翌朝、サエコの病室を再び訪れたメリーは、新しい水を入れた花瓶を片手にやってきた。
「…おはようございます、サエコ」
サエコはベッドで半身を起こしたまま、窓から外の景色を眺めているようで、メリーが声
をかけても無視している様子だった。
メリーの視線の先には、机の上のコップに生けられたラベンダーがあった。
昨日、メリーの何気ない行動に怒ったサエコは、花瓶を投げてラベンダーを捨てておきな
がら、それを自分で再び生けたのだ。
メリーにとってそれは不可解極まりない、人間の不条理であったが、何も不可解なのは人
間ばかりではない。
「ラベンダーを花瓶に移してもよろしいでしょうか」
軍人ロボットであるメリーには、植物を美しく保つという使命はなく、彼女の運用におい
てそれがメリットになる事もない。
だが、またもメリーは、そのラベンダーを無視できなかった。
「…やれば?」
サエコは実につまらなそうに、無気力な様子で応じ、彼女の許可を得たメリーは、紫色の
小さな花を咲かせる植物を、小さなコップから花瓶に移し換えた。
ラベンダーの処置を終えたメリーは、改めてサエコの様子を伺い、彼女がじっと動かず、
外のただ一点を見つめているのに気付く。
「サエコ、何を見ているのですか?」
メリーの問いに、サエコはひとつため息を吐いてから答える。
「“見てる”んじゃねぇよ、“見られて”んだよ」
サエコの答えの通り、彼女が眺めている向かいのビル群には、屋上という屋上、窓という
窓に、綺麗に整列したロボット達が顔を揃えてサエコの事を見つめていた。
ロボットは人間を無視できない。人間の危機を即座に察知するため、可能な限り人間に注
意を向けるようにできているのだ。
ましてサエコは…この地球上に残る唯一の“生きた人間”だ。
「全て、サエコの事を心配して見ているのです。アナタは我々の最後の希望だから」
「ふぅ〜ん…」
サエコはカーテンを閉めた。同時に彼女の事を見つめていたロボット達は退散し、各々自
分の作業に戻っていった事だろう。
「あのっさぁ、一つ聞きたいんだけどぉ…」
実に不愉快極まる、といった表情を浮かべるサエコは、年相応の乱れた言葉遣いでメリー
に質問した。
「なんでラベンダー飾ってんの?」
「それは…」
『アナタにとって大切な物だと思ったから』そのキーワードはメリーのコマンドには含ま
れていない。
代わりの答えを見つけるため、メリーの瞳孔は大きく開き、瞳は小刻みに振動するが、2
秒後にようやっと導き出された回答は散々な物だった。
「判りません、現在調査中です」
メリーの行動原理は人間の保護とロボット社会の防衛にあり、人間の精神面でのケアがで
きるようには造られていない。
むしろ自分の行動に戸惑いを感じたのはメリー自身の方だった。
人間の不条理に触れて初めて、メリーは自身の動作傾向に潜む不合理性に気がついたのだ。
サエコは蔑みの笑みをうかべて言った。
「わかんないとかわけわかんないし、ロボットならわかんねぇの?」
「判りません…ただ、アナタの身辺警護を遂行するに当たって、致命的問題に繋がる可能
性は、今のところ皆無と予想されます」
サエコは心底嫌そうに顔をしかめ、呻くような低い声で唸った。
「キメェ、まじキメェ…」
そして一つ溜息を吐いた後、昨日一晩泣き尽くし考えつくして決めた一言を放つ。
「何すりゃ良いんだよ…」

やがてサエコの体調も回復し、世界政府機構の病室から新たに用意された私室に移される
と、ロボット社会での第一日目がようやく始まろうとしていた。
「サエコには人間として生活し、通学と勉学に励んでもらいます…アナタの年齢では未だ
教育が義務付けられており、それは我々の社会でも変わりありません」
メリーは女子中学生用の制服を抱えて言った。
濃い紺のジャケットに半そでのワイシャツ。丈の短いスカート。凝ったデザインのリボン・
タイもついている。
それを受け取ったサエコは鏡の前で色々着こなし、感嘆の声をあげる。
「うおおぉ!結構イケテんじゃんロボのくせに!」
着こなすまでもなく服のサイズはサエコの体にピッタリであり、可動性とデザインを両立
させた可愛らしい制服にはしゃぐ様は、正に人間の女の子である。
ロボットのメリーには何がそんなに嬉しいのか良くわからないが、はしゃぎ過ぎて下手を
する前に水をさす事にした。
「これはアナタの勤めです、遊びではありません。アナタには我々の作った社会システム
で生活していただき、システムに異常がないか人間の目から分析していただきます」
「あぁもう、うっせーな、んだよそれ!」
頬を膨らませて猛抗議するサエコに、メリーは続けた。
「我々の社会は、やがてアナタ方人間に受け渡す為、可能な限り精巧に作り上げられまし
た。しかし、アナタ方人間の行動は、我々AIには予測不可能なのです」
機械が作り上げ人間の為の完璧な社会。その社会の中で人間が生活し、不具合があったの
では本末転倒である。
唯一の生きた人間であるサエコに、人間社会と同じように生活して実際にテストを行って
もらう必要があったのだ。
「ああったよ、うっせーな!まじババァそっくりだし超うぜー!」
ババァ…『若いヒトが自分の母親を蔑称で呼ぶ際に使う単語』…メリーはデータバンクか
らキーワード検索し、その意味を調べた。
一瞬メリーの瞳孔が左右上下に、速く小刻みに振動する。
「…お母様とは不仲だったのですか?あのラベンダーは…」
『母親が持たせてくれたのではなかったのか…』そう続けようとしたメリーは、サエコの
表情を見て『しまった』と後悔する。
サエコは両手を震えるほど握り締め、下唇を噛み締めて眉間に皺を寄せ、鋭い三白眼でメ
リーをねめつけていた。
「…うっせーぞ人形…かんけーねーだろ……」
「…失礼しました、以後禁止ワードの上位項目に追加します」
メリーはそう言いつつ、特に悪びれる素振りは見せなかった。そのような高度な感情表現
ができるほど、彼女のAIは器用ではない。
だが彼女の疑問が払拭される事はなく、むしろサエコの不可解な反応は、さらにメリーを
困惑させた。
「…(母親と仲が悪いなら、何故ラベンダーを生かしてある?)」
サエコの新しい部屋は、小娘一人が生活するには大げさな広さと内装が施されている。
その寝室の隅、大きなベッドと机の間に置かれた小さな棚の上には、あのラベンダーが花
瓶に生けられ、未だ甘い香りを放ち続けていた。
「…(不可解だ、理解に苦しむ)」
「学校いくんじゃねーの」
「失礼しました」
サエコの不機嫌な言葉でメリーは我に返り、思考を中断した。

「これ、おめーの車?」
「YESサエコ、正確には政府の支給品ですが、私専用のオーダーメイドです」
世界政府機構の巨大建造物の中心部を、貫くように吹き抜ける立体駐車場の一角に、サエ
コを送り迎えするメリーのホバーカーが止められていた。
そのデザインは高級車をそのまま無理やりSFチックにしたようなデザインで、これにはサ
エコも開いた口が塞がらないという状態であった。
「…ひょっとして超VIP?」
「YES、VIP中のVIPです」
メリーは携帯型端末に何やら情報を打ち込んだ後、四角い大きなサングラスを被り、運転
席に乗り込んだ。
サエコが助手席に座ってドアを閉めると、途端に車体は重力に反する動きを始め、サエコ
は軽く悲鳴をあげた。
「うっわ、まじ飛んだし、どんだけだよ!」
「ベルトを締めてください。交通事故の確立は1/47312556025回ですが、ゼロではありま
せんので」
「うっせーよ、さっさと飛ばせオンボロ」
やがて二人を乗せたホバーカーは建造物の上部を抜け、都市上空に浮かび上がった。
眼下に広がる光景に思わず、サエコは歓声をあげる。
「ふえーー!映画じゃねーっつーの!」

空高く聳える超高層ビル群。
その間を縫う用に地上にも空中にも、無数のホバーカーが走り、それらの中でせっせと
“人間の真似事”をするロボット達。
彼らは500年もの間、人間の復活の時を夢見、ただ盲目的に社会を築き上げ、そして壮大
な人類シミュレートを続けてきたのだ。
だが、彼らの努力もここに来て、ようやく完結の兆しを見せ始めていた。サエコの目覚め
は、人間を切に求め続ける彼らロボットの、希望の光なのだ。
ただ、一体を除き…
「高速道に入りますので席に着き、ベルトをしてください」
メリーの瞳は漆黒のグラスの下で、小刻みに振動していた。
彼女だけは、サエコの復活を急いだデックのやり方に、未だ不審感を拭えなかったのだ。
いや…彼女はそれ以前、もっと根本的な所に不自然さを感じていた。
「…(人間を復活させれば、本当に我々は破滅を免れるのか?…そもそも、なぜ人間は滅
びたのだ)…?」
メリーの思考は、彼女の筐体に内臓される自動防御システムによって中断された。

『やぁメリー、君から僕に通信をよこすなんて…』
「何のマネだデック」
突然キツイ口調で喋り出したメリーに驚き、サエコは外の光景を覗くのを中断する。
「何今の声、アンタのコレ?」
やらしい笑みを浮かべながら小指を立てるサエコを無視し、メリーは独り言のように通話
を続けた。
相手は政治家ロボットのデックだ。
『何か君の気に触る事でもしたかな?』
「惚けるな、上空1,200mから高性能観測機が私の車両を監視している…私を信用していな
いという事か?」
「観測機?」
サエコは窓から頭だけ出して上空を見上げるが、当然影すら見つける事はできない。
だが、自身に内蔵された高感度広域センサーのみならず、都市中に設置されたレーダー設
備や軌道衛星にすらリンク可能なメリーの防御システムには、はるか1,200m上空から高倍
率観測カメラを自分達に向け、監視している観測機の姿がハッキリと映し出されていた。
世界政府機構の情報統括司令室で、観測機からの映像を見つめていたデックは苦笑いしつ
つ答えた。
「あはは、お見通しだったか…君の事は誰よりも信頼しているよ。これは一種のパフォー
マンスだよ」
『パフォーマンスだと?』
メリーの声には明らかに苛立ちが混じっている。
『サエコの動向は、僕ら全てのロボットにとって非常に興味深い事項だからね、君達の行
動を全世界ネットで放送するんだ』
「まじで!?アイドルっぽくね?」
上機嫌なサエコに反し、メリーの表情は益々不愉快そうだ。
「忘れたかデック、私は“覗かれる”のが嫌いだ」
そう一言言い捨てるとメリーは通信を遮断し、右太もものヒップホルスターからブラスター
を抜くと、片腕だけ窓から出し上空に向けて引き金を引いた。
突然派手な銃声が鳴り響いたため、サエコは面食らった様子だ。
「なになになになにしちゃってんのいきなり!」
「失礼いたしました、すぐに学校へ向かいます」

メリーの最後の通信の後、彼女の車両の窓から片腕が伸び、一瞬閃光が輝いのを確認して
2秒後、突然映像は砂嵐のように乱れて途切れてしまった。
「観測機被弾、カメラ損傷の為撮影続行不可能」
「…怒らせてしまったな」
オペレートロボットからの報告を聞きながら、デックは少々苦笑いした。

サエコの通う事になった学校は、世界政府機構のビルから20km程離れた位置にあり、その
作りはサエコが冷凍される前に存在していた一般的な学校の校舎と別段違いはなく、実に
オーソドックスな作りである。
ただ一つ違う事と言えば、そこに登校する生徒達も教鞭を振るう教師達も、サエコを除い
て全てがロボットであると言うことだ。
校門前に駐車したホバーカーから降り立ち、サエコは手持ちカバンを片手に背中で背負う
と、一つ鼻息を噴出して気合を入れる。
「登校第一日目だしね、しっかりデビューするっしょ」
「校舎設備の説明や時間割、必要情報は全て携帯端末に入力されています」
「ん」
サエコは事前にメリーから渡された携帯電話型の小型端末を取り出し、ボタンを押してみ
る。
即座にサエコの目の前には校舎全体のホログラム映像が映し出され、サエコがそれに軽く
指をかざせば、カーソルがその通りに移動して様々な情報をウィンドウに表示した。
「アタシの教室は3-B、中央階段3階の右側ね…席は窓際前から5番目?いいじゃんいいじ
ゃん!」
「真面目に授業を受けてください、居眠り等しないように」
メリーはそういい残すと、さっさとホバーカーに乗って上空高く飛び立ってしまった。
サエコは彼女にアッカンベをすると、校舎に向かって走り出していった。日光の逆光でよ
く見えなかったが、確かにその窓という窓の向こう側から無数の視線を感じながら。

「お早うサエコ、私が君のクラスを担当する教師ロボットのフロイトです」
「お、おう…(いきなり校舎入り口前で待つか普通?)」
腕組して待っていた大柄の男性型ロボットは、妙に明るい笑顔でサエコを迎えた。しかし
その顔にサエコは首を傾げざるを得なかった。
彼女の記憶が正しければ、この顔は…
「…(どう見てもタレントの大橋まことだよなぁ?)」
大橋まこと似のロボットに案内され教室までやってくると、定例の如くサエコは入り口前
で待たされ、中ではどうやらクラスメートへの紹介が行われているようだった。
『皆知っていると思うが、今日から我が校にヒトがやって来ました。名前はサエコ。では
サエコ、入って自己紹介をしてください』
「はーい(ロボ相手に自己紹介ね、上等じゃんか)」
軽い気持ちで扉を空け、彼女の名前が書かれた教壇の前で猫を被ったような笑顔を浮かべ、
予めイメージトレーニングしていた文句を吐こうとするが…
「皆さん初めまして!私さえ………ええええええええええええええええええええええええ
えええ!!!!!!!」
サエコの絶叫が教室中に鳴り響く。
行儀良く机に座り、妙に明るい笑顔でサエコに見入っている生徒達の顔は、どれもこれも
美男美女揃い。それもサエコが見たことある有名人ばかりだったのだ。
「KAGUYAのボーカルにモデルの伊藤由香里にアイドルの工藤美佳!?ロード・オブ・カリ
ビアのレゴリスもいんじゃん!」
「どうかしましたか?」
大橋まこと似の教師が心配そうに声をかけるが、サエコは頭を抱えてうなるばかりだ。
「…(そういやメリーのやつも超美人だったし…畜生、反則だ)」
ロボットが人間の体に似せて自分達をデザインしようとすれば、当然実在の人物データを
元にするのが最も手っ取り早い。
必然的に多くのデータが映像媒介や写真等に残っているであろう有名人をベースにする事
になり、美男美女が揃うのも致し方ない事だった。

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