「うわ、降ってきた!」
 学校の正門を出てから10分ぐらい歩いたところで、僕は季節外れの夕立に見舞われてしまったのだ。季節は晩秋、昨日までは
 そろそろコートが必要かな?と思うぐらい肌寒かったのに、今日は朝から妙に蒸し暑かった。僕の家は小高い丘の上にある
 一軒家で、学校の友達の家とは正反対の方向…山の方へ歩いて行かないといけない。ただでさえ中学校が街の外れにある
 から、5分もあるけば周りに人が住んでる家が殆どない所に出てしまう。そんな訳で、中途半端な地点で雨に降られると、
 自宅までダッシュをしなければいけないのだ。
「姉ちゃん、大丈夫かな…傘持ってたっけ」
 走ってる最中でふと思い出した。僕の姉は、今日は体調が悪いから学校を休むって言ってたんだっけ。身体も弱いらしくて、
 月に一回休んで医者に通っている…今日は確かその日だったっけな…そう思いながら、僕は家を目指して走り続けていた。

 それから10分ぐらい走り続けていると、丘の上にそびえ立つ3階建ての家が見えてきた。あれが僕の家だ。父さんは大学の
 教授で、家の1階は父さんの研究室になっている。

『なんで、僕等の家はこんなところに建ってるの?』
『そりゃーお前…研究所ってのは人里離れた所にぽつんと建ってるのが常識ってもんだ』
『…お父さん、研司に嘘教えちゃだめよ』
「何を言うんだ、陽子…俺は嘘なんぞついてないぞ? アニメでも研究所といえば…』

 僕が小学校の時、家族の間でよくかわされた会話だ。父さんは小さい頃からロボットを作るのが夢だったらしく、今の家が
 出来る前は大学の研究室を占領して色々と面白いものを作っていたらしい。
「はぁ…はぁ…あと一踏ん張りだ…」
 つまらない事を考えて身体の疲れを紛らわしながら、目の前に迫ってきた家の玄関に駆け込もうとした瞬間。

 耳をつんざく大音響が響くと同時に、僕の目の前は真っ白になった。

 家に着いた筈の僕は、病院の廊下に立っていた。身体を見ると、小学生ぐらいの体格だろうか? 着ている服もアニメの
 ヒーローが描かれている、なんだか懐かしい香りがするTシャツと半ズボンだ。
「うぅ…ぐすっ…」
「陽子…泣くんじゃない…」
 病室の扉の隙間から、聞き覚えのする声が漏れてきた。姉ちゃんの声だ…姉ちゃんが泣いている? 僕はゆっくりと病室の
 扉から中を覗いた。

「大変残念ですが…ご臨終です」
 父さんが研究室で着ているのと同じ白衣のおじさんが、沈痛な表情でうつむいている。その横には顔をしかめた父さんと、
 ベッドに突っ伏した姉ちゃんがいた。あのベッドには誰が寝ているんだろうか? 興味を持った僕は、扉を開けて病室の中に
 入った。
「父さん、それ…誰?」
「…研司!?」
「だめだ、入ってきちゃいかん!」
 僕は父さんの言葉に驚き、その場で止まろうとした…が、意に反して僕の足はベッドに向かってどんどん歩を進めていく。
「研司!やめて…母さんを見ないで!」
 母さん? そうだ、母さんはついさっき、僕を学校まで迎えに来る途中で交通事故にあったんだ。それで病院に運ばれて…。
 そんな事を考えてる間も僕はベッドへ近づき、母さんの顔を見ようとベッドにはい上がった。
「研司!だめ!ベッドから降りて!」
 姉ちゃんが泣き叫びながら母さんの体を押えている。母さんの顔は姉ちゃんの影に隠れてしまって見えない…僕は姉ちゃんの
 身体を力づくで母さんの体から引きはがす。
「やめて…きゃあ!!」
 いとも簡単に姉ちゃんの体を引きはがした僕は、母さんの顔をのぞき込んだ。
「母…さん…これが?」
 そこに、母さんの優しい顔はなかった。頭はその形こそ保ってはいたが、裂けて歪んでいる金属製の板やビニールの紐、
 半分つぶれかけた大きな目玉が片方だけ残っている。それはまるで、理科室で見た骸骨の模型をロボットにしたようだった。
「嘘だろ…これが母さんなんて、嘘だっ!!!」

 僕は母さんの身体を覆っていたシーツを無理矢理取り去った。
「なんだよ…これ」
 左腕が無かった。肩口からは骨のような金属片がはみ出し、ぐにゃりと曲がってしまっている。ヘソから下の身体は、まるで
 スクラップ工場に放り込まれて圧縮されたような機械の残骸で、ネジ曲がった膝から下の足がかろうじてくっついているだけだ。

”ロボット”

 僕の頭の中に、知らない人の声が響いた。
「誰だ!? 母さんはどこにいったんだ…教えてよ!」
 声は更に響き続ける。

”まだわからないのか。その朽ち果てた人形が、お前の母親だ”

「嘘つけ! 僕の母さんがあんなロボットな訳ないだろ!!」
 精いっぱい否定を続ける僕の背後から、姉ちゃんの声が聞こえた。
「あら、まだそんなこといってるのね」
「姉ちゃん、姉ちゃん! 嘘だと言ってよ!! 僕の母さんが壊れたロボットな訳ないだろ!?」
「子供だから理解できないのね」
「姉ちゃんだって子供じゃないか…うわっ!?」
 振り向いて姉ちゃんに飛びかかろうとした僕は、その場で凍りついた。
「…どうしたの? 私の顔、なんかおかしい?」
 姉ちゃんの顔じゃない。金属製の骸骨、眼下には大きな目玉…その隙間からは、理科の実験で使うような配線が何本も
 詰まっているのが見える。
「く、くるな…こっちに来るなよ!」
「研司…私よ…陽子よ…一体どうしたの?」
 僕は逃げようとしたが、身体が凍りついたように動かない。震える僕の顔を、姉ちゃんの手が…違う、金属で出来たロボットの
 冷たい手が、僕の頬をゆっくりと押える。
「好きよ、研司…私と一つになろうよ…」
「やめて…いやだ…」
 金属の骸骨が僕の目の前に迫ってきた。
「やめろぉぉぉぉぉぉ!!!」

 空が見える…どんよりと灰色に曇った空が。冷たい大粒の雨が僕の頬を叩き、身体の感覚が現実に引き戻されて行く。
「う…夢…? あだっ!」
 気がつくと僕は、玄関前の石畳の上に仰向けで寝ころんでいた。背中と尻がやたらと痛む…そういえば、家に入る瞬間に
 真っ白な光と音に包まれて、僕は…どうやら家に落ちた雷に吹っ飛ばされたらしい。家が丘の頂上にあるもんだから、
 何時雷が落ちても不思議じゃない。

「またあの夢か…」
 母さんは、僕が小学校の時に交通事故で死んだ。道路に飛び出した僕をかばって、トラックに轢かれた…僕はその場で
 機を失い、気がついたら病院のベッドに寝ていた。母さんが死んだのを知ったのは、事故から半年たって退院してからだ。
 事故に遇ったあと、やっと再開できた母さんは仏壇の写真の中だった。

「もう忘れたと思ってるのに…」
 僕は傍らに落ちていた学生鞄を拾い、痛む腰を押えながら玄関の扉を開けた。
「あれ…?」
 家の中は真っ暗だ。玄関の脇にある電灯のスイッチを手探りで見つけ、何回か押してみたが電灯は点かない。
「…さっきの雷のせいか」
 家の中に入り、手探りで廊下を歩いて自分の部屋の前まで何とか辿り着いた。扉の電子キーを操作してみたが反応は
 ない。停電してるから当たり前か…さて、どうしたものか。父さんは用心深い人で、万が一の事を考えて僕と姉ちゃんの
 部屋に電子キーを取り付けた。なにも家の中まで…と思ったが、最近一戸建ての住宅を狙った強盗が流行っていると
 いうことは新聞やテレビで随分と報じられている。それに、姉ちゃんに見られるとまずいものが、部屋の中に増えてきた
 こともあり、僕はしぶしぶと電子キーの取付を承諾したのだった。

「姉ちゃんもいないみたいだし、父さんが帰ってくるまでまつか」
 確か電子キーは、停電があっても内側からは開くようになっていた筈だ。姉ちゃんは学校を休む時、夕方になると必ず
 台所で僕達の晩ご飯を作ってくれている筈だ。
「今日の晩飯、冷めててまずいだろうなぁ」
 他にすることもないので、自分の部屋の前から台所に移動してみる。うちの台所はオール電化済…きっと鍋の前で
 不貞腐れてる姉ちゃんがいるに違いない。
「姉ちゃん?」
 僕の期待は裏切られた。台所には姉ちゃんの姿は見当たらない。ふとテーブルの上を見ると、鍋と一緒に紙切れが
 置いてあった。

”今日は遅くなります カレーを作っておいたので、これで我慢してね 陽子”

「仕方ないなぁ…父さんが帰ってくるころには電気も元に戻ってるだろうし、それまで待つか…」
 僕は学生鞄の中から携帯電話を取り出し、メールを確認する。友人から落雷があったことを気遣うメールが大量に入って
 いた。落ちた方向がもろに僕の家の方だったから、皆相当心配してくれているようだ。返信のメールを打とうとボタンを
 押した瞬間、携帯の画面が ”着信” を示す画面に変わった。どうやら父さんからの電話らしい。

「もしもし、研司です」
「研司! 家、大丈夫か!?」
「父さんか…もろに雷落ちちゃったけど、停電したぐらいでなんともないよ」
「家に落ちただとぉ!?」
 雷のような父さんの声が、僕の鼓膜に落雷した…おさまりかけていた耳鳴りがまた大きくなる。
「そんなにでかい声ださなくても、聞こえてるってば」
「陽子…陽子はどうしてる?!」
「姉ちゃんなら、書き置きをしてどこかにいっちゃったよ」
「…研司、お前は今どこにいる」
「台所だけど」
「そうか…そこを動くんじゃないぞ、絶対に!父さん今からすぐに帰るから、それまで絶対に台所から出るな!」
「な、なんだよ急に」
「わかったら返事!」
「…うん」
 僕が返事をした瞬間、携帯が切れた。ぷーっ、ぷーっと鳴り響く音が、嫌な予感を増長させる。

 (…雷が落ちたって言った瞬間、父さんの声色が変わった。それに姉ちゃんの事を急に聞いてくるなんて)

 心臓の音が急に大きくなり、頭にどくんどくんと響き始めた。冷や汗が額を流れ落ち、手が小刻みに震え出す。
「まさか…姉ちゃん」
 僕は玄関に戻り、姉ちゃんの靴を確かめる。
「あった…姉ちゃんの御気に入りの靴」
 姉ちゃんが出掛ける時、必ずといっていいほど履いて行く靴が残っている。姉ちゃんは何故かサンダルが嫌いで、どこへ
 行くにも必ずこの靴を履いていくのだ。僕はそのまま踵を返し、姉の部屋へ走った。

「姉ちゃん…姉ちゃん!!」
 電子キーは掛かったままで、ドアを開ける事ができない…僕はドアを叩きながら、大声で姉ちゃんに呼びかけた。
「返事がない…」
 僕は玄関の外へ出て、庭にあった梯子を姉ちゃんの部屋のベランダに立て掛けた。普段はこんなことをしようものなら、
 防犯システムが働いて大変な事になってしまう。が、今は非常時な上に停電中だ。なぜか非常用電源も動いていないから
 大丈夫の筈。

 梯子をよじ登り、柵を乗り越えてベランダに降りる。ガラス戸から部屋の中をのぞいてみたが、真っ暗で誰がいるのかも
 分からない。
「くそっ…」
 僕は悪態をつきながら、台所からもってきた懐中電灯で部屋の中を照らしてみた。
「姉…ちゃん!?」
 電池が切れかけた薄暗い懐中電灯の光の先で、姉ちゃんが勉強机に突っ伏しているのが見える。しかし、机はベランダの
 ガラス戸から少し離れた場所に机があるので、姉ちゃんがどうなっているのか良く分からない。
「姉ちゃん…ごめん!」
 僕は意を決して、ベランダに置いてあった物干し竿を手にした。バットのようにしっかり握り、僕はガラス戸を思いっきり物干し
 竿でなぐりつけた。
「姉ちゃん!」
 粉々に砕けたガラス戸の鍵を開け、僕は姉ちゃんの部屋に飛び込んだ。机に近づき、柄ちゃんの身体を懐中電灯で照らす。

「…!」
 僕は絶句した。机に突っ伏しているのは確かに僕の姉、宇都宮陽子だ。しかし、その顔は…目を見開き、何かを叫ぼうと
 しているように口を開けたまま凍りついていた。よく見てみると姉ちゃんの目からはピンク色のゼリーみたいなものがどろりと
 はみ出しているではないか。それに、口や耳、鼻…頭の穴という穴から、似たような色の液体が漏れ出している。
「こ、これは…」
 更に近づこうとして足を踏み出すと、僕の爪先に熱いものが触れた。思わず足を引っ込め、足下を確認する。
「なんだよ…これ」
 夢の中と同じ台詞を思わず吐いてしまった。何故なら、僕の足下には緑色の液体…以前、父さんの車がエンコした時、
 ボンネットの中で噴き出してたやつと同じ…の水たまりが出来ていたからだ。その水たまりは、姉が座っている椅子から
 ぽとぽとと滴り落ちていた。
「なんで…なんで姉ちゃんの身体から、こんなのが出てるんだよ…」
 懐中電灯で照らした姉ちゃんのベージュ色のスカートは、水たまりと同じ緑色の液体でべちゃべちゃに汚れていた。液体は
 姉ちゃんの太股あたりから滴り落ちている…となれば、この液体は姉の身体…それも下半身から漏れているに違いない。
「嘘だろ…こんなの…」
 僕はその場にへたりこんでしまった。姉ちゃんは表情を変えることも無く、机に突っ伏したまんまだ。

 それからどれぐらい時間が経ったのだろうか。突然部屋が明るくなり、姉ちゃんの机の上にあった機械がけたたましい音を
 響かせて動き出した。それはまるで何かを警告しているような、耳をつんざく高温だ。思わず僕が耳を塞いだ時、部屋の扉が
 轟音を立てて吹き飛んだ。

「陽子!大丈夫か!!」
「と、父さん!?」


(続く)