後、数分もすればここに連中が流れ込んでくるだろう。 昼間にも関わらず真っ暗な廃墟の中で、僕と紅髪の美女は遮蔽物を背にしゃがみ込み、 息を殺している。床には、ベレッタ、マシンガン、ハンドランチャー、スナイパーライフル、 手榴弾などなど無数の武器が散らばっている。しかし、この場にいるのは僕と彼女の 二人だけ。手に余る武器の数だ。 ──やれやれ、そろそろ潮時かな……。 彼女は造形美の極致にも感じられる見事な細い指を駆使して、手際よく弾倉の交換を 行っている。これが最後かも知れないと思い、月のように白く美しいその横顔をボンヤリと 眺める──僕が生まれた時から、ずっと変わらぬ美貌だ。 「……どうかされましたか?」 僕の視線に気づいたのか彼女が顔を上げ、円らなルビー色の瞳がこちらを見つめている。 「僕は降伏しようかと思うんだ、エイミー」 エイミー──僕にとって、母であり、姉であり、幼馴染であり、先生であり、そして、 いや、それ以上は言うまい。ともかく、彼女は僕の人生の全てを見守ってくれたアンドロイドだ。 僕の言葉を聞いたエイミーはその細く流麗な眉を顰める。 「どういうおつもりですか、マスター?」 「言葉通り。幾ら君と僕でも、この包囲網を突破するのは容易じゃない。成功する確率は 三割と言ったところだ。僕はリスクを冒すのは好きじゃない」 「三割あれば充分です、マスター」 僕はゆっくりと首を振る。 「二人とも無事で済む確率は一割に満たない」 事実、周囲を囲む連中は一個師団なみの戦闘力を有している。高度な戦闘技術を有する 僕と彼女でも躍り出るのは無謀の極みだ。一方で、このまま立て籠もっていても敵の援軍が 到着し、逃げ場はなくなる。いずれにしても万事休すだ。圧倒的な戦力差にも関わらず 相手が手を出してこないのは、エイミーに内蔵された熱核融合炉を使った自爆攻撃を 警戒しているからに違いない。だが、それも所詮は時間稼ぎに過ぎない。準備さえ整えば、 ミサイルだろうが、10トン爆弾だろうが遠慮なしに奴らは使ってくるだろう。 「しかし、降伏すれば……」 「ああ、僕は無事では済まない。でも、ただで降伏するつもりはないよ。その間に君を 逃がす」 「私はマスターを守るためだけに作られました。ですから、マスターを犠牲にして私が 助かる選択肢はありません」 彼女は僕を守るためだけに作り上げられたアンドロイドだ。僕のためなら、自分の身を 捨ててでも戦うように設計されている。それゆえ、律儀で困る。 ──仕方ない。 「でも、僕の命令は絶対だ」 絶対服従プログラム──流行らないプログラムを祖父ちゃんも組み込んだものだ。だが、 今はそれのお蔭で彼女を守ることができる。そう思うと、感謝したい。 「……うう」 彼女は口を"へ"の字に曲げ、拗ねた子供のように僕をジッと見つめている。命令の変更 を要求──いや、懇願しているのだ。だが、僕は下した命令を撤回するつもりはない。 「行くよ、エイミー。僕が派手に降伏して時間を稼ぐ。その間に君は逃げるんだ。うまく いってもいかなくても緊急通信回線で連絡をして欲しい。もし捕まったならば、何とか君が 助かるように交渉する」 僕はゆっくりと立ち上がろうとするが、エイミーが僕の手を強く握り締め「行かないで」 と目で訴える。人工涙腺から透明な液体が滲み出る。 ──精巧に作りすぎだよ、祖父ちゃん。 「……ダメです。そんなこと、できません」 エイミーが首を振ると、毛先がカールしたロングの赤髪が揺れる。 そんな顔をして欲しくない──別れたくなくなるから。 「いい加減にしないか、エイミー。もう一度言う。僕の命令は……」 「……絶対です」 二の句を告げるまでもなく彼女が答える。 だが、彼女は手を離さない。 「マスターの命令は絶対……でも、マスターを失うのは嫌……マスターノ命令ハ絶対…… デモ、マスターヲ失ウノハ嫌……マスターノめいれいハぜったい……デモ、マスターヲ うしなウノハいや……」 彼女が同じ言葉が繰り返し発するうちに、頭頂部付近が青白く輝き、スパークが発生し 始める。 ──ま、まずい。 それもこれも、祖父ちゃんが絶対服従プログラムに加え状況反応型感情生成プログラムを 搭載したせいだ。一つのシステムに複数の基礎プログラムを組み込んだことは天才の 為せる技だと思うが、そのせいで時として彼女はプログラム間の矛盾に陥る。 スパークはその矛盾が回路の限界域にまで達していることの証拠だ。放っておけば、 エイミーの思考回路が焼き切きれてしまう。 「お、落ち着いて、エイミー。命令を一時停止する」 「…………はい」 彼女の瞳からはまだ塩分の混じった水滴が零れ落ちているがスパークは収まり、どうやら プログラム間の衝突によるショートという最悪の事態は避けられたようだ。 「……どうしてだい、エイミー?どうして、僕の命令を聞けないんだ?」 「わかりません。でも……」 僕は首を振った。今まで、エイミーが口ごたえしたことなどなかった。 「マスターが私の全てです。ですから、マスターを失うことはできません」 設計理念である要人保護が絶対服従に優先するように設定されているからなのか、それとも 彼女自身の"感情"がそう答えさせているのか、どちらか判断はつかない。 ──僕の全ては、君だというのに困ったものだね。 僕は長い長い溜め息を吐いた。 「……なるほどね」 エイミーは潤んだ瞳で、僕をただ見つめている。 「マスター……お願いです。命令の変更を」 「…………変更しなくても、君は僕の命令を聞く気はないよね」 暫くした後、彼女は小さく頷く。信じられないが、絶対服従のプログラミングを拒絶する つもりなのだ。ありえない──が、目の前のエイミーは本気だ。 「僕の命令を聞くぐらいならば、感情生成プログラムを絶対服従プログラムと衝突させて、 自分から思考回路のショートを招くつもりなんだろ、君は?」 今度も彼女は頷く。 「そして、それを僕が望まないことも知っている」 人工知能の主要回路である思考回路がショートすれば、エイミーは機能を停止する。 不稼動のエイミーならば連中は涎を垂らして持ち帰り、彼女を最後のネジ一本になるまで 分解するだろう──そしてその前に人体を精巧に模して作られたこの麗しきアンドロイドを 散々辱め、嬲ることであろう。そんなことを僕が許すわけはない。 「君がそうなると僕は非常に困る……いや、非常に辛い。と、いうわけで君の意見を 聞こうか、エイミー」 観念した。分が悪くともエイミーと共に戦う選択肢を選ぶ方が利口だ。 「はい」 アンドロイドにも関わらず、嬉しそうに目を輝かせている。 「まだ、敵のヘリ部隊は到着していません。そこでマスターが屋上から狙撃を行い、相手の 注意を引きつけます。その隙を突いて、私が正面玄関より強襲を仕掛けるというのは いかがでしょう?数的優位は覆せませんが、私とマスターの能力ならば局面を打開するには 充分かと」 彼女が僕の瞳を不安げな様子で覗き込んでいる。自分の案が採用されるかどうかと、 命令を無視したことで僕が怒っていないか心配なのだろう。アンドロイドにも関わらず、 ここまで感情表現が豊かなのは余程プログラムの出来が良いのだろう。 「…………ベストな選択だね、エイミー」 僕の言葉に彼女の目が嬉しげに揺れる。 「が、狙撃するのは君。打って出るのは僕だ」 「マスター!!」 「ここが最大限の譲歩」 彼女に傷ついて欲しくなかった。例え交換できる人工皮膚とはいえ、白磁のような エイミーの肌に弾痕が付くのは勘弁して欲しい。それに彼女の狙撃は自動演算式火器管制 システムのお蔭で正確無比だから、僕がやるよりも遥かに適任だ。これは計算づくの答え。 むしろ、エイミーの答えよりも論理的で僕の方がアンドロイドか、と思ってしまう。 勿論、打って出るからといって無駄死にする気はない──いや、彼女のために死ねことは 許されない。 「……マスター……」 まだ渋るエイミーの髪を一撫ですると、僕はそこらにある武器を掻き集めた。この作戦 であればエイミーが傷つくことはまずないだろう──心配の種は無い訳だ。 ならば、思い切って戦おうではないか。 「……さあ、行こう、エイミー。たまには本気になってみるのも悪くないかもしれないね」 (了)