4時限目のチャイムが終わったと同時に、サエコは保健室の扉を半ば投げ捨てるが如く引
き開き、一階に設けられた購買部に向け疾走した。
養護教諭ロボットが「廊下を走っては駄目よ」と言い終える間もなかった。
その目的は一つである。
「焼きそばパンはアタシの為に存在すんだよ!!!」
購買部で焼きそばパンが売られているという情報は、メリーから渡された携帯型端末によ
って確認済みである。
支払いは当然電子マネーであるが、それもメリーから拝借済みだ。
しかし、購買の焼きそばパンが、彼女の年頃の女子生徒にとってどれほど重要な存在なの
か…突然飛び出していったサエコを呆然と見つめるコハルに、それを理解する術はない。
「…先生、あの…サエコは栄養失調か何かだったのですか?」
太い眉を顰め、眉間に皺を寄せて必死に演算するコハルに対し、養護教諭は艶やかな声で
漏らす。
「人間の子供はね、いつでもお腹が減っているのよ…胃袋じゃなくて、頭がね」
「??????」
「無理に理解しようとすると、また熱暴走起こすから、とりあえず保留しておきなさい」
コハルは唸りながら頭を抱え、ベッドの上を転がり続けた。
数分後サエコは、焼きそばパンを両手に、ストロー付き牛乳パックを両脇に抱えて戻って
きた。
その表情は心底至福の時と言った様相で、一種悟りを開いた聖人のようでもあった。
「コハルー、飯食うぞー」
「え?あ、うん…」
サエコの上ずった声に、コハルが例の如くオドオドと返すと、養護教諭は好い加減飽きた
と言わんばかりに呆れた様子で口を挟んだ。
「二人とも元気ならもう教室戻んなさい」

「黙れデック、私をサエコのお守りに命じた以上は認めんぞ」
『だけどメリー、これは君と僕との為でもあるんだよ?いや、それだけじゃない…』
「貴様と私の子供だろうと、サエコであろうと、見世物にするようなマネは断じて容認し
ない。わかったか!」
ホバーカーの運転席でメリーは怒鳴り、世界政府機構のデスクからの通信を遮断してしま
う。
モニターの向こうではまた、デックが渋い顔をしているだろうが、メリーにはそんな事は
関係ない。
今の彼女の至上命令は、サエコを保護する事だ。
『余計な不確定要素はない方がよい』というのが彼女の持論だった。
メリーの視界の端に指定時刻を示す赤いデジタル時計が表示される。サエコの帰宅の時間
だった。
メリーは軽く舌打ちをしてホバーカーの高度を下げ、学校の門の前に停車させた。
しばらくして校舎から姿を現したサエコの後ろには、下校する全ての生徒達がぞろぞろと
列を組み、その視線は全てサエコの背中に向けられていた。
隣を歩くコハルは鼻の上辺りを紅潮させ、とぼとぼと彼女に随伴した。
「ジロジロ見てんな、きめーんだよ!」
サエコが後ろに振り返って怒鳴ると、生徒達は一斉に上方45°を向き、サエコから視線
を逸らした。
怒鳴り声に驚いたコハルが泣きそうになると、サエコは慌てて宥めに入る。
「おーおー泣くなコハルー、お前の事じゃねーかんなー」
「ひぐぅっ…うぅぅぅっ」
「そーだーマフドネルドでテラマッフ食い行こうな!どうせメリーの奢りだ」
「貴女に持たせた電子マネーは、嗜好品を食い荒らす為に貸したわけではありません」
校舎の前で腕組して待ち構えていたメリーは、軍人らしい冷たい口調でそう放ち、ずらし
たサングラスの下から鋭い三白眼で二人を睨み付けた。
その視線にコハルは堪らずサエコの背中に隠れ、そんなメリーにサエコは猛抗議する。
「おらー!ダチがビビッてんだろ!ちったぁ気ぃ使えボケ!」
メリーは首を横に振りながら、呆れた口調で返す。
「私の仕事は貴女の身辺警護です。予定外の行動を取って、余計な仕事を増やさないで頂
きたいものです」
「うっせばばぁマジ死ね!マジきめーんすけど、ありえね!超うぜーし!」
サエコは年相応の乱れたスラングを連発して喚き散らすが、コハルはそんな彼女に恐る恐
る漏らした。
「…あの、サエコ?私も早く帰らないと親が心配するし…」
「ああん!?」
「…今日はありがとう、また今度にしようよね…」
「………」
口を尖らせて不満そうなサエコだが、流石にそれ以上は続ける事ができなかった。
これ以上だだをこねれば、それこそ…
「貴女の時代なら『KY』と呼ばれる所ですよ、サエコ…大人しく私と帰りましょう」
「ああったよもー。帰りゃいんだろ帰りゃ。そのダッセー車でコハル送ってくぞ、そんく
らい良いよな」
メリーは一つ鼻からため息を吐き、ホバーカーの後部ドアを開いた。

学校から世界政府機構への道のりの、丁度途中に位置するコハルの家まで彼女を送るため、
メリーのホバーカーは空中道をひた走った。
ハンドルを握りながら、メリーはサエコに重苦しい口調で告げた。
「サエコ、ようやっとセットアップが整ったので報告します」
「あん?」
「貴女に渡した携帯端末に、赤いキーが付いているのは確認しましたか?」
サエコは携帯端末を取り出し、側面に付いている、透明な樹脂カバーで封印された赤いボ
タンを上から撫でた。
用途が分からなかったので触らなかったが、どうやら長時間のセットアップを要するよう
な大それた機能が付いているらしい。
「そのキーは貴女の身の危険を知らせる為の、非常ボタンです」
「これ押したら助けに来てくれんの?」
「YES。ただし、あくまでも緊急用です。間違っても…」
『不用意に押さないこと』…彼女はそう言おうとしたが、時既に遅し。サエコは何の警戒
心も躊躇もなく、樹脂カバーを外して赤いボタンを押し込んだ。
サエコの隣に座っていたコハルが泡を食ったような表情を浮かべるが、サエコ自身は何ら
悪びれる様子もなく、平然としている。だがそれも長くは続かなかった。
運転席に座るメリーの頭から『ガギギッ』と、何かが弾ける様なノイズが漏れた方思うと、
彼女の瞳が青から血のような赤い色に変色した。
「ん?どしたメリー…みぎゃああああああああああああああああああああああああああ
あ!!!!!」
メリーの運転するホバーカーはぐんぐん加速し、その作用でコハルとサエコは後部シート
に押し付けられてしまう。
それだけでなく、車体の床から強力なエアクッションが飛び出し、サエコを繭のように覆
い尽くして一瞬で身動きを封じてしまった。、
当のメリーは…彼女の思考はサエコの身の危険を意味する信号を察知した途端、最上位危
険レベルに達していた。
それはつまり『不確定要因によって危機に瀕したサエコの生命を、あらゆる危険から防衛
するため、全戦力を持って予想されうる全ての障害を排除し、安全化を図る』という事で
あった。
メリーは即座に、100Mtクラスの核弾頭が直撃しても耐えられるシェルターの内、最短距
離にある入り口の位置をサーチし、他の車列や車両を無視し、ホバーカーの限界速度でも
って直線距離を爆走する。
同時に「総力戦」を意味する危険度SSSの緊急コードを使用し、全都市に配備されている
全防衛システム…対空機関砲や防空ミサイル、全天候広域レーダーやその他ありとあらゆ
る機能を全てアクティブにさせてしまう。
都市全土は一瞬にして『臨戦態勢』に移行し、けたたましい警報とサイレン、サーチライ
トが明滅し、ビルや路上に隠されていた無数の砲台が顔を出し、世界政府機構の危機管理
センターはあらゆる状況を想定して防衛体制を構築した。
衛星軌道上では出力50TWの荷電粒子砲や戦術兵器を満載した防衛宇宙ステーションが、地
球上外宇宙問わず全ての目標を照準し監視した。
都市に存在するロボット達の殆どは、すぐさま即席の戦闘要員と化し、防護服と強力な自
動銃を装備して整列し、メリーか危機管理センターからの反撃命令に備えた。
ホバーカーの進行方向に直径2kmにも及ぶ巨大なドーム状のシェルターが現れ、それの中
心がまるで栗のように割れて口をあけると、ホバーカーは減速する事もなく全速力でその
中に飛び込んでいった。
シェルターの中はブヨブヨとした衝撃吸収ジェルで満たされており、ホバーカーはその中
にドブリと浸かってようやっと停止した。
しかしメリーはそれでも収まらず、ブラスターを引き抜くとサエコをエアクッションから
引きずり出し、頭を低くさせてその上に覆いかぶさった。
怯えたコハルは、その光景を隣で震えながら見守るほかなかった。
サエコが何の気なしに“押してみた”キーは、正に『最終戦争』を意味する禁断のスイッ
チだったのだ。

20分後、メリー達のホバーカーはシェルターのジェルの海から引き上げられ、中にいた三
名は無事救出された。
量子コンピューター『リョウコ』の高速大容量演算により、あらゆる可能性を振るいにか
け、緊急信号が『誤報』であると判断された為だ。
サエコはショックで完全に伸びてしまい、ジェル塗れになったコハルは例の如く泣きじゃ
くっている。
同じく全身ドロドロの様となったメリーを、クスクスと笑いを堪えながら出迎えたのは、
政治家ロボットのデックだった。
「…いや、すまない…とんだ災難だったね」
「災難?私は仕事をしたまでだ」
「とにかく、帰ってシャワーを浴びようじゃないか…僕が背中を」
「それ以上喋るな」
デックはメリーの肩に触れようとして、慌てて手を引っ込めた。
彼女の右手には未だ、強力なブラスター銃が握られたままだったからだ。