その晩…おれは久しぶりに、ともねえの夢を見た。
どこにいるのかは判らない。ただそこにともねえが佇んでいた。
昔出会った頃の、赤毛のツーテールの少女の姿で。
彼女は悪戯っぽく笑いながら、幼いおれを見下ろし、頬に手を触れ、こんなことを言った。
わたしが、もう一人いたら…どうします?
え?だって、ともねえは一人に決まってるじゃん。
ともねえがにっこり笑うと、その顔がいつの間にか巴に変わる。
ぼっちゃま…。
わたしは…いつでもあなたのおそばにおりますよ。
いつでも…いつまでも…。
巴の姿が再び、ともねえになり、彼女はおれの方を向いたまま、すっと遠ざかっていく…。
行かないでよ!だめだよ!ともねえ、行っちゃだめだ!
思わず右手を向ける。
すると…いつの間にか巴がおれの後ろに現れ、左腕でおれを抱きしめ、右手をおれの小さな手に
重ね合わせてそっと包み込む。
わたしは…ここにいますよ。
いつでも…ここに。
ともねえと巴の声が重なって耳に響く。
…ああ、そうなんだ。
いつも…そばにいてくれたんだ
温かく優しい感触に包まれ…おれの意識は次第に消えていった。

目が覚め、横を向くと既に巴の姿は無かった。
おれの上には温かな毛布がかけられ、ほうとひとつ息をつく。
そうだよな。
毎朝五時半には起床して朝食の仕度をするのが日課だし。
「あ…おはようございます〜」
いつもの、いささかのんびりした声が聞こえ、そちらを向くと、メイド服姿の巴が寝室から出てきた。
「ゆうべは、ありがとうございました」
「まあな」ちょっと照れくさいが、軽く笑いかける。「充電完了かい?」
「はいです」
例によって小首を傾げてにっこり笑う。
それから、はたと思い出したように、手にしていた紙束を、おれに差し出した。
「そうでした。これが…リビングにありました」
まさかという思いが一瞬、頭をよぎる。
果たしてそれは…予想通り、バンの置手紙だった。

「『色々と、ありがとう。そして、こっそり出発する非礼を許してくれ。
本当は、ご好意に甘えて昼に出るつもりだったが、本部から連絡があり、早朝には移動
しなくてはならなくなった為、申し訳ないが、書面にて失礼させて頂く。
あれだけ迷惑を掛けたのに、君たちがあそこまで親身になってくれるとは思わなかった。
ジェーンと共に深く感謝する。
お詫びの代わりと言っては何だが…昨日話せなかった事を幾つか記させて頂くことにした』」
キッチンのレンジから、ことこと鍋の音がする中、ソファに腰掛けたおれは音読を始めた。
巴がお玉を手にしたまま振り返る。
「『おれとジェーン…正式にはジェニファーだが、彼女との出会いと、シンクロイド・システムについて、
簡単に記させて頂くことにした。ただし、これは極秘事項なので、もし漏らした場合、君たちの、
大切だがとても恥ずかしい秘密を、某所に暴露させて頂く(笑)』…って、なんだよ…それ」
思わず苦笑すると、巴も困ったように笑った。
おれは続けて読み上げる。
「『ジェーンのモデルになった、おれの許嫁はジェニファーと言い、ジェーンはその名をも受け継いでいる。
…許嫁のジェニファーとは、六年前、あるテロ事件がきっかけで知り合った。
それは、違法改造したドロイドに爆弾を仕掛け、街中で爆発させるという凶悪なもので、たまたま
遺されていた部品や破片から、オムニ社が疑われ、FBIが立ち入り調査を行った際、応対に出て
来たのが、当時、若干16歳の技術主任の彼女だったのだ』」

そういえば、今にして思うと、その頃、相次いで日米で天才少女が現れて、電子工学の修士と
博士課程を修めて、それぞれ両国のオムニ社の顧問技術主任になったと聞いたとがある。
その一人が、ジェーンのモデルになったんだな…。
「『だが、ジェニファーとの最初の出会いは最悪だった。おれも、まだ二年目…駆け出しの捜査員で、
調査を急がせるあまり、ついキツい態度を取ってしまったことで、思いっきり嫌われたのだ』」
あのバンでも…そんなことが、あったのか。
「『ジェニファーにしてみれば、ドロイドは自分の可愛い子供たちであり、研究所員たちは大切な仲間。
自爆テロドロイドなんて許せるはずも無く、とんでもない言いがかりと見えたのだろう』」
そういえば、昨日、初めて出遇った時、確かにそんな感じだった。
バンを守ろうとした時の様子が思い浮かぶ。
あれはオリジナルから受け継いだんだな。
「『だが、足しげく通ううちに、いつしか、おれたちは親身になって話し合うようになっていた。
ドロイドは本来、絶対に人に危害を加えてはならず、かつ、自分の存在も守らねばならないこと…
そう言った基本事項が、おれにも段々判ってきて、彼女の怒りや悲しみが理解できるようになった
からだ…』」
巴はレンジを切り、鍋のフタを空けた。
作業こそ続けているが、その横顔はしっかり聞いている表情だ。
「『…二年間の交際の後、おれは彼女の両親に挨拶に行き、それから実家に報告に行った。
どちらも喜んで祝福してくれて、晴れておれたちは婚約した』」
「…その頃は…とても幸せだったのでしょうね〜」
お玉で中身をかき混ぜながら、巴が詠嘆するように呟く。
「『本当は、ジェニファーが18になった時点で結婚するつもりだったが、おれは主任に昇格したばかり、
彼女も新型ドロイドの開発で忙しく、目途が付くのが一年後。結婚しても、まともに一緒にいられる
時間はそう多くない。だから式と入籍は一年後にすることにしたのだ』」
その先の文に視線を落としたおれは、その先を読みかけ、絶句した。

「ぼっちゃま?」
陶器の器に煮物を移していた巴が、手を休めてこちらを向いた。
「あ…ああ」
この先は、ちょっと辛い…だが、ここまで読んだのだし、続けるしかあるまい。
おれは…意を決して続けた。
「『そして、あの日…おれとジェニファーは、三ヶ月ぶりの休暇をおれの家で味わっていた。彼女が
食事を作ってくれるというので、楽しみにしていた。
…正午前だった。その時、裏庭に繋いであった犬が、派手に吠え立てるので、おれは様子を見に出たが、
丁度、その時、配送業者のドロイドがやってきた。
…あの時の事は、今でも忘れない…。チャイムと呼びかける声がして、ジェニファーがそれに応えて
玄関に向かった時………荷物に仕込まれていた…爆弾が…炸裂した…』」
巴は完全に動きを止め、それから祈るかのようにそっと目を伏せた。
「『玄関周りは完全に破壊され、ジェニファーは爆風で全身打撲の重症で…血まみれの有様だった…
すぐ救急車の手配をしたが、その日、おれの家以外にも、周辺で大小合わせて25箇所が爆破され
死傷者で一杯で、とてもじゃないがすぐ…来られないという』」
そうだ…確か三年程前に…テロによる大量爆破事件があった。
日本でもマスコミで大々的に報じていたっけ。
「『おれはやむなく、彼女をクルマに乗せて、FBIの病院に連れて行ったが…そこも酷いものだった。
やはり怪我人が沢山いたばかりか…先輩や同僚のうち、非番で自宅にいた三人が死亡、八人が
重軽傷を負わされたと聞かされた』」
ニュースで見た中に、もしかすると彼らが居たかもしれない。
「『ジェニファーは緊急手術を受け、その場では一命を取り留めた……だが、失血が多く、しかも負傷者が
多すぎて、血液が不足していた。…その結果、輸血のタイミングが遅れ…衰弱し切っていた』」
煮物を入れた器をおれの前に置き、巴はそっと横の椅子に腰掛け、手紙に目を落とした。
「『病院のベッドも空きが無く、おれはジェニファーを自宅に連れ帰ろうとしたが、その時、彼女は自分を
オムニ・アメリカの研究所に連れて行ってくれと言い張った。おれは猛反対したが…ジェニファーは…
自分に死期が近いことを悟っていたらしい』」
巴の瞳に、悲しみと怒りが映っている。
「『…おれは、彼女を抱いてオムニの研究所へ行った。
そして…そこでおれが見たものは……ジェニファーとうりふたつのドロイドの姿だった』」
「それが…ジェーンなのですね」
「うん。『…ジェニファーは苦しい息の中、人の意識や総ての記憶を移植して、ドロイドの分身を作る
という研究をしていた事、その実験台として、自ら被検体となっていた事を教えてくれた。
…このままでは、自分はまず助からない。それならせめて、自分の想いを受け継いだドロイドを
起動させて、おれに遺したい…そう話してくれた』」

「自分の想いを受け継いだドロイドを完成して残す…」
巴がお終いの一節を復唱する。
おれはその時の巴の表情に何故か、少し引っかかるものを感じだが、なおも続けて読んだ。
「『シンクロイド・システム…それは巴くんが言っていた事と、ほぼ同じだが、ジェニファーの説明では、
記憶部分の複写だけが、どうしても完全に生成できないという」
「…ええと…あの…ここで完全再現できない…理由はですね…」
巴が、額に手をあてながら、何事か思い出しながら言った。、
「…人の脳って、膨大な量の記憶を司ってますけど、そのままではパンクしちゃいますよね。
だから『保管』と同時に、一時的に<忘れる>ことができますよね。アメリカに送ったプロトタイプは、
この記憶領域だけが、完全には再現できないでいたのです」
「巴?おまえ…どうして、それを知ってるの?」
「え?」
巴はきょとんとした顔で両頬に手をあてた。
「…そういえば…わたし…どうしてそんな事を知っていたのでしょう?」
「もしかして…巴…昔、親父たちの手伝いをしていたって言ってたけど…」
「そうですね〜…後で、お訊きしてみましょうか」
…巴自身の記憶に、何かあるのだろうか…と、思いつつ、おれは先を読む。
「『ジェニファーは、研究所の所長に、ドロイドの自分の再起動を頼んだ。
そう、既に一度起動したことがあったという。…彼女の後頭部と首の間にはコントロールメタルが
埋め込まれ、そこから、近くにいる時は神経の筋電信号を使ってじかに…離れている時は微弱な電波と
磁力波で…ドロイドとはマルチリンクを使って意識と記憶を交感するという。だが、以前テストした時、
ドロイドのジェニファーは、意図的にマルチリンクを絶った瞬間、つい数分前のことすら思い出せなくなって
しまったそうだ』」
「………」
「『それでいて、一年前のことは克明に覚えていたり…ばらばらで…後で聞いた話しでは、終いには
ジェニファーの分身…ジェーンは、何もわからない…と、泣き出してしまったそうだ。
ただ…自意識というのはあり、感情面と、理論や原理などと言った知識面だけは複写できたらしい。
要はジェニファーとして生きてきた記憶だけ、断片的にしか移せないのだ。
だが…それでも…自分の…<ジェニファーとしての>意識さえ…心さえ、おれに遺せれば、良いのだ…と。
一人のドロイドとして改めて誕生すれば、通常の記憶システムで稼動するので、問題ないから…と』」
「…それで…ジェニファーさんは」
「『システムが稼動すると共に、ジェーンからのデータが逆にフィードバックされ、危険だというので
所長たちは止めたが、これが自分の最後の調査報告だからと彼女は強行した。そしてジェーンの
再起動は成功したが、彼女、ジェニファーは、ジェーンとおれの手を取ったまま…』」
おれは、その先を読めなかった。
…続きはあとで読もう。
手紙の束を置き、立ち上がって窓の外を見る。
「……生まれ変わったジェニファーさん…か」
「初めはきっと…二人とも、とっても…辛かったでしょうね…」
「そうだな…でも」
「でも?」
おれは次第に明るくなってくる空を見上げ、そして巴の方を振り返った。
「ふたりはきっと、新しいスタートを切ってくれた…そうじゃないかな?」
「はい…きっと…きっとそうですよね!」
巴が、僅かに瞳を潤ませながら、両手の拳を固めて小さくガッツポーズをとる。
そんな彼女を、やっぱり愛おしく思いながら、おれは頷き、すぐに言った。
「さ、ともかく朝飯だ…」
「はいです」
巴は、いつもの様に笑顔で小首を傾げてみせた。

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