ともねぇちゃん…。
さっきのワルガキが呼んでいた呼び名。
それは偶然にも、かつておれが慕っていたひとの名だ。
その名を改めて心の中で呼ぶと、ちょっと恥ずかしくも、甘く切ない思い出が蘇る。

十歳頃だったか…親父たちが、新型ドロイドの開発でオムニジャパンの研究所に
篭りっぱなしになった時、食事を作りにきてくれたのが、ともねえだった。
確か…歳の頃は十五か十六ぐらいだったと思う。
すっぴんでアイドルが出来そうな愛らしい美人で、それでいてどことなく理知的な
印象のする不思議な少女だった。
長い赤毛を左右に束ねたツーテールが、とりわけ印象的で、笑うと小首を
傾げながら口元に手をあてる癖があった。

お袋に頼まれて手伝いに来た…と言っていたが、その頃のおれは半ばガキカギっ子に
なっていて、一人だけで生活することに慣れかけていたので、初対面の時、
わざわざそんな事しなくてもいいから帰ってくれ…とかなんとか、色々とマセた事を
言ったと思う。
「わたしで、ごめんなさいね」
それが、初めて聞いた、ともねえの言葉だった。
「でも、あなたのお母さんは、今、大事なお仕事で、研究所から出られなくて…」
「いいよ。どうせひとりっ子だしさ…一人で何とかするから要らないってば」
今にして思えば、随分生意気で失礼な事を言ったものだ。
だが…本音を言うと、ともねえの優しく愛らしい笑顔がまぶしくて…本当は…
一目惚れに近い状態なのに…照れくささや恥ずかしさが先に立ってしまい…
つい、素直になれないでいたのだ。
あ〜…本当に馬鹿でナマイキなガキだったと…今思い出しても顔が熱くなる。

ともねえは、そんな失礼なおれを、暫らく、じっと見つめていたが、やがて
にこっと笑い、それから、おれの頭にそっと手を載せ、優しく撫でてくれた。
「そうですね。それじゃ今日から…わたしがあなたのお姉さんになりましょう」
「へ?」
いきなり…正に突拍子も無い事を言われて、おれは面食らった。
「家族なら…おねえちゃんなら、遠慮する事なんてないでしょう?」
「ちょ…ちょっと…」
「それとも…わたしじゃ…いや?」
じっと見つめられ、おれはどぎまぎした。
言葉も表情も優しく、穏やかなのだが…どこか有無を言わせないものがあり、
それでいて…何だか、甘酸っぱい気持ちが込みあがってくるのだ。
そして…おれは…いつしか黙って「そんなことはない」と小さく首を振り、同意の
意を示していた。

はあ…その時の事を思い出すと、恥ずかしながら、今でもちょっとクるものがある。
初めて…異性というものを意識した瞬間だった。
思えば…あの日は、結局、ともねえは泊り込んで、宿題の手伝いやらゲームの
相手だの色々してくれて…。
何だか、とても心地よいものを感じたものだっけ。

もっとも……その晩…初めて夢精してしまったなんて口が裂けても言えなかったし、
てっきりおねしょかと思って、結局、最後まで、ともねえには、それからもパンツ洗い
だけはさせなかったのも…実に恥ずかしくも…懐かしい思い出だ。

ちなみに後で知ったのだが…ともねえは、まだどこかの学生の身分だったのに、
オムニジャパンに努めていたらしい。
何をやっていたのかは良く判らないが、かなり色々な手伝いをしていたらしい。
時々、晩にノートパソコンに向かって、色々考え事をしながら入力していたし、
両親と親しかった事を考えると…今にして思えば、プログラマーの手伝いか何かを
していた奨学生だったのかも知れない。

「……ぼっちゃま?」
暫く黙り込んでしまったおれを、巴が幾分心配そうに訊ねかけ、おれは我に返った。
「どうか、なさいましたか?」
「あ、いや、なんでもない…」
ふっと巴に笑いかけると、ともねえの言葉が蘇る。
<家族なら…おねえちゃんなら、遠慮する事なんてないでしょう?>
そうか…巴って…おれにとって、昔のともねえの位置にいるんだな。
最近、巴無しの生活が考えられなくなっている自分に、改めて気付く。
…そういえば、おれはずっと、ともねえ一筋で来たんだっけ。
理想の女性として、ずっと抱いていた想い。
だから、まともに彼女も作らなかった…というより作れなかったのだ。
いや、もちろん、巴が姉さんっていうのは、明らかに違うけどさ…。
ただ…そばにいて、心安らぐ存在という点では同じだ。

あれ…そう言えば、巴のAIって、開発コード「tomo」だったよな。
ふと、そんな事を思った。

商店街を抜け、某駅の前を抜けると、住宅街に入った。
目的のドロイドショップは、住宅街の一角の五階建てのビルの一階にある。
「そういえば、新しい超高速演算プロセッサが出たそうだな」
「はい。ただ、オムニ純正では無いんですよね」
「う〜ん…ベンチテストが終わっていたら、巴に付けてやろうかと思ったんだが」
「え〜?どうしてですかぁ」
少し不満そうに巴は口元をとがらせる。
「時々ポカするのを、それで直してやろうと思ってさ」
「これは、元からの仕様です〜」
「そんな仕様、要らね〜よ」
「あ〜ん、これが萌えで、今の流行りなんですよ〜」
小さく両手の拳を固めてふるふると振る巴。
全く、デカい図体して…可愛いじゃないか(爆)
おれは思わず吹き出しながら、わざと意地悪くにやりと笑った。
「そんなにボケるのがか?それは天然じゃね〜のか」
「はい、もちろん天然です。だから良いんじゃないですか」
「良いのか?」
「はい…」
妙に自信たっぷりに巴がやり返す。
「この前も、転んだわたしを見て、ある人が萌える〜って褒めて下さったんですよ」
「……それ、やっぱりヘン」
「え〜ん…ヘンじゃないですよ〜コアでレアなんですよ〜」
これって自爆ギャグのつもりなのか?
巴のセンスはやはり時々ヘンだ。

ほどなく、目的地のビルに着き、おれはメンバーズカードを取り出して、出入口の
右横に設けられたセンサーに軽くタッチした。
ここは会員制になっていて、盗難や強盗防止の為、入館する時、カードを提示するのだ。
やがて、ゲートの上に「いらっしゃいませ」と文字が表示され、すっとオートドアが開いた。
「ここに来るのも久しぶり…」
そして中に入りかけ…思わず立ち止まった。
「な…なんだこりゃ!?」
「ぼっちゃま!」
巴が反射的に身構える。
…店内は、まるで嵐が吹き荒れた後の様な有様だった。
床にはメカや工具が散乱していて、何体かのドロイドがバラバラになって転がっていて、
思わず目をそむける。
「ひどいです…」
巴が両手を口にあて、おれも黙って頷く。
いくつもの陳列棚が倒され、ガラスや陶器の類は粉みじんに吹き飛ばされている。
一体…どういうことなんだ?
何があったんだ?
数歩先に進むと…カウンターの奥に店長らしき人物が突っ伏しているのが見える。
「マスター…これは?」
巴の声にも緊張感がある。
「警察だ!巴、110番だ」
とっさにおれは事件性を考えて怒鳴っていた。
「あ、はい!」
こういう時の巴は実に頼りになる。
即座に左腕に内蔵された通信機のコンソールを操作しはじめる…が。
「動くな!」
ふいに鋭い男の声がして、おれたちは振り返った。

「…なんだ…OJ-MD2か」
スカーフを覆面代わりにした男が、巴のシリーズ名を呟きながら、両手でかなり大きな
銃をこちらに構えつつ、店の奥に立っていた。
年齢はおれと同じか、少し上くらいか?
長身で、黒の皮のツナギを着ていて、黒豹を思わせるしなやかさと、刃物の様な鋭さを
感じさせ、一瞬、冷たいものが走った。
…こいつ…何かのプロか?  
黒い瞳がぎらりと光って、こちらを見つめる。
「…ご…強盗か?」
男の手にしている銃は…確か45口径はあるオートマチック銃だ。
<世界の銃>年鑑で、特集が組まれていたやつだ。
一発で即死か、運が良くて重症だろう。
…畜生…今になって、少しずつ足が震えてきやがった。
「マスター!」
巴がおれの前に立とうとすると、男は出し抜けに天井に向けて一発ぶっ放した。
とたんに天井のモルタルが、いくつかばらばらと崩れ落ち、軽く粉塵を撒き散らす。
…ち、本気かよ。
「動くなと言ったはずだ」
男が抑揚のない声で言い放つ。
「次は、本当に撃つぞ」
「マスターに手出しはさせません」
だが、巴はキッと男を見据えたまま、なおもおれの前に立とうとする。
「…お前…」
一歩も引かない巴の様子に驚いたのか、男の瞳に驚きの光が見えた。
銃を手にした腕が僅かに宙を泳ぐ。
と、その一瞬の隙をついて巴が男に向けて、矢のように素早く突進した。
そして、構えようとしていた銃を無造作に掴むや、指先でぐしゃりと銃口を潰し、
素早く男の両手を掴み上げた。
「マスターを撃たせやしません」
「…やるじゃないか」
巴の力には人間では抗えない。
然るに、男の瞳に微かに悪戯っぽい表情が見えた。
「だが…残念だったな…」
「?」
「動かないで!」
ふいに別の女の鋭い声がすると共に、おれは首筋に冷やりとする金属の棒を
突き当てられて、思わず歯軋りした。

いつやってきたのか、金髪、蒼眼に、こちらも全身黒皮のレザースーツに身を包んだ
若い女が、電撃スタンガンをおれに突きつけていたのだ。
…ち、もう一人いたとは油断した。
巴…すまん!
……しかし、気配を全然感じなかったぞ。
どういうことなんだ?
「そこの大きいの…マスターを離しなさい!」
「マスター?…ってことは、こいつは」
「…ジェーン!」
男が鋭く命ずる。
「不用意な口をきくな…」
「でも……はい」
男の言葉にジェーンと呼ばれたドロイドは少ししゅんとなった。
ちょっと外タレを思わせる端正な顔立ちのコだ。
へえ…予想外に殊勝な感じじゃない…いや、そうじゃなくて…。
「人造人間は、人間に危害を加えてはいけないんじゃないのか?」
おれはここぞとばかりに言い切った。
「お前、違法アンドロイドか?」
「!!!」
ジェーンの顔が一瞬、こわばる。
当惑したと言うか、叱られたような、複雑な表情で「マスター」の方を向く。
…あれ…これまた、意外と可愛いらしい顔をしてるじゃないか。
こんな表情もできるのか。
それにこの反応は…正常そうだぞ。
「マスターに危害が及びそうな時は例外だ…」
男が、微かに苦笑しながら言い放つ。
「現に、今、おれがその状況だし、お前のメイドロイドも同じではないか」
「……確かにな」
そう言いながら、スタンの先端をちらと見た。
…おれは…あまりおおっぴらに言っていないが…。
これでも、一応、柔道、空手、合気道、剣道と合わせて16段持っている。
腕にはそこそこ自信があるつもりだが…スタンガンを持つドロイド相手では、
やはり分が悪い。
だが…その反対に、巴も男を拘束している。
五分五分か…。

「で、どうする気だ…?」
おれは、覚悟を決めて尋ねた。
「このままでは埒もあかないだろう…ここで一気にケリをつけるか?」
「…そうしたいのは山々だがな…」
男は、だがどこか楽しそうな口調で続けた。
「やめとくよ。ジェーンがスタンで君を倒した途端、このチャーミングな
お嬢さんのリミッターが外れそうだ」
「ええ。マスターにそれを使ったら…容赦致しません」
巴が男の両腕を掴んだまま、いつになく凛々しい表情で男を睨む。
「…ジェーン…スタンを下ろせ」
男が静かに命じた。
「え…でも」
当惑した顔で、金髪のアンドロイド娘はちらとおれを見、再び男の顔を見る。
「よろしいのですか?マスター」
「先に手を出したのはこちらだしな…ならば、退くのもこちらが先だろう」
「で、でも…」
おれは妙な事に気付いた。
このジェーン嬢(笑)、先刻からマスターの命令に素直に従わないのだ。
いや、厳密に言うと、マスターの身を案じて、最後までマスターの指示に
従いきれないでいるのだ。
…良く言う二律背反という奴だが…。
普通は、というか、今現在存在するアンドロイドの殆どが、最終行動規程は
マスターの直接指示が第一義としてある…。
勿論、厳密に言うと、本来は法律に抵触しない範囲で…だが。
しかし、このジェーンは、マスターの身を案じて、自らの判断で躊躇しているのだ。
こいつは、相当高性能なAIを搭載しているとみた。
ならば…。
この状況を変えるには一か八かやってみるしかない。
「…巴」
おれは思い切って口を開いた。
「…もう離して良いよ」
「え…でも」
意外にも巴も当惑した表情を浮かべ、指示に反して手を離そうとしない。
「でも…マスターが…まだ…」
おいおい…巴もなのか!?
いつもなら、少し躊躇しながらも従うはずなのに…。
参ったな…これでは文字通りの膠着状態だぞ。

けれども…緊張感溢れる場面の筈なのに、おれはちょっとおかしく思った。
しかも、不思議な事に、次第にこの二人に対してある種の親近感が湧いて
きているのだ…。
「ふふ…どうも、お互い、大事にされているようだな」
男が静かに声をたてて笑った。
どうやら、おれと同じ考えらしい。
「仕方ない…同時に離すしかあるまい」
「そのようだな」
おれも思わず小さく苦笑した。
そして、少し表情を引き締めて改めて命じた。
「巴、手を離すんだ」
ほぼ同時に男も鋭く命じる
「ジェーン、スタンを下ろせ」

暫しの沈黙の後、巴とジェーンの視線がぶつかり合い…
やがて二人はゆっくりと指示に従った。

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