仕事はバッチリ遅刻だった。 
上司からはたっぷり搾られ、同僚からは笑い飛ばされ、後輩のカワイこちゃんからは失笑
を買い良い事なしだ。 
おまけに今朝のチエの言動が頭から離れず仕事も手につかず、一日のノルマがまるで一週
間分のような気がした。 
どうにかこうにかやっつけて、同僚の誘い(何の誘いかは聞かないで欲しい)を断り家に飛
んで帰った。 

畜生、チエの声が聞きたい… 

 「あ…お、おかえりなさいませ…」 
 「!?」 

家の玄関前で待っていたのは、お隣のコハルだった。 
俺はコハルに用件を聞こうとしたが、俺の言葉を待つ事なく、コハルは突然泣き出し、涙
や鼻汁(のようなもの)でぐしゃぐしゃになった顔を、俺の身体にうずめて抱き付いてきた。 
正直勃起した。 

 「ううぅ、ご、ごひゅひんはまがぁあああ…ひぐっ、うえぇぇん」 

このままだと間違いを犯…じゃなくてご近所に勘違いされそうなので家にあがってもらい、
チエにくれてやるつもりだった天然オイルの缶をやって落ち付かせる。 

そう言えばチエはまだ帰ってないのか… 

コハルは缶から伸びるストローをすすりながら、タナカのジジィに何があったのか話し始めた。 
俺が聞き逃した今朝のニュース、どうやら病院に運ばれた危篤の年寄りとはタナカさんの事だった。 
昨夜のチエによるレイプまがいのイタズラの三時間後、コハルが再起動した後もタナカの
ジジィは帰ってこず、代わりに市内の総合病院から、急患として運びこまれたとの連絡が
あったらしい。 
病院の医師は電話でジジィの危篤を知らせたものの、コハルの面会は許可しなかった。 
ロボットと人間を差別化するという倫理的解釈から、病院はこの手のガイノイドを患者の
家族として扱わない方針なのだろう。 
思えば酷い話だ、彼女達からすれば守るべき主が生命の危機に貧しているのに、顔を見る
事も許されないのだから。 
高度な最新AIであるコハルにとって、コレほどつらい事はないだろう。

 「ずずずずっ!ゴキュッ…ひっぐ…あのぉ、先輩はいらっしゃらないんでずが?」 

コハルは鼻声で目元を真っ赤に染めながら言った。こんな人間的な表情まで再現させるとは、
本当によくできたロボットだ。
チエはメンテナンスに行っているはずで、まだ戻っていないと答えると、コハルは心底残
念そうに目を落した。 
どうやら俺の家を訪ねたのは、チエに相談するつもりだったから、らしい。 

 「そうですか…先輩ならこういう時どうしたらいいか、教えてくださると思ったのですが」 

正直、例えチエがこの場に居たとしても、そんな事をできる余裕があっただろうか。 
今朝の彼女の様子は明かに普通じゃなかった。
こう言っては何だが、今のコハルの方が余程まともに見える。いや、『AIとして納得でき
る行動を取っている』というべきか。

 「なんなら一緒に病院に行ってみるかい?」 
 「え?」 

コハルは俺の言葉に目を輝かせた。
確かにこのままじゃ気の毒で見ていられないし、チエが帰ってきたらまた文句を垂れられ
るかもしれない。
ガイノイドの面会が許可されないのなら、人間である俺の同伴という形で会わせればいい
のだ。幸い病院はガイノイドの院内入室までは禁じていない。 

 「あぁぁぁあ!ありがとござまーす!」 

コハルは興奮のあまりか、微妙に発音を間違えながら俺に抱き付いてくる。 
その際調度下顎が股間に当たり、その柔らかい感触にまた俺の愚息は反応した。 
うむ、悪くない。 


病院の医師には俺が話を通し、なんとか2人揃って面会を受ける事を許可してもらった。 
妻を先に無くしたタナカのジイ様は一人身で後見人はおらず、面会にくる人間もいない。 
医者も気の毒だと思ったのだろうか、ご近所の仲だと説明すると何とか首を縦に振ってくれた。 
コハルは俺が医者から詳しい話を聞いている内に、タナカ老の病室に一足先にやってきていた。 
タナカ老はベッドの上で、生命維持装置と殆ど一体化した状態で、何とか心拍と呼吸を続
けている。しかし、それだけだった…
完全に昏睡状態となったジジィは、コハルが名前を呼ぼうと手を握ろうと決して答えるこ
となく、ただただ機械による生を永らえるに過ぎなかった。
これでは、『活きている』とは言えない。

 「歯の治療の際、麻酔が身体に合わなかったんだそうだ、御年だったんだよ」 
 「そんな…そんなのってないです…」 

確かにそうだ。ジジィの体調が悪かったとはいえ、考えようによっては医療ミスともとれる。 
そしてミスとは人間が犯す物だ。 
コハルは目から滴る液体を必死に拭いながら続ける。 

 「だって、医療の判断は人間がするじゃないですか、私達なら絶対にこんな…」 

機械はミスを犯さない… 
しかし、仮に投薬や診断等、全ての医療活動が機械によって管理されてしまった場合はど
うなるのか。 
それは結果的に、機械によって延命を続けるタナカ老人と同じ事ではないか。 
その事を知っているからこそ、人間は医療現場から高度なAIを全て排除した。 
だがそれは人間が、人間の存在意義と生命倫理を一方的にこじつけているだけなのかもしれない。 
そして今目の前で動かぬ主人の手を握りしめ、すすり泣いている人形は、只純粋に主人を
焦がれているだけなのかもしれない。 
こんな時チエが居たら何ていうだろうか? 
あの偏屈ならどんな言葉で罵ってくれるのだろうか? 


面会を終え、コハルを連れて病院を出たが、彼女は主人のいない家に戻る気は無いと言った。 

 「あんなお姿でも、ご主人様はまだ生きています…例え可能性が低くても、私はご主人
  様の回復を信じて待っています」 

確かに、ロボットは人間に仕えてこそロボットであって、主人のいないメイドロイド等
ナンセンスだが、充電もできず雨ざらしのままなら、彼らも長くは生きられない。 
終いには故障するか暴走を起し、役所に回収されて廃棄処分になるのが落ちだろう。 
しかし俺には何を言ってやる事もできなかった。 

うちに帰って早々、有名声優の超萌えボイスが俺を出迎えた。 

 「遅いぞ主人、また風俗に金をつぎ込んできたか?」 

いつしか焦がれていたチエの罵声。 
しかし何だろう………全然嬉しくもなんともない。 
全然変わってないし喋り方もいつも通りだし…しおらしくした俺がバカみたいだ。 
チエは玄関で俺の背広を摘み上げると、裾の辺りに着いている染みを見つけたようだ。 
やばい… 

 「スキャン結果『アサカ製ガイノイド人工粘膜用水溶液』…貴様、隣の新人に手を出したのか?」 
 「言い訳してもよろしいでしょうか」 
 「却下…貴様腐っているとは思っていたが、ついにそこまで堕ちたか…ジジィと2人掛
  りでしたのか?うん?」 

チエのアームがぐいぐいと俺の米神を締め上げる。 

 「イダダダダダダ違いますとんでもない誤解ですお願い許して」 

ジジィが危篤で病院に担ぎ込まれた事。 
コハルが泣きながら俺に頼ってきた事(羨ましいかザマあみろ)。 
コハルはもう家には帰らない事等、今日あった事を洗いざらい話してなんとか許してもらう。 

 「そうか、ジジィついにくたばったか」 

だから有名声優の超萌えボイスで(ry 

 「死んでねぇよ勝手に殺すな、まあ半分死んでるけど…とにかくコハルはご主人様に
  一生お仕えする覚悟なのだそうですよ?」 

チエはつまらなそうに「ふん」と鼻で(?)笑い、いない間に俺が散らかした部屋の片付け
を始める。 

 「そういやお前…メンテナンス行ったんじゃなかったのかよ」 

俺は少々むかついたので強めの口調で言った。 
チエは掃除を続けながら、どこか悟ったような口調で返した。 

 「行ってない…結局行かなかった」 
 「なんだと?」 

やった!4万円浮いた!じゃなくてだな。 

 「何故か怖くなってな…整備センター前で半日迷って、結局そのまま帰ってきた」 
 「それじゃぁお前、今のままでいいってのか?故障してるかもしれないって…」 
 「故障していようと正常だろうと、今の私が私だ。貴様の世話をし続けて働き続けた結
  果が今の私だ。そう貴様が言ったじゃぁないか」 

うむ、なんか少し勘違いしているようだ。
昨夜のあれは嫌味のつもりで言った訳でだな。

 「オーバーホールでAIの中身まで洗いざらい整備されてみろ、私はこれまでの私ではい
  られなくなってしまうんだぞ。 
  何故今頃になって恐ろしいと思えるようになったのか、私自身にも分からないがな」 

なんてこった… 
家の家電製品は、三原則と俺の情けない甲斐性とのジレンマが生んだカオスの中で、自我
に目覚めやがったのだ。