりません」 「どうかな。自分が妻子殺害を命令した後、後悔の念に駆られて……とか」 「そうなると、殺害順序に合いません。秋雄は最初か二番目に殺害されているのですよ」 「じゃあどうなってるんだ。なぜ秋雄は死んでいるんだ……。秋雄を殺したのはアンドロ イドじゃないのか?」 アンドロイドは秋雄の命令がなければ、殺人を遂行できない。そして、秋雄に自殺する 理由はない。そうなると、秋雄を殺害したのはアンドロイドではない何者か、ということ になる。 それならば、女三人があっさりと無駄なく殺されているにもかかわらず、秋雄を殺した犯 人はメッタ刺しという強い恨みに基づく殺し方、つまり、人間的な殺し方で殺害している のも筋が通る。 「……女三人と秋雄は別々の者に殺されたのか」 「その通りです」 まただ。こいつ、また俺の先を行っていやがる。 「……お前、もしかしてもう全部わかってるのか」 「事件については、私の中では解決済みです。資料を読んだ時点で事件のおおよその見当 は付きました。現場に来てそれに間違いがないか確認して、私の推理に誤りがないのがわ かりました」 「ならこの仕事はおしまいだ。さっさと委員会に行って報告して、依願退職の危機から解 放されようじゃないか」 「それはできません。私が全てを解決したとしても、あなたはまだ解決できていないので すから、免職は免れないでしょう」 「……クソッタレなジジイどもだ」 米里は頭をかきむしってソファにドスンと腰を下ろした。 「今、15 時ですから、後 21 時間ですよ。あなたは事件の半分近くを……」 「黙れよ、ロボット女。ジジイと寝て事件の真相を教えてもらったんだろうが、この腐れ ビッチめ!」 苛立ちから、思ってもいないような言葉までが口をついて出た。この女、どこまで俺を バカにすりゃ気が済むんだ。上から見下したような口利きやがって! 「お言葉ですが、それは違います。確かに私は公安委員長や副委員長と関係を持ちました が、その見返りを受けたことはありません。私はロボットですので。それから、ビッチと はなんですか?」 「……もういい」 こいつがロボットだって事を忘れていた。感情的な罵倒に論理的な言葉を返されては、 毒気を抜かれて何も言い返せなかった。 警部補は無言でキッチンでコップに水を汲んできた。米里は黙ってそれを飲み干すと、 再び事件の推理に意識を向けた。 「……可能性が一番高いのは冬美か」 アンドロイドに旦那を取られて、嫉妬して殺したのだろうか。おそらくそうなのだろう。 娘達は死んで欲しいくらい秋雄を嫌っていたかもしれないが、本当に殺しはすまい。そう だとしたら、世の年頃の娘はほとんどが殺人犯になってしまう。 秋雄殺害犯を冬美だと仮定すると、事件の概要の見当がつく。 始めに冬美が文化包丁を持って、秋雄の書斎に行く。部屋には秋雄のみで、ソフィアは 部屋を出ていたはずだ。冬美は書斎で秋雄をメッタ刺しにする。 冬美が部屋を出て行った後、ソフィア帰ってくる。おそらく秋雄は「俺が殺されたら、冬 美と小春と夏生を殺せ。そいつらが犯人だ」とでも言っておいたのだろう。 ソフィアは秋雄の体から包丁を抜いて、書斎を出る。たぶん二階の部屋を全て調べただろ う。ソフィアは小春の部屋に入る。小春は部屋に入ってきたのがソフィアだったから、警 戒しなかっただろう。 そして背を向けた小春の咽喉を切り裂き、殺害。浴室までの通路に血痕はなかったから、 返り血を浴びないように注意を払ったと思われる。 次にソフィアは階段を降りて、シャワーの音を聞く。浴室には冬美か夏生のどちらかがい ると判断し、浴室に侵入、シャワーを浴びていた夏生を殺害した。この時、ソフィアはシ ャワーの湯を浴びた。 浴室から出て、残った部屋のリビング、そしてキッチンに向かう。キッチンで最後の標的・ 冬美を発見したソフィアは……。 「どうして冬美はあんな殺され方をしてるんだ。警部補、これにも合理的説明がついたの か?」 「いいえ、その点は私にも合理的説明はつけられませんでした。ですが、人間は常に論理 的で理知的ではありませんから、秋雄がソフィアに、冬美は傷がつかないように殺せと命 令したのかもしれません」 「そうか。……これで事件は無事解決だな?」 「ええ、この事件は解決しました」 「それじゃあさっさと公安委員会に出向いてこの仕事を終わらせよう。俺はもうくたくた だ」 「それは無理です。最後の真相をあなたは明らかにしていません。試験はまだ終わりでは ありませんよ」 「何だと? もうこれ以上、この事件について何を調べろってんだ」 「ですから、この事件は解決しました。私が言っているのは試験が終わっていない、とい うことです」 腕時計を見ると時刻は既に 20 時。米里には「最後の真相」とやらが全く見えてこなか った。 「まだわからないのですか」 「さっぱりだね。……俺、クビになっちまうのかな」 米里は先月新車を買ったばかりで、まだローンが残っていた。同僚の結婚と親戚の葬式 が重なり、米里のなけなしの貯金もあまり残っていない。クビになるのは大変まずい。 「ではヒントを差し上げます。私についてきて下さい」 言うなり、警部補は立ち上がった。米里はリビングを出て行く警部補についてリビング を出た。階段を上り、警部補は夏生の部屋に入った。 「夏生の部屋か。ここに何かあるのか?」 「警部。私を抱いてみて下さい」 一瞬、警部補がなんと言ったかわからなかった。「私を抱いてみて下さい」? 頭がお かしくなったのか。 「お前、何言って……」 警部補は上着を脱いで、ブラウスのボタンに手をかけた。一つひとつボタンが外れ、警 部補の豊かな胸と、それを隠す下着が現れた。米里は警部補の首に、クローバーをかたど った金のペンダントがかかっているのを見た。 グレーのジャケットにグレーのタイトスカート、白のブラウス、ベージュの下着と、およ そアクセサリーからは程遠い警部補がペンダントをしているのはいささか印象的だった。 警部補は手馴れた様子でタイトスカートにも手をかけ、あっという間に上下とも下着姿 になった。警部補は均整の取れた体形をしていて、肩や腰のボディラインには女らしさが 如実に現れている。 「警部、私がこんなに誘っているのに、抱いてくださらないのですか」 警部補は普段からは想像もできない艶っぽい声で米里を誘った。上着の襟を開き、ワイ シャツのボタンの隙間から手を差し入れてくる。警部補は米里の手を取り、自分の乳房に 押し付けた。 「おいおい……」 米里はおかしな気分だった。いつもなら、こんな美人にこれほどまでに誘われればとっ くにベッドに押し倒しているのに、今日は全然そんな気分にはならない。 性欲が全く消えてしまったみたいだった。扇情的な警部補を見ても、少し驚いただけで自 分の分身も不能者のように何も反応がない。 「警部。お分かりになりましたか? 女性との性交を好むあなたが、なぜ今私を襲わない のか」 警部補はさっきの色っぽい声から、急にいつもの事務的な声に戻った。 「……わからん。知りたくない」 「いいえ、あなたはもう気づいていらっしゃる。自分が……」 米里は突然意識が遠のくのを感じた。警部補の言葉を最後まで聞き取ることができなか った。 「……MCE-2021-X-KAORU『薫』は事件を解決することはできましたが、自分の正体まで看 破することはできませんでした。彼は不具合で強制終了する直前には、自分が性的不能者 であると思っていたようです」 「そうか。他には気づいたことは?」 「特にありません」 委員長はペットボトルのミネラルウォーターをコップに注いで、口に含んだ。隣に座っ ている軍人顔の副委員長が「入りたまえ」と声を上げた。 観音開きの重々しい扉が開くと、米里薫警部こと MCE-2021-X-KAORU『薫』 が入ってき た。 「遅かったじゃないか、米里警部。とっくに 13 時をまわっとるよ」 「申し訳ありません。倒れた後、事の真相を考えていたものですから」 ほう、と委員の面々が感心したような顔をしたが、特に期待をしているふうでもなかっ た。ロボット女は資料を一読して事件を解決したのだから、俺が期待されなくても当然と いえば当然だな。 「聞こうじゃないか、君の推理を」 米里は殊勝にも一礼をして、時々言葉を詰まらせながら話を始めた。 「事件については皆さんもうご存知でしょうから、省略させていただきます。 私が考えたのは、一家四人を殺害したアンドロイド、HAL-2001-37564-SOPHIA「ソフィア」 がそこにいる米里薫警部補である可能性が高いということ、そして私はどういうことか知 らないが、サイボーグにされているらしいということです」 警部補は米里が知る限り、初めて驚きの表情を見せた。米里はざまあみやがれ、と心中 で呟いた。 「……最初の方から聞こうか」 「はい。私がまず疑わしいと思ったのは、彼女が『なぜ冬美は娘達と違う方法で殺害され たか』について言及した時です。私が警部補に合理的説明がついたか、とたずねると、彼 女は確かこう言いました。 『合理的説明はつかなかった。だが、人間は常に理知的ではないから、きっとソフィアに は冬美を傷付けないように殺せと命令したのだろう』。 その時、私は不審に思ったのです。それまで曖昧さを一切なくして話をしていた彼女が、 どうして突然お茶を濁すようなことを言うのだろうか、と。タネがバレてみれば簡単なこ とだったんですよ。 彼女は事実、そのように秋雄に命令されたのです。ただ事実を話しているだけなのですか ら、何もおかしなことはなかった」 米里はパイプイスにかけている警部補を見下ろした。警部補は無表情に虚空を見つめて いる。話を聴いているのか、よくわからない。 「私は『どのようにして冬美のペースメーカーを破壊したのか』について、ずっと思案し ていました。なにしろ、現場にはスタンガンや切られた電源コードなど、ペースメーカー を破壊できそうなものはおよそ見当たらなかったのです」 軍人顔の副委員長が鼻で笑った。 「だから電動ロボットの彼女が電撃を発して冬美を殺したというのかね?」 「そうです。だが、それでは彼女である証拠にはならない。電撃をただ発するだけなら、 他のアンドロイドにだってできるはずなのですからね。問題は冬美のわき腹にあった焦げ 目です。あれはクローバーの形をしていたはずですね?」 「……確かに」 「それは警部補がつけているペンダントと同じ形をしていました。大きさもだいたい同じ くらいです。私は警部補にヒントと称して誘惑された時にそれを見たのです。 警部補は冬美殺害に身につけていたペンダントを使用した! 殺し方はおそらくこうだっ たはずだ。すなわち冬美の後ろから首に腕を回して体を固定した後、わき腹にペンダント を密着させて電撃を加えた。 これなら冬美の背中と首が濡れていたのも説明がつく」 米里は警部補の前に回りこみ、ガラスのような警部補の目をにらみつけた。 「犯人はあんただ」 その時、米里の後ろで拍手が鳴った。振り返ると、委員長が一人で手を叩いていた。 「素晴らしいよ、警部。見事だ。『ソフィア』、真相を」 「はい。……警部、その推理では私が犯人であるという可能性が高いと指摘はできますが、 私が犯人であるという証明にはなりませんよ」 米里の眉が少し動いた。こいつ、どこまで嫌な女なんだ。いや、ロボットか。降参する ならさっさと白旗を揚げろ。 「ですが、ペンダントから露見してしまうとは、失策でしたね。あなたの仰る通り、私が 冬美・夏生・小春の三人を殺害しました」 「なぜ、君が?」 「それはお教えできません。国家機密ですので」 米里は警部補がくそ真面目な顔で「国家機密です」と言うのがおかしくて、思わず噴き 出した。そんな米里を警部補はきょとんとした顔で見た。 「米里警部。そろそろ次の話を聞きたいところだが」 「そうでした。自分がサイボーグだと気付いた理由は、簡単なことですよ。最初におかし いな、と思ったのはタバコです。 私は無意識のうちに、タバコを吸うために内ポケットを探ることがあったのですが、なぜ かタバコを吸いたいとは微塵も思っていないのです。 そして、禁煙したのかなと思って記憶を探ってみると、今度は昔のことを思い出せないの ですよ。これはいよいよおかしな話ですよね。そこへ来て」 米里は警部補を見やった。 「彼女の誘惑に何も感じなくなっているのですから、自分がどうにかなった気分でしたよ。 その上、意識を回復して頭に傷がないか確認していたら、パックリと傷が開いているのに 血が出てないんですからね。まさかサイボーグになったとは思いませんでしたがね」 「MCE-2021-X-KAORU『薫』、並びに HAL-2001-37564-SOPHIA『ソフィア』は別命あるまで、 通常業務に戻れ」 「「はッ」」 米里と警部補は揃って敬礼をした。 「おめでとう。君達は我が委員会直属の捜査員として、今後主に防諜活動をしてもらう。 期待している」 公安委員長は口元をほころばせた。 「失礼します」 米里薫警部こと MCE-2021-X-KAORU「薫」、米里薫警部補こと HAL-2001-37564-SOPHIA 「ソフィア」の両名は国家公安委員会の会議室を後にした。 建物から出ると、米里は隣に立っている警部補に小声で話しかけた。 「なあ、その、聞きたいことがあるんだけど」 「何でしょうか。機密はお教えできませんが」 「そうじゃない。だから、その……俺のムスコはもう使用不可になっちゃったのか?」 警部補は口元に手をやって小さく笑った。警部補が笑うところを初めて見た。 「いえ、ただ性欲が消去されているだけで、性的刺激を受ければちゃんと使えるはずです。 ……なんならこの後、昨日の続き、します?」 「えッ? いや、その、突然言われても」 今日いくら持ってるっけ。休憩代くらいならイケルか? いや、アパートに連れ込むっ て手も……。 「試作型サイボーグはアンドロイドに比べると数段劣りますな」 「あれはあれで良いのでは? 肝心なのは電子頭脳にはない創造性を持っていることなの ですから」 「MCE 社はこれで倒産でしょうな。彼の他に発注する予定はないのでしょう?」 「今回の一件では産業スパイ一家の排除という主目的は達せられた。サイボーグの試験は あくまで副次的なものだよ。 それにこの試験で HAL 社のアンドロイドは信頼性もあるし、融通が利くことがわかった。 軍事利用も前向きに検討できる。 さらに海外資本に支配された MCE 社を倒産に追い込み、 サイバネティクス産業世界最先 端は日本政府資本の HAL 社のみとすることができた。大戦果と言っても良い」 「ですが、グレースシリーズの開発が停止したのは痛手では?」 「問題ない。アメリカのダミー企業の出資で、開発を継続させる手はずが整っている」 ドン、と委員長が机を叩いた。 「皆さん、あまり機密を喋られるのは感心しません。外では特に用心をお願いしたい。で は今日は解散しましょう」 <おしまい>