翌朝、私達が朝食中にインターホンのベルが鳴った。家のセキュリティ制御装置の近くに座っていた私は、左手で 受話器をとって右肘で通話開始ボタンを押した。夕べの経験のおかげで、今では自分の手のようにマニピュレータを 扱うことができる。 「…はい、わかりました。弟に取りにいかせますから少しお待ちください」 「誰?」 「宅配便のお兄さん」 「わかった、玄関までいってくる…それにしても姉ちゃん、たった一晩で随分器用になってない?」 「ふふ、判る?」 「コーヒーカップも普通に持ててるじゃん…言われなかったらマニピュレータだって気付かないよ」 そう言いながら研司はダイニングルームを小走りで出て行った。 「ま、そのうちどうせバレるし、いいか」 私は夕べの経験を思い出し、ほんの少し身体が疼くのを感じた。マニピュレータで胸をおさえ、深呼吸を一つ。 「…お父さん、いつ帰ってくるのかしら」 今朝私のPCに、お父さんからのメールが届いていた。私の部品調達にまだ時間がかかるらしく、すぐには 帰ってこれないらしい。とりあえず手はうっておいたから、もう少し待ってくれ…とのことだった。 「姉ちゃん宛の荷物だよ、これ」 研司が宅配便を抱えてダイニングに戻ってきた。荷物は長さ1.5m・幅30cm・厚さ10cm…送り主を改めて確認する。 「これは…『御剱重工業研究所 ロボティクス部』…どこかで聞いた事があるような…」 「まさか爆弾とかじゃないだろうな…」 「そんなことないわ。確か御剱重工って、お父さんが提携結んでる企業だった筈だけど」 「品目は『精密機械部品・割れ物注意』…それにしては随分軽いな」 「私宛なのは確かだし、とりあえず開けてみましょう」 研司が荷物を開梱し始めた。ダンボール箱の蓋を開けると、衝撃緩衝材が大量に詰め込まれている。緩衝材を 掻き分けると、今度はビニールのエアキャップで厳重につつまれた棒状の物体が現れた。 「随分慎重に梱包してあるね…」 研司はガムテープを破り取り、幾重にも巻いてあるエアキャップを慎重に取り外していく。 「!」 「これは…!」 エアキャップの中身は、ロボットの腕だった…それもアンドロイドの。 「まさか、この腕は」 私はその腕を手に取り、肩口に見えている関節部分のパーツを見た。明らかに見覚えがある部品群。 「…私の腕だ」 「姉ちゃん、手紙が入ってる」 私は研司から便せんを受け取った。 ”陽子ちゃん、久しぶりですね。貴女に大変な事が起こっているとお父さんから聞き、微力ですが私に出来ることを させてください。残念ながら全てを揃えることは出来ませんでしたが、これが少しでも役に立つことを祈ります。 御剱 小夜子” 「御剱…小夜子…? 一体誰なんだろ…」 「……さん…」 「姉ちゃん、何か言った?」 「…! な、なにも言ってないよ!」 「この人、誰か知ってるの?」 「…お父さんのご友人。私も何回かお世話になったことがあるの」 「そうか、父さんが”手をうっておいた”って言ってたのは…」 「多分これね」 「手紙と一緒にDVDロムも入ってたよ」 「PCに読み込んでみましょう。中身は多分…」 DVDロムをPCにセットし、中に入っていたpdfファイルを読み込む。 「これは…!」 「予想通りね…この腕を私の身体に取り付ける為の説明書だわ」 「…」 「研司?」 「これなら僕にも何とかなりそうだよ。父さん、父さん、僕の思考パターンを完全にわかってるよね」 「え、まさか」 「うん、僕が姉ちゃんの腕を修理する」 「でも…」 「大丈夫だよ。昨日のマニピュレータの一件で、工具とかの使い方も大体わかったから」 「…わかった、研司に全部任せる」 「じゃ、食器片付けたら早速始めるよ」 研司は届いた腕を弄ることに夢中になっていた。PCから印刷した説明書を片手に、付属していた小さなパーツを 関節部分へ組み込んでいるようだ。 「…研司」 「…」 小声で呼んでも反応がない。私はマニピュレータの指先をじっと見つめた。 「この指ともお別れになっちゃうんだ」 たった一日だったけど、研司が一生懸命作ってくれた、私の手…小夜子さんから届いたものに比べたら玩具 程度のものだけど、研司の優しさが一杯詰まってる。知らない間に凍てつきかかっていた私の心を暖かく 包んでくれた手の平。 「…ありがとう」 マニピュレータに頬ずりをし、別れを惜しむ私。知らない人が見たらどう思うだろうか…? 暫くしてから、研司が腕を持ってこちらへ歩いてきた。 「とりあえず右手の仮組みが終わったよ」 「この人工肌、出来がいいわね…電源入ってないのに赤身がさしてる」 「触った感じも随分柔らかいよ。弾力もそこそこある」 「これで電源が入ると、内側から水分補給がされて人間と同じようになるのよね」 「じゃ、ちょっと右袖を捲るね」 研司が浴衣の右袖をまくり、組み上がった右腕を並べる。 「長さも一緒だ」 「小夜子さん、ちゃんとサイズ合わせてくれたんだ」 「皮膚の接合部分がちょっと問題なんだけど…防水するだけなら、このパテで何とかなるんだってさ」 研司が巨大な歯磨き粉チューブを見せてくれた。品名も書かれていない武骨なチューブだが、両肩の人工肌を 接合するには充分な量だ。 「人工筋肉の駆動液は?」 「うーん、それなんだけど…どうやら揃っていないの、それみたいなんだ」 「あらら」 「昨日父さんとも話したんだけど、あれ作るのは結構な手間らしいんだ。そのわりには一度に出来る量が少ないって」 試供品と書かれた小さなボトルに入ったピンク色の液体…これが小夜子さんが送ってくれた駆動液の全てだった。 「…まぁ、仕方ないわね。小夜子さんも多分、かなり無理してこの腕を送ってくれたと思うし」 「どういうこと?」 「これ、私の妹の腕なのよ」 「へ?妹?」 「うん、MG-2500typeF。私の身体の量産タイプ…来年、御剱重工から発売されることが決定してる、ホームメイド ロボットの素体のこと」 「姉ちゃんの身体、確かMGX-2000だったよね」 「そう。MGXの”X”は、試作品を意味してるのよ。つまり、この腕は…」 「そうか、そういうことか…それで姉ちゃんの妹ってことか」 「お父さんも話してたけど、多分、小夜子さんは先行量産品から外して送ってくれたんだわ」 「わざわざ姉ちゃんのために?」 「…」 「…姉ちゃん、色々な人に大切にしてもらってるんだね」 「研司、私は…本当に幸せ。あなたに愛して貰えて、お父さんや小夜子さんにも大切にしてもらってる」 「姉ちゃん…」 「この腕を外された私の妹、今ごろどうなってるんだろう」 「…大丈夫だよ、きっと。小夜子さんなら、きっと姉ちゃんの妹も大事にしてる筈だよ」 「そう…そうよね…うん、ごめん。また嫌なこと考えそうになっちゃった」 「とりあえず右腕を取り付けるよ。」 研司は車椅子から私を抱え上げ、研究所のベッドに私の身体を横たえた。 「じゃあお願い」 「うん、任せて」 研司が私の右腕の電源を肩関節でカットした。生気を失った人工筋肉チューブがだらりと弛緩し、右肘がゆっくりと 伸びていく。 「…関節、外すよ」 研司が工具を関節の隙間に突っ込み、数回ぐりぐりと工具の柄を捻る。次の瞬間、右上腕の金属骨格が私の身体から 静かにずり落ちた。 「そういえば、フレームから先に外したのね」 「うん、この方が後始末やりやすいから」 説明書には人工筋肉から先に外すよう書いてあった筈だが、研司は人工筋肉を何本か残している。誰にも教えを請う ことなく、自ら紡ぎ出したテクニックをもって問題を解決していく…私の弟は、既にお父さんと同じ道を歩もうとしている のだ。 「…姉ちゃんの妹の腕…」 研司は残った人工筋肉を取り除き、私の腕を外した。そしてMG-2500の右腕を肩口に合わせ、人工筋肉を手慣れた 手つきでリンクプレートに嵌め込んで行く。 「電源入れたから、一度動かしてみて」 「…」 まず、肘をゆっくりと曲げてみる。手首から先は全く動かすことができないが、 自分の思う通りに遅れることなく、右肘が スムーズに曲げ伸ばしできた。次に肩を同じように動かしてみる。 「うん、うまくいったみたいだね。小夜子さんが送ってくれた駆動液は、左手の指先を動かす部分に使おう」 「研司、私の左手なんだけど…」 「わかってるよ、姉ちゃん。これは僕にとっても記念すべき…そして愛する人のものなんだ。捨てたりはしないよ」 「ありがと、研司…」 「左手は手首、人さし指と中指…あとは親指を動かすようにしたから。そのマニピュレータ程保持力はないけど、本ぐらい なら読めると思う」 私は思わず、”あそこに指を突っ込めるよね”と聞きそうになり、あわててマニピュレータで口を塞いだ。 「…?」 「な、なんでもないわ!! あー、楽しみ楽しみ!」 「なんだかよくわかんないけど、左腕つけるよ」 怪訝な表情でマニピュレータを取り外していく研司だったが、暫くすると真剣な表情に戻っている。ほっとした私は、 研司に運ばれて行くマニピュレータに心の中で別れを告げた。 ”ありがと…また一緒に気持ちいいこと、しようね…” 研司はMG-2500の左腕をもってくると、黙って取付作業を始めた。右腕の時より、更に作業速度が上がっている。 「研司…すごいわ。あなた、絶対センスあるわよ」 「からかうのはよしてよ…父さんが普段やってることの、見様見真似なんだから」 「そんなことないわよ、見てるだけじゃ絶対できないって」 「…出来たよ。指先から動かしてみて」 話しを半ばスルーされた私はちょっとだけ怒りを覚えながらも、指先をゆっくりと閉じてみた。3本の指が閉じ、開き、 閉じ、開く…微妙な動きもスムーズにできるな事を確認し、今度は手首・肘・肩を動かしてみる。マニピュレータに 慣れ切っていたせいか違和感があるが、そのうちまた慣れるだろう。 「OK、あとは腕と身体の継ぎ目を塞ぐだけだね」 「ねぇ、研司…それってつまり、防水も完璧に出来るってことだよね」 「うん、説明書にも書いてあったよ」 「私、お風呂に入りたいな…」 研司の手が止まり、私と視線がぶつかった。 「…姉ちゃん」 「ほら、まだ足が殆ど動かないし…自分で身体を…その…洗えないし…」 「うん…わかったよ…」 一線を既に何度も越えたというのに、雰囲気というものは恐ろしい。私達は真っ赤に照れながら作業を黙々と続けた。 (続く)