「お父様、ただいま帰りました」
 自宅の玄関でパンプスを脱いだ私は、そのままお父様の部屋に向かった。特に義務づけられた訳ではないが、
 毎日の行動を父に報告するのが習慣になっている。廊下の突き当りの階段を上り、2階に入ってから数m進んだ
 ところにある扉の前で立ち止まった。

「入りなさい」
 他愛のない会釈を交わし、私は扉を開けて部屋にはいった。部屋の奥には、少し薄くなった白髪に白い髭を
 たくわえた、初老の男…御剱 逸男が居る。

「お帰り、小夜子…研究所長の仕事は上手くいっているかね」
 半月前に父から引き継いだ仕事の事を聞かれているようだ。
「はい、お父様。引き継いだ書類の整理は完了しました。現在、取引先のデータを整理しているところです」
「…ここはお前と私の家なんだから、そこまで畏まる必要はないよ」
「ですが…」
「所員の皆とは上手く付き合えているかね」
「はい、お父様の仲介のお陰で、所員とのコミュニケーションは予想した進捗を140%上回っております」
「うむ、それは何よりだ。ところで、宇都宮博士の件はどうなった?」
「MG-2500の腕のことでしょうか」
「そうだ。私の所には連絡が入っていないんだが」
「…それが、昨日に”人工皮膚の接合も上手くいった”という連絡が陽子ちゃんから入って以来、音沙汰がありません」
「宇都宮博士本人からは?」
「博士は現在、空港から自宅に向かっている途中のようです。携帯でも連絡がとれません」

「…」
「…お父様? お身体の具合に何か異常でも?」
「嫌な予感がする。宇都宮博士の自宅と連絡を取ってみよう」
 そういうと父は、机の上に設置されている多目的端末の受話器を取り上げ、ボタンを押し始める。その瞬間、
 私の鞄の中で携帯電話が鳴り響いた。

「小夜子?」
「私の携帯ですね」
 私は鞄の中から携帯電話を取り出し、受話ボタンを押した。

「小夜子! 小夜子か!?」
 電話の向こうから聞き覚えのある声が、私の耳をつんざくように飛び込んできた。一瞬顔をしかめてしまったが、
 すぐに表情を整え直す。
「宇都宮博士ですね? 他人に電話を掛ける時には、最初に自分の名を名乗れとあれ程」
「それどころじゃない…お前の力が必要になった」
 その言葉を聞いた瞬間、仕舞っていた筈の遠い日の記憶が目覚めた。寸分違わず、あの日の出来事が鮮明に
 蘇り始める。
「…まさか、研司さんの事でしょうか」
「そのまさか、だ」

 少しの間を置き、視線を父に移した。その顔には様々な感情が入り交じった、複雑な表情を浮かんでいる。
「宇都宮博士…」
「そこに御剱博士はいるのか?」
「はい、私の目の前に」
「かわってくれ」
 私は父に携帯を渡した。父は携帯から聞こえているであろう宇都宮博士の声を聞いているばかりで、頷くことさえ
 ない。ゴシック調の広い部屋が、重苦しい空気で満たされていく。

「…わかった。小夜子をそちらにやるから、それまでに出来る限りの事はやっておけ」
 父は最後にそう言うと、携帯の切断ボタンを静かに押した。静かな部屋に、携帯のビープ音が鳴り響く。
「お父様…」
「お前も判っているだろう…来るべき時が、彼の息子に来た」
「私、行きます」
 私の口から、極自然に言葉が漏れた…まるでこの日のために用意されていたかのように。
「6年前のあの日と同じようにか…」
「あの時の私と、今の私は違います」
「そうか…そうだったな。小夜子、あの時のお前は…」
「感傷に浸っている暇はありません。私はすぐに準備を整えて出発します」
「すまんな、小夜子。私はあの子の為に何もしてやることが出来ん」
「…私はあなたの娘ですから」
「…頼む」
 父の言葉を合図に、私は踵を返して部屋を走り出た。自分の部屋に入り、出張用の装備を詰め込んだトランク
 ケースを取り出す。
「研司さん、陽子ちゃん…今度こそ本当にあなたたちを…」

 自宅から宇都宮博士の研究所まで、タクシーを使って一時間半。私はその間、これから起こるであろう事態に
 備えて必要な装備を確認する。トランクケースに入った、MGタイプの素体のメンテナンスに必要な機材。別の
 鞄に詰め込んだ資料や記憶メディア類等…研究所に到着してすぐに使えるよう、セットアップを進めていく。

(いつか来るとは思っていたけれど…)

 あの日から6年。正確には6年4ヶ月と、14時間57分33秒…忘れることは出来ないあの瞬間。私は研司さんを
 ”本当に”救うことができなかった。

(私は彼に残してはいけないものを残してしまった)

 その時の記憶が私の思考をループに陥れようとする。それほどあの記憶は、父と自分にとって忌まわしい
 出来事だったのだろうか? 自問自答をしようとして、止めた…また無限ループに突入してしまう。

「お客さん、もうすぐ到着しますよ」
 抑揚のない声でタクシーの運転手が呟いた。
「ありがとう…代金はカード払いでお願いします」
「わかりました。それにしても、お客さんも物好きだねぇ」
「どういうことですか?」
「いやね、あの研究所はねぇ…私達の間でも有名なんですよ。ちょっと変わった人ばかりなんでね」
「私も変わり者に見えるのでしょうか?」
「いやいや、お客さんみたいな美人があの研究所にいくなんて、初めてですからね!」
「…そこの門柱の前で止めてください」
「おっとっと、口は災いの元ですな…それでは」
 運転手はにやけながらタクシーを減速させた。正直、自分の外見が女性である事に必然性を感じたことは
 ないのだ…たった一つのことを除いては。

 タクシーが走り去った後、私は研究所の門柱にあるインターホンを押した。暫くしてから、宇都宮博士の声が
 スピーカーから響いてくる。

「どなたですか?」
「…御剱 小夜子です」
「入って来たまえ」
 いつもの博士の口調ではない。重く、事務的な対応だ。私はロックが自動的に解除された玄関の扉を開けた。
 玄関から真っすぐ伸びる廊下…見覚えのある間取りを確認した後、私は奥にある研究室の扉を目指した。

「ロックは解除してある。そのまま入りなさい」
 研究室の中から聞こえた声に従い、私は扉を開けた。

「宇都宮博士…」
「小夜子、よくきてくれた」
 私を出迎えてくれたのは、宇都宮博士。そして、その隣には浴衣を着用した少女…宇都宮陽子がいる。
「陽子ちゃん、腕の具合はどう?」
「…」
 陽子は俯き、押し黙ったままだった。その表情は明らかに曇り、瞳からは今にも涙という名の雨粒が
 溢れ出しそうになっているように見える。
「事情はまた後で聞きましょう…博士、研司さんは?」
「研司はそこのベッドに寝かせてある…あと、うちに来た時は”竜一”で構わないよ」
「…わかりました、竜一さん。早速ですが、研司さんの容態を説明してください」
 宇都宮 竜一…私にとって、この世の何にも変えがたい人。この人に見つめられるだけで、私の身体は計算
 不能の感触に包まれて行くのが判る。が、今はそのような感触に身体を預けている場合ではない。

「研司は…見ての通りだ。身体的には特に異常はない…心拍数を始め、全ての数値は正常に推移している」
 研司は研究室のベッドの上で寝息を立てていた。一般人からは、ごく普通に睡眠をしているようにしか見えない
 だろう。
「…強制的に睡眠させてますね?」
「そうだ、あの時のように」
「この状態なったのは何時から…」
 私が症状を確認しようとした瞬間、陽子が口を開いた。
「お母さん、私が…私が悪いの…研司がこうなったのは!!」


(続く)

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