チエを乗せた便が重慶江北国際空港に到着した頃、リ中佐は滑走路上に部下と共に整列し
日本からやってきた“災害復興支援”名目の刺客を出迎える準備を整えていた。
大型旅客機の格納庫から仰々しいコンテナの中から、リ中佐は目的の物を見つけ出すとすぐさま駆け寄った。
日本側の職員が慌てて静止しようとするが、リ中佐は“引受証明”を無言で叩きつけるように提示した。
「開けろ」
「ここでですか?」
「さっさとせんか」
人民解放軍軍人の高圧的な態度に、職員の表情はあからさまに不快感を示した。
だがリ中佐が腰に下げた拳銃のホルスターに手をかけ、コンテナに対し敵意むき出しの眼差しを
向けているのを見た途端、職員は慌てて開放にかかった。
金属製のコンテナが口を開け、緩衝材と発砲スチロールの塊に覆われた“何か”を台車で運び出す。
リ中佐はそれがコンテナから顔を出した途端に、職員を押しのけて詰め寄り、発砲スチロールを
固定していたマジックテープを解除した。
途端に発砲スチロールと緩衝材は真っ二つに割れ、中から白いビニール被膜に覆われた物体が現れた。
リ中佐は苛立たしげにそれを引きちぎり、遂に中に潜んでいたチエと対面した。
「…なんだこれは」
しかし、妖怪変化でも現れるものと想像していたリ中佐は、その中身の姿に拍子抜けさせられる。
「…『省電力モード解除、再起動後異常が見られた場合は、本社サービスにご連絡下さい』
ニーハオ!私は被災地人命救助用多機能ロボット、アサカタイプ1005チエです。よろしくお願いいたします。」
和製アニメにでも使われそうな甘ったるい声で流暢な中国語を放ったそれは、とても殺し屋と
言えるような様ではなかった。
背丈は中佐の腰ほどもなく、凶悪な武装も何一つ付いていない。強いて言うなら…
「炊飯器のお化けか?」
「残念ながら私自身に炊飯機能は備わっておりませんが、被災地での炊事活動を支援する
程度の能力は付属しております…」
チエは流線型のボディの天辺から覗く全周囲広角カメラを絞り、リ中佐の顔を見つめた。
リ中佐は口元をへの字に曲げ、つまらなそうにフンと鼻で唸った。
「貴方様が私の新しいご主人様でございましょうか?恐れ入りますが、お名前を窺ってもよろしいですか?」

チエがリ中佐と対面した映像は、すぐにも防衛省の軍事衛星を経由して日本にいるエージェントらの
元に送られてきた。
チエの主人であるサエキやアサカ社の技術者は、この作戦が終わるまでの間、自衛隊の某施設に
半ば軟禁状態となっており、鬼の居ぬ間に風俗三昧を目論んでいたサエキは正に涙目だった。
だがそんな彼も、半日ぶりにチエから送られてきた通信に、思わず胸をなで下ろしていた。
「で、このおっさん誰よ」
オリーブ色の制服に身を包んだ自衛官や、白衣の技術者と肩を並べ、駄々広い司令室の大型
スクリーンに映った人物を見たサエキは、間の抜けた声で言った。
サエキの表情とは裏腹に、周囲の自衛官達は慌てた様子で彼方此方支持を飛ばし始める。
「この男、人民解放陸軍の特殊作戦部隊だぞ」
「奴の所属と詳細な情報を探れ、急げ!」
「出ました!第13集団軍快速反応部隊、自動化装甲歩兵旅団所属、リ中佐です!」
リ中佐の名を聞いた情報保全部のエージェントは、口元を歪めて苦笑いした。
明らかに予想外の出来事に直面した顔だった。
「…ヤバい人ですか?」
サエキの質問に少々戸惑いながら、エージェントは口を開いた。
「中国国内の思想犯や活動家、地方の少数民族の独立運動なんかを、いち早く察知して制圧
しちゃうような、超タカ派の鎮圧部隊ですね…恐らくタイプ2557の事件、彼が担当してますよ」
サエキは嫌そうに表情を歪め、チエの名を口ずさんだ。

「…そうか、そうだな、私が今回貴様の引受人となった、リ中佐だ」
「かしこまりましたリ中佐、私めの事はチエと…」
「貴様と慣れ合うつもりはないぞ妖怪炊飯器め」
「左様でございますか」
あくまで機械的な反応しか返さないチエとのやりとりに、いい加減苛立ちを覚え始めた中佐は、
チエを無視し、荷降ろし作業を終えた職員に改めて引受手続きを行った。
「このロボットは確かに受け取った。日本国民の温かい支援に、人民を代表して感謝の意を表明する」
「はぁ…」
リ中佐は最後に敬礼を済ませ、再びチエの方に振り返った。
まるで見下すような眼つきでチエを睨み、一言冷たく言い放つ。
「付いてこい」
「かしこまりました」
大人しく中佐の後に付いていくチエだが、衛星経由で彼女の元には日本からの情報が届いており、
リ中佐が要注意人物である事は、少なからず彼女の計画に影響を与えていた。
『特殊部隊が出てくるとは聞いていないぞ、この通信は大丈夫なのか』
日本からの返答は間を置かずに返ってきた。
『現在情報を集めているが、彼の部隊が今回の件に深く関わっている以上、こちらの動きもある程度
読まれていると考えた方がいい…通信の暗号化パターンは、毎分置きに変更されているから心配はいらない』
『わかった、引き続き奴と接触して情報を引き出してみる』
チエはリ中佐とその部下に囲まれたまま空港のゲートを潜った。
大勢の軍人による物々しい雰囲気に、搭乗客達もざわめき立つ。
報道管制がしかれたのだろうか、中国国内のマスコミの姿は一切なかった。
もっとも、今回の“人道復興支援”自体、日本政府、中国共産党政府両者ともマスコミに公表は
しなかった。表沙汰にしたくないのはお互い様なのだ。
空港の駐車場には既に迎えの車が到着していた。
要人御用達の黒塗りの高級車だったが、チエのセンサーはすぐにもその車両が防弾加工された
VIP仕様である事を見抜いていた。
「乗れ」
「畏まりました(NIJ規格レベル4クラスの防弾車両…軍用車だな)」
リ中佐に言われるまま、後部座席に乗り込んだチエは、そのままシートベルトを自分の筐体に
巻きつけて固定した。
リ中佐が反対側の座席に座ると、車両はゆっくりと駐車場を後にした。

チエを乗せた車両には、リ中佐の部下を乗せた車両が二両随伴し、まるで外交官を護送
するかのような厳重な警戒態勢がしかれていた。
無論この警戒というのが、全て来客であるチエに向けられているのは言うまでもない。
チエは前後にぴったりと付いた護送車に乗る兵士の数と、彼らの所持している武装、今自分の
隣に座っているリ中佐の分も含めて兵力差を勘定した。
その上でチエは、自分たち以外に巻き込まれる可能性のある人間がいない事を確認し、
リ中佐に語った。
「下らん茶番は私も好きではない。本題に入ろうか」
「?」
リ中佐は少しだけ眉を歪め、突然口調の変わったチエを横目で睨みつけた。
「ふん、ようやっと本性を現したか“殺し屋”めが」
「私は殺しはしない。貴様と一緒にするな“狗め”が」
「口のきき方を知らんようだな」
リ中佐は腕を組んだ状態のまま、腰のホルスターに下げた拳銃の握把に手を添えた。
チエはそれを知った上で、物怖じ一つせず、更に威圧的な声で続けた。
「貴様らが盗んだ物を返してもらおう。すぐに案内しろ」

「断ると言ったら?」
車両が高速道に入り、チエは外の様子を窺った。
民間の車両は近くには見えない。
「このレベルの防弾車両なら30秒で廃車にできる。無論貴様らを乗せたままな。隣に座っているのは、
超法規的権限を与えられた、小型の土木作業重機だと思った方がいい…」
「脅しのつもりか」
「目的はどうあれ、私が人命救助ロボットであるのは事実だ」
もちろん、チエには殺人を犯す事等できないが、それでも理由さえあれば人間を脅迫するくらいの
事はできるし、半殺しで済ませる事だってできる。
今のチエの最重要目的は、中国大陸のどこかで暴れているコハルの機能停止であり妨害する者在らば、
これを死なない程度に痛めつけて制圧するのは、三原則に則った適切な処置だ。
リ中佐は苛立たしげに口元を歪めた。
たかがロボットの分際で、自分を脅迫しよう等とは、心底腹立たしいではないか。
だが彼も無茶をする程馬鹿ではなかった。彼の上司である将軍からも、今すぐには手を
出すなと念を押されていた。
「今日中には無理だ。報道の目があるからな…」
「そうか…『トランスフォーム!』」
掛け声と共に変形を開始するチエ。
あまりに突拍子もない出来事に、リ中佐も運転手もさぞ仰天した事だろう。
突然中央の車両が蛇行を始めた為、随伴する護送車両も一様に面食らった様子だ。
「それでは、VIPに相応しいホテルに案内してもらおうか」
思わず拳銃を抜いて身構えたリ中佐の目の前で、チエはメイド姿の少女に変形し、
可愛らしい顔つきに似合わぬ妖しげな笑みを浮かべる。
おまけに、その肩からは二本の腕とは別に、さらに二本腕が伸びた不気味な姿であった。
「ば、化け物めが!日帝の悪趣味には、つ、付き合いきれん!」
「ふん、意外と気が合うじゃあないか」
靡く艶やかな銀髪の隙間から覗く切れ長の両目が、ちらりとリ中佐の顔を覗き込む。
リ中佐は、その反抗的な目が心底気にいらなかった。

一行を乗せた車両は重慶市市内の繁華街にやってくると、政府要人向けの大それた
高級ホテルの正面入り口に停車した。
車のドアが開いてリ中佐が先に降りると、その背中をチエが呼び止める。
「レディをエスコートもせず車から降ろす気か?人民解放軍はマナーを知らんと見える」
心底意地の悪い表情でほくそ笑みながら、小さな手を差し出す異形の少女に、リ中佐は
苛立たしげな表情を浮かべ、その手を取った。
「とんだレディも居たものだ」
「これが日本のスタンダードだ、覚えておけ…」
チエは車から降りると同時に表情を和らげ、傍から見れば丸きり無害な美少女を演じはじめた。
だが少し離れて見てみれば、その周囲には常に黒服の男達が警戒につき、また向かいのビルの
窓の幾つかは、何者かの物影が常に彼女を監視しているのが垣間見えた。
チエのあらゆるセンサーは、彼ら全てを逃さず察知し、分析していた。

『敵地か』

AIで構成されたチエの意識から、本体ならば生まれ得ないはずの“囁き”は、文字通り
メッセージとなって日本の巨大モニターに表示された。
それを見た白衣の技術者達は、自分達の作った人造知性の意外性に感嘆の声を上げていたが、
主人であるサエキは、そんな彼らを心底冷めた目で見つめた。
『お前らが作ったんじゃねーよ、チエが自分でそうなったんだバーカ』
「これは、今夜は危ないかもしれませんね」
「はぁ?」
隣でスクリーンを眺めていたエージェントが、さも何でもない事かのように、そんな事を言った為、
サエキは明らさまに嫌そうな顔をした。
「最悪一戦交える事になるかもしれませんよ」
「そんな他人事みたいな」
「ははっ…ちゃんと心配してますし、心配いりませんよ〜」
「…日本語おかしいです」

本来彼らの暗号通信は、チエと日本の防衛省、及び密かに監視を続ける米軍の上層部にしか
届いていないはずだった。
しかしただ一つ例外が…血と汚濁の中でうっとりと空を見つめている、タイプ2557コハルの
AIには、以前防衛省から流出した暗号解析コードが残っていた。
「ははっ!先輩だぁ〜」
聞いた事等ないはずなのに、聞き覚えのある声。
知らないはずなのに、よく知っている名前。
以前全ての彼女が一つだった時、どうしようもなく大きな存在だった、あの先輩。
「そっかぁ〜、先輩の名前は、チエさんって言うんですね〜」
コハルは熱病に浮かれるような恍惚とした表情のまま、ギシギシと自らの筐体を上下させる。
その下で蠢いていたのは、まだあどけなさの残る少年兵士だった。
しかし、彼の体は明らかに異常だった。四肢が根元からもぎ取られていたのだ。
「うううぐぐぐ…助けて、母さん…しにだぐない…」
恐怖と苦痛に悶える少年の呻き声。だがコハルは、むしり取った彼の下着を口部に含むと、
また熱っぽい嬌声を洩らしながら、尚激しく腰を動かす。
ゆったりとしたフリルスカートの下では、鮮血に塗れた少年の怒張を、コハルの高性能
疑似生殖ユニットが銜え込み、不気味なモーター音と共にしごきあげていた。
「あぁ、あぁぁぁ、あはぁあああ〜〜〜〜」
正常だった頃のコハルが、自ら人間の男性を求めた事はなく、当然無理やり迫った事もあるはずはない。
しかし今の彼女は、自らが異常である事を確かめるかのように、半殺し状態の少年を嬲り犯していた。
「きもちいぃですかぁ、お客様ぁ〜…コハルはとってもぉ…んんっ!…幸せですぅ〜〜〜」
「やだ…やめで…じにだぐない……」
恐怖に強張った顔を必死に振りながら、少年は懇願する。
コハルは鎌首をもたげる蛇の如く彼の顔を間近に覗きこみ、艶めかしい黒髪でその視界を覆って、
暗い洞穴を思わせる、輝きのない瞳で見つめた。
少年は「ひぃぃ」と小さく悲鳴をあげる。
それに気を良くしたコハルが、また囁く。
「もう無駄ですよお客様ぁ〜、この怪我じゃぜ〜〜〜ったい助かりませんから、諦めてくださいね」
「やだぁ…しにたくないよぉ…母さんかあさんかあs」
「もうお母様には会えません。すぐに死がアナタを飲み込んで、跡形もなく噛み砕いてしまうから…
だからそうなる前にぃ…」
コハルは右手を指先までピンと伸ばし、手刀を形作ると…
「ぎゃひぃ!?いぎゃああぁああがあああああああぅっっっ!!」
少年の青白い腹部に、深く突き刺した。
少年の口から血の泡と共に、人間のものとは思えぬ叫び声が吹き出し、コハルの“中”では
少年の分身が大きく膨らみ、精を弾く。
死を間近に感じた肉体が、種を残そうと空しく足掻くかのように…
「そう…まだ生きている内に温かい内に、私を愉しませてくださいましお客様…ひひひっ」
体をビクビクと痙攣させる少年の瞳は、やがて光彩がゆるみ始め、表情筋も弛緩していく。
その最後の体温まで貪るように、コハルは少年の内臓を掻き回した。
ヌラヌラと血の滴る手を抜きとると、それを自らの顔に塗りたくり、また抑制の欠けた笑みを
浮かべて空を眺めた。
高高度を飛ぶ軍の偵察機を察知したコハルは、そのカメラによく映るように両手を広げる。
「あぁ先輩早く早くいらっしゃいまし、このおバカなコハルめを早く懲らしめに
はやくはやぐはやぐううううう!!!!」
もう直ぐ其処にまで近づく愛しき制裁者を焦がれ、廃棄物で築かれた城壁の中、狂気の姫は唄い続けた。