研究室の窓のブラインドから朝日が差し込み始めた頃、姉ちゃんの身体の組み立てが終わった。研究室に
 あった予備パーツの多くはコンピュータに接続してテストをしてる最中だったらしく、その殆どが落雷の
 影響を受けて使い物にならなくなっていた。人工筋肉の駆動液を保存していた設備も同じくダメージを
 受け、試供品として別の容器へ移し代えていた僅かな量の駆動液を使わなければならなかった。

「とりあえず無負荷状態で診断モードを動かしてみる」
 父さんは接続デバイスを介して、姉ちゃんの身体へ診断モードへの移行信号を送った。下半身は見た目
 元通りになっているが、実は下肢の人工筋肉には、必要最小限の量しか駆動液が入れられていない。
「…やっぱりだめか」
 父さんは姉ちゃんの身体の動きを見て、がっくりとうなだれた。股関節や膝・足首は動いてはいるが、
 人間の動作速度には程遠い…しかも足の自重に負けているのか、股関節は稼働範囲の半分程度しか動かない。
「仕方ないよ、胴体の方に駆動液を回したんだから…」
「人工女性器を中心にして、胸から下の人工筋肉が全滅してたからな」
「それにしては、なんで腕の方が…肘から先だけ、皮膚が溶けるぐらいダメージ受けてたのかな」
「落雷を受けた瞬間に充電デバイスを引張りだそうとしたようだ。」
 取り外したままの姉ちゃんの腕を手に取ってみる。確かに焼け焦げた手の平には、黒い配線のビニールが
 こびりついてるのがわかる。

「父さん、姉ちゃんの腕…なんとかならないの?」
「残念だが、ここまでダメージを受けては修復が不可能だよ」
 姉ちゃんの腕は配線だけではなく、人工筋肉と金属骨格の一部も溶けていたのだ。特に人工筋肉に関しては
 特殊な素材を使っているらしく、研究室に残されたパーツをかき集めても必要量に届かないらしい。
 姉ちゃんの上半身は、人間と同じ外見に戻っていた…肩から先を除いては。肩から肘にかけては人工筋肉や
 金属骨格が丸見えで、肘から先は金属骨格しかない。その金属骨格も肘関節から数cmのところで欠け、その
 先のパーツは皆無の状態だ。
「なんだか可愛そうだ…」
 僕はぼそりと呟いた…これは嘘だ。本当は、姉ちゃんの身体を抱きしめたくてたまらない衝動に駆られている。
 今の姉ちゃんは、白いパンツ以外は何も着用してない状態だった。
「今できることは全てやったつもりだ。さて、陽子の身体を起動させるぞ」

 父さんはPCのキーボードを忙しく叩き続けている。僕にはよく判らないけど、姉ちゃんの身体の肌に赤身が
 さしてきたのを見て、”ああ、姉ちゃんは生きているんだ”と感じた。足の指がぴくぴくと痙攣し、軽く身体を
 反らして戻った次の瞬間、姉ちゃんの胸が上下しはじめた。
「研司、姉ちゃんの胸に触ってみろ」
 僕は父さんに言われた通り、姉ちゃんの左胸をそっと触ってみた。
「…心臓が動いてる」
 胸の暖かみを通じ、とくんとくんという鼓動が伝わってくる。
「液体関係を潤滑させるポンプの鼓動だ…よし、これで起動準備は整った」
「あとはどうすればいいの?」
「野暮な事を聞く奴だな…眠れるお姫さまを起こす方法は只一つ、だ」
「そ、それってまさか」
「ふふふ、そうだ…王子様はお前の役目だ」
「マジかよ…」
「嘘は言わん。とにかくやってみろ」
 父さんの目を改めて見てみた…あれは嘘を言ってない目だ。僕は大きな深呼吸を二回したあと、姉ちゃんの
 脇に移動した。それから、じっと姉ちゃんの顔を見つめる。
「…姉ちゃん、今起こしてあげるから」
 僕は姉ちゃんに顔を近づけた。僕の目の前に、姉ちゃんの顔がある…胸がバクバクと鳴り響き、心臓に触られ
 たら爆発を起こしそうだ。
「…」
 そのまま目を閉じ、ゆっくりと唇を重ね合わせた。

 柔らかい。

 それに暖かい…僕はなんだか変な気持ちになり…姉ちゃんの唇の隙間へ、舌を突っ込んでみた。
 舌先が歯茎に触れる。確か、友人に借りたDVDで見た話だと、ここから先は…。

『起動トリガーの接触を確認しました。DNAの確認作業を実行します』

 え、何?ちょっと待って…!

 僕の舌先に、何か熱くて柔らかいものが絡みついてきた。慌てて舌をひっこめようとしたが、熱くて柔ら
 かなそれに撤退を阻止されてしまった。
「ーーっ!!むぅ〜!」
 舌がからめ捕られ、唇が淫らな音をたてて吸われ始める。今、目を開けたらどんなことになっているんだ
 ろう。でも、僕は怖くて結局目を開ける事ができなかった。
『DNA確認完了…起動者を宇都宮研司と認識…起動シーケンス、レベル9へ移行します』
 姉ちゃんの声とは掛け離れた、ハスキーで抑揚のない声が僕の耳に響く。
「ぷはあっ!!」
 舌と唇の力が緩み、なんともいえない甘美な地獄から僕はようやく逃れることが出来た。

「OK、あと30秒もすれば陽子は目を覚ます」
「父さん!騙したな!こんなことされるなんて全然聞いてない!」
「誰もディープキスをされないとは言っとらんだろ?…それに」
「それに…なんだよ」
「言ってる事と表情が正反対だ」
「なっ…!」
 反論できなかった。何故なら、自分でも顔がにやけているのを止められない事が判っているからだ。
「ほら、陽子が目を開くぞ」
「!」
 父さんの言葉にはっとなり、僕は姉ちゃんの顔を見た。

「…ん…」
 小さい吐息を一つ。それから姉ちゃんの瞼がゆっくりと開いて行く。
「…姉ちゃん」
「私は一体…ここは…研究室…あなたは…研…司?」
 お姉ちゃんは体を起こそうと、両腕を後ろに動かした。だが、関節や皮膚からのフィードバックがない
 状態の腕をいきなり思う通り動かせる訳がない。
「あっ!」
 途中迄起き上がった姉ちゃんの身体は、バランスを崩してベッドに転がった。僕は慌ててベッドに駆け寄り、
 姉ちゃんの背中を抱えて身体を起こす。
「姉ちゃん、大丈夫!?」
「腕の…腕の感覚が無いの…私の腕、どうなって…る!?」
 肘から先の僅かな金属骨格が、ぎこちなく動いている。人工筋肉が伸縮し、その先端についたリンクが
 他のパーツに動きを伝えているのが見えた。その動きに合わせ、きゅ・きゅいという音が僅かに聞こえてくる。

「これは…腕の機構が…まともに動かない…はっ!研司!?」
「姉ちゃん…僕…」
 姉ちゃんは両腕を抱え、剥き出しの機構を僕から隠そうとした。それが無駄な行為だとわかっていると
 思うと、僕の胸は複雑な気分で押しつぶされそうになる。

「研司、私…私は」
 姉ちゃんはそのまま足を動かし、ベッドを降りようとした。
「駄目だ、姉ちゃん!姉ちゃんの足は」
 僕が言うまでもなく、姉ちゃんは自分の足の異常に気付いたようだ。動きが鈍く、力が入らない事を自覚したらしい。
「陽子、お前の足の活性状態は通常時の1/10以下だ。歩くことはおろか、立ち上がることさえままならん筈だ」
「お父さん、私は一体」
 父さんは昨日起こった事を全て姉ちゃんに話した。僕が姉ちゃんの身体に触り、全てを見、修理にたずさわった
 ことも全部。

「そうだったの…じゃあ、私のことは…」
「父さんから全部聞いたよ」
「…研司…ごめん…ごめんね…」
 姉ちゃんの目から大粒の涙がこぼれ、頬を伝わってベッドに落ちた。
「ね、姉ちゃん」
「今まで嘘付いててごめん…私、研司の姉ちゃんじゃない…」
「…」
「出来ればこのままでいたかった。ずっとあなたの姉の、宇都宮陽子でいたかったの…」
「姉ちゃん、もういいよ」
「私はMGX2000typeF…人間との共同生活をロボットにさせるための研究材料なのよ。見て、この腕を」
 姉ちゃんは僕に右腕を差し出した。人工筋肉が大きく収縮し、金属で出来た肘関節が動く。
「私のこの顔も作り物。中身は血と肉じゃない、金属と樹脂とオイルが詰まってる」
「姉ちゃん、やめてよ」
「放して…戯れはもう終わりよ。私はもうあなたとは一緒に…っ!」
 姉ちゃんの言葉はそこで途切れた。何故なら、姉ちゃんの口は僕の唇で塞がれたからだ…暫くしてから僕は
 唇を解き、姉ちゃんの瞳を見つめた。

「何いってんだよ…宇都宮陽子は、僕の姉ちゃんじゃないか」
「研司、あなた…」
「確かに最初はショックだったさ。でも、この暖かい背中も、金属で出来た腕も、全てが僕の姉ちゃんなんだ」
「…」
「僕は姉ちゃんが好きだ。優しくて、ちょっとドジで…僕と父さんに美味しい料理を作ってくれる姉ちゃんが」
 姉ちゃんは僕の言うことを黙って聞いている。
「だから…これからもずっと姉ちゃんでいてよ…これで御終いだとか、ロボットだから駄目とか言わないで」
「研司…」
「姉ちゃん…」

 僕がじっと姉ちゃんを見つめていると、姉ちゃんは静かに目を閉じた。そのまま僕は姉ちゃんと唇を自然に
 重ね合わせる。
「んっ…」
 姉ちゃんの舌が、僕の唇を押し割って入ってきた。歯茎をまさぐりながら、僕の舌を探し求めている。僕は
 それに応えるかのように舌先同士を押し当て、絡めて互いの唇を吸う。ちゅく、ちゅくという音が研究室に
 響き始めた。

「んー、ごほん…キスをするのは構わんが、起動時以外は父さんのいない所でやってくれんかな」
 我に返った僕達は慌てて唇を放した。お互いの唇から唾液が糸を引き、ぷつりと切れる。
「研司、姉ちゃんに服を着せてあげてやってくれ。それからそこにある車椅子に姉ちゃんを乗せて、奥の
 リビングへ一緒に行こう。明日からどうするか決めなきゃいかんからな。」
「服…服? え、ちょっとこれって…きゃああああああぁぁぁあ!!!」
「うわ!?そんな、今ごろ騒ぐなんて」
「いいから早く服もってきて!なんでもいいから!!!」
 姉ちゃんは真っ赤な顔でベッドの枕を僕になげつけた…肘までしかない腕で枕を挟んで放り投げただけだから、
 当たりはしなかったけど…姉ちゃんが恥ずかしがり、怒っているのは充分に理解できる行動だ。
「わかった、わかったから暴れないで!ベッドから落ちちゃうよ!」
「もう、知らない!!」
 僕は研究室から逃げるように飛び出し、姉ちゃんの部屋へと走った。

(続く)

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