『イェーガー』が去った後、『マエストロ』は培養ポッドから溶媒を抜く。エイミーが素体の内蔵パワー不足から
スリープモードに入っていたため、外部から一度、自律行動プログラムを『立ち上げ』ないと起動しない筈だった。
市販のドロイド素体はそうしないと『目覚めない』。だが、この素体は全てが違う。何せ意志の疎通が出来るのを
目の前で見せてくれたのだ。先刻『イェーガー』がポッドの前で聞いた音声も単なる空耳では無かったのだろう。
培養ポッドに漬け込む前に自己判断を申告させるため先に内蔵シンセサイザーを修理して置いたが、その位置も
交換が容易な「上顎」では無く、小型のものが「奥歯」の組織の内部に仕込んである念の入れ様だった。

 「自分でパワーが足りたと判断すれば自由意志でスリープモード解除出来るって…! 一体どこのサイコ野郎が
 作ったのよ! 」

 『マエストロ』のこれまでの経験からシリアルナンバーは直接、『素体』つまり骨格のどこかに刻印されている筈
だと踏んでいた。まずはそれを見つける事から始めねば為らない。ポッド内にスキャン装置の光条が生まれ、
ボーンホワイトを眩い緑光で染め上げる。精査すればする程に奇妙な所が目立つ素体だった。何処が奇妙か? 
セクサロイドの素体にしては設計者の意図が全く読めないのだ。セクサロイドは簡単に言ってしまえば『道具』だ。
何よりもマスターに従順で有る事が求められる。自由意志など何の飾りにもならない。邪魔なものに過ぎない。
だが、この素体は理論上『マスターの求めを拒む』ことすら出来る。これではドロイドである意味は全く無い。
人間女性を金銭で雇うか、感情で縛った方が『目的』を簡単に達成出来る。第一、こんな整備的にも洗浄にも
厄介なセクサロイドが有る筈が無い。

 「シリアルナンバーも製作者の名の刻印も無し、か。首に汎用コネクター内蔵タイプだからハンドメイドな訳が無いけど…」

 この構成もそうだ。素体が極力、最低限の金属部品しか使って居ない。と言うより、首から脊椎に繋がる汎用コネクターが
明らかに設計思想と異なる後付けだ。後は全部、まるでCTスキャンやX線写真を撮影される事を前提に設計されているように
『人間』に近い。首の汎用コネクターさえ取り外してしまえば、体の一部を人工部品に入れ替える人間が多い最近では航空機に
すら簡単に乗れるだろう。さらにチェックの厳しいUSの政府機関でさえ…も? 『マエストロ』は思い至る。ただのセクサロイドと
言う『イェーガー』の申告を鵜呑みにしてエイミーの正体探しをしていたのが大きな間違いだったとようやく気付いたのだ。
『マエストロ』は自分の失ってしまった過去に関係するものにエイミーの正体はあると確信した。

 「3日なんて鯖を読み過ぎたみたいね…。ブレインスキャンでどれくらい情報が拾えるか解らないけれど…
 よろしければご協力を願えるかしら? とっくに『起きて』聞いてるんでしょう? 貴女…エイミー? 」
 『…解析ツールによれば新皮質分野は奇麗に何もありません。中枢神経、小脳分野も解放が必要…ですか? 』
 「ちょっと待ちなさい。…集積回路系も人工有機体なの、貴女?! 」
 『…ハイブリッドです。人工有機体とは別に脊椎内に脳機能を機械的にシミュレート兼バックアップを持っています』
 「凄いわね。偉い偉い。…確か映像記録が有るって言ってたわね? 外部映像出力に繋いでいいかしら? 」
 『何か…恥ずかしいですぅ…。…マスターには内緒ですよね? ね? 』
 
 骨格標本が両手を胸の前で組み、可愛く小首を傾げて目玉を『マエストロ』に向けた。見慣れない人間が見たら
余りのシュールさに卒倒するか噴き出すだろう。だが『マエストロ』は笑うでも無く、エイミーの両手を自分の手で柔らかく包み、
微笑みながら頷いた。信頼関係はこんな些細な事から生まれるのだ。ましてや相手はドロイドの常識を外れているのだ。
人間を絶対に殺すな、と言うドロイドの基本原則を具えているかも怪しい。約束を破れば最悪、殺されるかも知れない危険が有る。
好奇心は猫を殺す。だが、『マエストロ』はエイミーの身柄を頼まれたのだ。…『イェーガー』は過去に自分との約束を完全に守った。
今度は自分が守る番だ。エイミーの右手小指の骨格に、自分の小指を絡めて握る。『イェーガー』が過去にしてくれた『約束』の儀式だった。

 「勿論。女同士の約束よ? どっちかが裏切ったら互いの名に於いてニードル千本飲み干す制裁が加えられるんだから」
 『それって『うそついたらはりせんぼんのーますっ』じゃないんですか? ええと…』
 「『マエストロ』。本名はエイミー。でも『イェーガー』には内緒にしてあるの。私のささやかな秘密。仲良くしましょう、エイミー? 」
 『はい! 『マエストロ』! 』
 「…私が言った文言、昔『イェーガー』が教えてくれたのよ。オリジナルは『ニホン語』だったのは全く知らなかったわ。
 これも内緒よ? 持ち出されるとまた、きな臭い顔して照れるんだから、彼」
 『…黙ってますから、マスターの事、わたしにも教えてくださいね? …もちろんマスターには内緒にしますから…』
 
 エイミーの強化カーボン系樹脂骨格の冷たさを意識しながら、『マエストロ』は内心、3日間の睡眠時間の合計に遠く思いを馳せていた。
信頼関係は締結された。少しは仮眠時間が出来るに違いないだろう。その前に『イェーガー』に連絡を取らなければならない。用心しろ、と。
自分の勘が正しいなら、この『エイミー』は相当に危険な『暗殺任務』に使われたに違いない『兵器』なのだから。

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