今日も、彼女は俺をみている。
通学路、午前8時15分  仁科電器店のショーウインド。
色気の無い紺一色の服、質の悪い継ぎ目の見える皮膚。
関節は小型が進んでいない旧式。
これまた旧式のコネクターが首のところに見える。
あんな端子、秋葉の特殊な店行かないと無い。
だけど眼がとてもきれいだった。
今ならまっさきにコストダウンされるのが眼球なのに、綺麗な結晶をもちいた
輝く目。それが俺をみつめる。
唇がおはようございますと動く。
数世代前の粘膜コートなのに、なぜかとても綺麗な唇。
彼女はメイドロボット。一番初めのメイドロボット。
万能文化女中機、なんてセンスの悪い説明が足下についている。
この道を通うようになってから十三年、彼女はここで朝夕、俺を見送ってきた。
十三年前は先進性と未来を感じたその姿も、今では埃をかぶって大層古く見える。
今日も彼女はおはようございますと口をうごかした。
声は聞こえない。音声ボリュームが切られているのだろう。
今日だけは最後だから、俺はショーウインドに向き合ってささやく。
「おはよう、そしてさようなら。俺、明日から陸軍に入るんだよ。だからさよならなんだ」
はい、いってらっしゃいませ。彼女が笑顔を浮かべて声にならない声で答える。
「……うん、行ってくる。中国戦線から生きて戻ってきたら、またここに……」
いってらっしゃいませ、どうかおきをつけて。
彼女が声にならない声で、そう言ったのが、最後の思い出だ。

五年が経った。
新宿での戦勝パレードからももう一ヶ月になる。二十三歳になった俺が得たものは、
砲撃で吹き飛んだ左指三本、砲弾の弾片が入り込んでとれなくなった右足。
悪口と止まれと撃つぞ、この女いくらだだけが語彙の北京語。
そして大麻を吸うことと、敵の効率的な殺し方。
トラックの物音に飛び起きて、銃を探す癖はようやくましになった。
「それで、兵士帰還プログラムの一環としてメイドロボの導入をやっているわけだ。
 希望があるなら言ってくれ」
 やたらにこやかに目の前の防衛医官がしゃべった。
 陸軍病院は今日も退役軍人でにぎわっていた。
 俺はいつものとおり、精神科外来で退役後も続けられる帰還プログラムに従い、
カウンセリングと投薬を受けていた。
 だが今日のプログラムはいつもと少し変えられ、メイドロボの導入をすすめられた。
「別に……」
 ディスプレイの中で最新式のe-パートナー、巷で言うメイドロボがくるくると紹介されている。
黒髪金髪長身ちび、巨乳に貧乳なんでもござれだが、どれもこれも清潔すぎて明るすぎた。
 大陸で女子供とすら殺し合いをしてきた泥沼をみれば、人形といえど、違和感はぬぐえない。
 疲労感がおしよせ、ページを閉じようとしたとき、ふと手が止まる。
「……興味があるかい? ふむ、いまなら取り寄せは可能だな。どうだ?」
 医官の言葉に、俺はなぜかうなづいていた。

 そしてはじめて聞いた声は、とても懐かしかった。
「おかえりなさい」
 彼女は変わらずに立っていた。俺の汚いアパートの玄関に。
 その微笑みは変わらず、首のどうしょうもなく古いコネクタも変わらず、旧式の関節も変わらない。
 そして目は、変わらず綺麗だった。
「お疲れ様でした。無事に戻られて何よりです」」
 ……俺は何も言えず彼女にしがみついて泣いた。
 俺の故郷は中距離ミサイルで壊滅したから、きっと彼女はあの彼女じゃないだろう。
 それでも……変わらないあの日に帰ってこれたと思った。
「……ただいま」
「はい、おかえりなさい」

 その年、帰還兵にe-パートナーを優先的に割り当てる時限法が成立した。
 市民生活への復帰と犯罪抑制に効果的であるとの報告が出たからである。
 中国紛争に派兵した各国も日本の報告をもとに、e-パートナーの増産を開始。
 かくして、二十一世紀末、アンドロイドは家庭に急速に普及していくこととなった。

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