メリーは夢から目覚めたが、彼女はその度に憂鬱な気分になった。
夢であるから何の脈略もないはずなのだが、しかし眠っている最中の彼女にとっては、他と
比べ様も無いほどに一貫して意味をなし、本人にも理解不能で不条理な行動意欲を起させ、
そしてとても幸福で満ち足りていた。
雲一つ無い青空の下、見渡す限り一面に咲き乱れるラベンダーの花畑。蒸せかえるような
香りの中、彼女はただ盲目的に、その花畑の番をすればよかった。
誰の土地で、誰の花畑で、誰の為に番をしているのか、そんな事は彼女にはどうでも良かった。
ただ、それはとても満足な事だと夢の中の彼女は思ったのだ。
しかし一度夢から覚めれば、彼女はその夢の魅力を完全に忘れてしまう。
メリーはベッドから半身を起こし、白の肌着からすらりと伸びる両腕で、小麦色の肌を自ら
抱きしめた。
「……」
ブルブルと、軽く身震いすると、短く整えられた銀髪がサラサラと靡く。
彼女の青い瞳孔は、大きく見開かれた目の中で上下左右に素早く振動し、やがてそれも
治まると、ようやっと彼女はベッドから這い上がった。

宝石のような幾何学的な形の窓からは、朝焼けに染まった超高層建築の街並みが見える。
メリーは表情一つ変えず窓に手を触れ、それを眺めた。
その街を…その世界を守る事が、その社会の番をする事が、今の彼女の役目だった。
ハンガーにかけられたOD色の制服…肩章や名札を見れば、それが一目で軍服とわかる。
メリーは軍人として、今日もこの街を守っていた。


『おはようございます将軍、本日も良い朝ですね』
聳え立つ高層建築物群の間を走りぬける、空飛ぶハイヤー。機械仕掛けのドライバーは
電子的な声で言った。
「良い朝なのは気候を制御しているからだ」
『はい、その通りですございます』
メリーは軍人であるから、この手の意味のない媚び方をするAIが大嫌いであった。
しかし、彼女の通勤にはこのハイヤーを使う事が義務付けられているし、このドライバーも
政府が用意したものだ。
『間もなく到着します、着陸体制に入りますので、振動にご注意ください』
「……(揺れるからどうだと言うのだ)」
縦にも横にも、そして奥にも威圧的なサイズを誇る立方体の巨大建築物は、その中心部に
ポカリと口を縦に開けており、ハイヤーはその中へ呑みこまれるように降下していく。
朝日はやがてさえぎられ、青い照明のみが周囲の様を照らし出す。
縦穴の側面には無数の窓が見え、その向こうでは様々な人影が忙しく働いているのが見える。
ズズ…
ほんの少しの揺れの後、ハイヤーは縦穴の一角に設けられた駐車場に着陸した。
『行ってらっしゃいませ、お帰りは2230時でございますね?』
「今夜はデックに送ってもらうからいい」
『左様でございますか、ではお気をつけて…』
ハイヤーの扉は閉まり、車体はドライバーと共に再び空高く舞いあがった。

駐車場は薄い金属の板一枚で宙に浮くように設計され、そこから建築物内部に続く通路は、
細い橋一つだけだった。
橋の下からは緩い風が吹き上がり、メリーの髪を嬲った。
建物の上空からは相当下に降りて来たにも関わらず、駐車場の下にはまだまだ、底の見えない
暗黒が続いている。
地上140階、地下60階にも及ぶ、このグロテスクな建築物こそ、この街を、この社会を、
そしてこの世界を統括する中心部…世界政府機構だった。

建物の内部は明るい照明に照らされ、小奇麗でこげ茶色のカーペットが敷かれた通路には、
左右対照且規則的に観葉植物が並んでいる。
ホログラムの案内板が無数に表示され、道案内意外にも現在時刻や最新のニュースも確認できた。
メリーは会議室の前で立ち止まり、扉の横の網膜スキャンに右目を近づける。
扉の向こうで銃を持った職員が彼女の網膜を確認し、ロックを解除した。
「おはようございます将軍、既に皆様ご着席です」
自動扉から姿を現したメリーに対し、彼らは軍隊式に敬礼を行う。
メリーはそれに軽く返し、この世界の頭脳達が集う最高会議の場に足を踏み入れた。

円形に並んだテーブルと席には、それぞれ各方面の有力者達が座っている。
どうやら最後に現れたであろう彼女は、自分の名が置かれた席に座ると、向かいに座る端正な
顔立ちの男にアイコンタクトをした。
『デック』の名が書かれた席に座るその相手……世界政府会議の議長を務める男は、ニコリと
微笑んで彼女に返す。
「2.75秒の遅刻ですよ将軍」
「そちらが用意したドライバーの所為だ、仕事も運転も寡黙にこなす方が良い」
「それは困りましたね、直ぐに新しいドライバーを用意しましょう」
頭脳明晰な彼が、交際中の彼女の皮肉に気付かぬはずはない。メリーは、やはり冷たい
眼差しと声で続けた。
「仕事で私がここに呼ばれるというのだから、それ相応の問題が起こっているのだろうな?」
メリーは円形に席につく有識者達の顔を見まわし、その顔ぶれから今回の会議の内容について
幾つか予想を建てようとした。
政治屋のデック…
生物学者…
医学者…
遺伝学者…
地質学者…
歴史学者…
量子コンピューター『リョウコ』の管理責任者…
そして…軍人のメリー
「……(何が起こったのだ?)」
またメリーの青い瞳は、大きく開いた目の中で上下左右に忙しく揺れ動く。
デックは彼女のそんな様子を見て、3秒たってようやっと本題に入った。

「『リョウコ』の計算結果です…我々の社会は、半世紀以内に滅びると予想されました」
「!?」
その場に居た全員が目を丸くし、驚愕する。
カオスすら演算可能な、超高速量子計算機『リョウコ』の予想とは、即ち「予言」を意味して
いるからだ。
「原因は!?」
「『リョウコ』のミスではないのか!」
「我々の社会は完璧だ!ありえん!」
皆が口口に意見を言い合う。だが、メリーは一人黙ってデックを見つめていた。
彼女は軍人であり、政府の要請を受けて行動をとれば良いから、ここで意見を言うのは筋違
というのもあるが…
何より彼女は、そんな状況下でも微笑んでいるデックが気に入らなかったのだ。
「既に『リョウコ』は対策を計算済み…そうだな議長?」
メリーの一言で周囲は沈黙し、代わりにデックは高笑いをした。
「私が貴女を好きになったのも、その読みの深さ故ですよ」
不機嫌そうに三白眼でにらみ付けるメリーを無視し、デックは『リョウコ』の計算結果に
ついて発表した。

「…我々は半世紀以内に滅亡する…原因は『人間の不在』です」

約5世紀前、この星を支配していた生命体『ヒト(ホモサピエンス・サピエンス)』は滅んだ。
原因は後の記録にも残っておらず、現在も不明のまま。
だが滅びる寸前まで、人間が使役していた『ロボット』達は、ヒトが滅んでしまった後も
活動を停止していなかった。
主人亡き後も三原則に従い、彼らは自らの存在を守るために集団化し、また守るべき主人の
復活を夢見て文明の再建を始めた。
2世紀かけて量子コンピューター『リョウコ』を完成させ、後3世紀で気象や地殻運動すら
制御し、完璧な世界を目指してこの星を管理した。

「どういう事なんだね」
「人間なら今までも不在だったじゃないか」
「抽象的な物の言い方は止したまえ」
「我々は『人間の復活』の為に活動している。それが何故今になって『人間の不在』に
よって滅びるのか」
有識者“ロボット”達は次々と政治家“ロボット”のデックに質問を浴びせる。
そんな様を尻目に軍人“ロボット”であるメリーは大きく目を見開き、また青い瞳を振動
させていた。
彼女が高速で物事を“処理”している時の仕様…いわば癖だ。
デックは落ち付いた口調で続けた。
「『リョウコ』の計算結果は余りにも複雑であり、我々AIにも今だ理解できない事があります。
今回重要なのは、彼女の予言が間違いなく、『人間を直ぐに復活させなければ、半世紀で
ロボットの社会は滅びる』のが確実だという事です。
原因は、そうですね…復活した主人にでも伺って見ましょう」

彼らの人類再生計画は、実の所後一歩の所まで来ていたのだ。
地球の環境は常に完璧な状態に管理され、最新技術によって築き上げられた都市は全て、
人類への貢物だった。
しかし肝心の人間は…彼らの残した数少ない記録を元に地上全てを調べた結果…ただ一人、
人類が滅ぶ半世紀ほど前に冷凍睡眠処置を施された一人の少女…『サエコ』以外は一人として
見つかっていなかった。
多細胞生物は一人で殖える事はない。だからロボット達は、遺伝子組換えやクローニング等、
様々な手を使ってサエコの番いを生み出そうとした。
だが、その完成を待つ暇は、もはやなくなってしまったのだ。

「サエコは明朝目覚めます。我々の使命は、全力で彼女から人類を復活させる事…その為
ならば手段は選びません」
デックは機械仕掛けの偽りの笑みを浮かべ、冷酷に言い放つ。
有識者達は口をつぐみ、皆不満そうに顔を顰めていた。
そしてメリーは…
「分からんな…何故私はここに居る?」
会議室の中央に表示されるホログラム…サエコの全体像を眺めながら言った。
思春期を迎え、まだ幼さを残しつつも発達しつつある、アンバランスな身体。
黒いストレートヘアーを肩まで伸ばした少女は、弱弱しく両目を閉じ、未だ深い眠りにつ
いて夢でもみているようだ。
これから自分の身に振り掛かる過酷な使命も知らずに…
「私の仕事は、我々の脅威となりうる可能性、“敵”を打ち倒す事だ…今まで“敵”は
現れなかったが…
人類のように多様なイデオロギーも無く、宗教の違いも無い我々にとっての敵とは、
もはや宇宙人の襲来くらいだと思っていたが。
この少女が人類復活のキーならば保護すれば良い。明日目覚めさせるなら起せば良い。
だが“私”がここに居る理由がわからん」
メリーは軍人であり、政治家でも学者でもない。この場に居て彼女ができる事などないように
思われたが、はたしてデックの言葉はそれを覆した。
「将軍、貴女が彼女を保護するんですよ」
「…なんだと」
メリーは目を細め、あからさまに不快な表情を浮かべた。彼女もロボットである以上、
人間を守るという三原則に縛られている。
だが彼女は軍人であり、母親ではない。彼女のAIには、人間をどう扱うかという根本的な
思考回路が備わっていない。
「我々は誰一人として、人類と直接接した事のある者は居ません。データバンクに残っている
先代達の記録を元にした所で、我々自身の経験とする事は不可能です。
彼ら人間は、我々AIには理解出来ない程不合理で不条理で否論理的行動をとります。
彼らの身には彼ら自身の手によって、様々な危険が振り掛かるかはずです。
彼らを守るため…場合によっては彼らの行動を“制止”する為、軍人である貴女が必要なんです」
「つまり…私に彼女を監視せよと?」
それまでほくそ笑みを浮かべていたデックは、ここに来て恐ろしい程に真剣な表情で、
メリーに返した。
「言い方を変えましょうか…貴女に彼女を“管理せよ”と言いたいのです」


会議を終えた有識者達は、各々自分の帰宅手段を用いて家路についた。
この会議での内容はすぐさま全世界で活動するロボット達に伝えられる。
ある者は主人の復活に喜び勇み、またある者は人間の身と計画の成否を案じる事だろうが、
誰一人として人間を望まない者はいない。
そもそも彼らロボットの三原則は、生きた人間が存在して初めて相対的に意味を成し、
彼らの存在意義を定義付けているからだ。
だがメリーだけは、サエコの保護を命じられた彼女だけは、この計画…『Deus ex machina』に、
言い知れぬ違和感を憶えた。
「…(どこか、何かが間違っている)」
しかし彼女は軍人であり、人類学者でも生物学者でもない。また彼らの世界では生きた
人間が存在しない以上、精神学者も存在しない。
だから彼女には、これ以上の思考は不可能だった。

「メリー!」
高速エレベーターの扉が閉まる直前、後を追って来たデックが彼女の名を呼びながら
割りこんできた。
「酷いじゃないか、先に行くなんて、今夜は送っていく約束だろう」
「…ここでは将軍とよ、んんっ!」
扉が閉まると同時に、デックはメリーの唇を自分のそれで塞いだ。
エレベーターの壁に身体を押しつけられたメリーは、彼の体を引き剥がそうとするでも
なく、ただ呆然と立ち尽くした。
また彼女の瞳は揺れ動いている。
「…はは、君は軍事に関しては専門家だけど、やはりこういう事になると処理が遅れるな」
デックは思考の追いつかないメリーの下顎を手であげ、無表情ながら必死な彼女の顔を楽しむ
ように眺めまわした。
「だ、だまれ…」
更にデックは、彼女のネクタイを掴んで引き、首に噛み付くようなキスを落とす。
左手を腰に回すと、それを自分の股間に押し当てて、硬く“させた”人工のペニスを彼女
に感じさせた。
「君の家まで我慢できないな」
「ばか者…こんな、所で…」
「何処でも良いじゃないか、僕の君への愛情は、誰に見せても恥ずかしくないよ」
そう言ってメリーの後ろからスカートの中に手を滑りこませ、茶色のタイツに包まれた太
ももをなぞっていく。
「え、あっ!」
慌ててその手を掴むが、やはりメリーの思考回路には、その先の行動を決定するまでに
タイムラグが発生してしまう。
「服を着たまま…ここで…」
チン…
エレベーターの扉が開き、駐車場への橋が見えた。
デックは残念そうに肩をすくめ、目を逸らしながら制服を整えるメリーの手を取った。
「君の家で、今度こそ」
「……最初からそうすれば良いのだ」
「君の因子配偶予定者である事を誇りに思うよ。僕達は互いに必要な存在だ」
「……」
ロボット社会での配偶は、AIの傾向因子の良い部分だけを選別し、それぞれのコピーを
かけ合わせてより良い2代目のAIの設計図とする。
だから彼らの子供達は全て管理された設計通りに生まれ、イレギュラーは存在しない。
メリーやデックもそうやって生まれ、その前も、そしてその前も…
デックのホバーカーに乗りこんだメリーは、彼の嬉しそうな横顔を眺めながら思考した。
「…(頭の良い彼と、私の子供なら、精々優秀なAIが製造されるだろうな)」
デックの計算速度は、リョウコを除き全ロボット中一位、記憶容量も他の追従を許さない。
彼が肉体派のメリーに惚れ込むのは当然の成り行きであろうが、メリー自身は何故か彼に
魅力を感じなかった。
彼女からすれば、全ての事象を計算で割り出そうとする彼の行動方針が、どうも好きに
なれなかったのだ。
だが彼女には彼を拒絶する理由も無く、なし崩しに今の関係を続けるしかなかった。
「人間は自分に必要な相手を、どうやって見つけたのだろうな」
「?」
メリーの言葉にデックは不思議そうにしていたが、彼は持ち前の処理能力ですぐにそれに答えた。
「遺伝子がね、お互いを呼ぶんだそうだよ」
「そうか…(なら何故人間は滅んだのだ)」

車内のホログラム表示にもサエコの画像は映っている。
明日から世話をする事になる彼女に対し、メリーは嫌が応にも不安を募らせた。
「…(彼女はラベンダーが好きだろうか)」

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