「じゃあ硝子さん、始めますよ」
「お願いね」
彼女の顔面にドングルを当てがい、PCのキーボードからパスワードを打ち込む。ドングルの青色LEDが4つ点灯してから暫くすると、目の下、耳、顎に黒い継ぎ目が現れた。そこへ樹脂製のヘラを慎重に差し込み、手応えを確認しつつカバーをめくっていく。時折、硝子さんが視線をこちらに向けて何かを言いたげにしているが、あえて無視する。
「よっ…と」
頬骨と顎の辺りを摘んでフェイスを外すと、チタン合金製の頭蓋フレームと歯茎、そして奇麗に並んでいる歯が露出した。鼻腔インテークや顎周りのビスを回し、口蓋周辺の頭蓋や顎のフレームカバーも取り外した。
「ええっと、口を開けてください」
「…」
「あのー…開けてもらわないと歯が見えないんですが」
「…」
「はいはい、わかりました…”あーん”してください」
ちょっと嬉しそうな視線をこちらに向けつつ、やっと硝子さんは口を開けてくれた。彼女の口蓋を構成しているのはSクラスでも滅多に見かけない、有機生体パーツだ。歯や歯茎だけにとどまらず、舌・喉に至るまで本物と見分けることは難しい。そんなものが、無機質でメカニカルなものの中に埋まっている…恐怖を覚える人もいると言われているが、僕にとっては全く問題ない。むしろ…いや、言わないでおこう。
「…硝子さん、食事後にきちんと歯を磨いてます?」
「…」
僕は硝子さんの顎の奥に、PCから伸びている小型コネクタを差し込んだ。
「これだったら喋れますよね」
「…ごめんなさい、最近歯磨きはちょっと…」
暫くの沈黙の後、PCのスピーカーから彼女の声が申し訳なさそうに漏れてきた。僕は無言のまま、マイクロカメラを仕込んだ細い棒を、彼女の口蓋にさし入れる。
「うわ、これは…」
デンタルミラーには、茶色く侵蝕された奥歯が2本映し出されていた。彼女の生体部品には本物の歯と全く同じ材質が使われており、痛覚センサーも人間と同じように配置されている。つまり、それは人間と同じく虫歯になる事を意味していた。
「そ、そんなに酷いの?」
「酷いも何も、こりゃ交換しないと駄目ですよ…」
「えー!?」
「困ったな、交換用の歯は今手元にないし、手に入れようにも中々見つからない品だし…」
「じゃ、じゃあ虫歯に繋がってる痛覚センサーを切断して…」
「この部分はデリケートだから、ここの設備だとすぐには無理です」
「明日の仕事、休めないのよ…何とかならない?」
「なることはなりますけど、使う工具はこれですよ?」
普段はパーツの整形に使っている歯医者用のリューターにドリルを取り付け、スイッチを入れた。子供の頃に聞き覚えのある、独特の高回転音が部屋に響き渡る。その音を聞いた硝子さんは、素早く口蓋を閉じた。
「…せめて、口蓋モジュールを外してから削るとか」
「それも時間かかるんですが…明日に間に合わせるなら、もう削るしかないですね。それか、痛みをこらえるか」
「うう〜」
「仕方ないですね、とっておきの方法を使いましょうか」
「とっておき?! なんでもいいから早くして!」
「んじゃ、目を閉じてください」
「…こう?」
「じゃ、いきますよ」
「一体何を…んきゃっ!?」
の質問を遮るように(実際は遮られないんだけど)、僕は硝子さんの口蓋に唇を押し当てた。彼女は手で僕を押し返そうとしたが、その手に僕の手をあわせるようにして彼女を押さえ込む。
「ちょっと太郎く…あっ…」
舌先で上下の歯茎ゆっくりと舐め回している内に、彼女の手の力が緩み始める。しばらくすると口蓋が開き、上下の歯の隙間から舌が出てきた…と、その瞬間に僕は唇を離した。
「!?」
「ここから先は、歯の治療が終わってからです」
「そ、そんな!」
「我が儘言ってると、どんどん時間が過ぎちゃいますよ」
「…わかったわよ!! 約束…守ってよ!?」
僕はにやりとなりそうなのを何とか我慢し、彼女の口へリューターを突っ込んだ…次の日、アパートの大家さんから一晩中響いていた悲鳴は何なのかを説明するハメになるのだが、今となっては笑い話だ。なにしろ、硝子さんの笑顔が見られるんだから。