「急にどうしたんだいね、秀ちゃん。学校の帰りかい。土曜日だから 早いんだね。うちの人はちょっと仕入れに行ってて、いないのよ」 と言いながら、およねは茶箪笥の上のラジオのスイッチを切り、秀子に 座布団を勧めたが、すでに秀子の思いつめたような表情から何かを悟って、 身構えていた。 「よいしょっ」 と、わざとらしく言って、長火鉢を挟んで秀子の対面に座ると、 「今日は馬鹿に冷え込むねえ」 と、あたりさわりのない話題をふった。  が、秀子はおよねに目を合わせず、じっと考えこんでいるような顔のままだ。  しかたない。およねは着物の衿をただし、 「秀ちゃん、どうしたんだい。何かあったのかい」 と改めて尋ねた。  秀子はちょっと顔をあげ、その大きな目をおよねのほうにむけて、何か言いかけ ようとしたが、すぐにまた下を向いてしまった。目に涙がたまっているように見えた。 「いったいどうしたのさ。伝治郎に・・・それともお八重さんに、何かあったのかい」  およねは傷つきやすい年頃の秀子をいたわるような声を出して、慎重に秀子の顔を うかがった。  秀子は、ううん、と左右に首をふった。 「いいえ。おばさん。・・・お父さんもお母さんも、とっても元気よ」 「そうかい。ちゃんとおまえにやさしくしてくれているかい」 「ええ、もちろん・・・お父さんもお母さんも、とってもわたしをかわいがってくれて・・・ やさしすぎるくらいよ」  そう言いながら、秀子は大きな目から涙を溢れさせ、それを指でぬぐった。  姪の秀子は家が同じ下谷で近いこともあって、昔から、およねのところには わが家同然に出入りをしていたし、両親が留守のときなどは、弟の芳三を一緒に およねの家のほうに帰って来て一緒に食事をとることもあったから、珍しい来訪者 というわけではない。  が、こんなに思いつめた表情で来たことも、来るや否や泣き出したこともなかった から、およねは正直、何をどうしたらいいものか皆目わからなかった。  およねは間をもたせるように、煙草入れから煙管を出し、火鉢の炭で火をつけると、 ほうっと煙を吐き出し、所在なく庭のほうに目をそらした。  曇った硝子戸の向こうでは、木々の葉がすっかり落ち、わずかにある柿の実の残りを ついばみに、スズメが何羽かさえずっている。  昨日までのあたたかさが嘘のように冷え込み、木枯らしがガタガタと硝子戸を揺らした。 「おばさん」  不意に秀子の呼ぶ声がしたので、あわてて 「ああ。はいはい、秀ちゃん」 と、笑顔をつくって秀子に向けた。  つばを飲み込むようにして、秀子が何か意を決した表情で、およねを凝視している。  秀子の大きな澄んだ目から逃れるように、火箸に手をのばしたおよねに、 「おばさん・・・今日はどうしても教えてほしいことがあるの」 と、秀子がはりつめた声で言う。 「ええ、ええ。いいですとも。おばさんでわかることならね」 「あのね・・・実はこれなんだけど・・・」  秀子が少しためらうようにうつむいてから、また顔をあげ、右手の手首のホックを 外し、セーラー服の袖をまくりあげた。 「これが何なのか、どういうことなのか、教えてほしいの」 と、秀子はまくった右腕をおよねのほうに見せた。  秀子の細い右腕の、ひじから先、幅にして二、三寸、長さにして四、五寸ほど、 すりむいたような傷が見える。  出血はなく、ただ肌の下から銀色の金属が、機械が顔をのぞかせている。 (あ・・・)  およねは動転してしまい、二の句が継げなくなった。 「・・・今日ね、学校で体操に時間に、わたし、転んじゃって・・・それで右ひじを ついたときにすりむいたから、後で手を見たら、何だか機械みたいなものが見えて・・・ わたし、何が何だかわからなくって・・・友達には見られないようにしたんだけど・・・」 「うん、うん」  およねは気まずい表情で相づちを打った。 「これって、おばさん・・・やっぱり機械でしょう?わたしの体の中に機械が入っている ってこと?じゃあ、わたし・・・人間じゃないってことなの?」  目に涙をためて秀子が言う。  ああ、ついに・・・ついに本人が気づくときが来てしまった。本当のことを教える 前に。・・・およねは軽いめまいを感じた。  どうごまかしたらいいだろう。いや、もうごまかせはしないだろう。秀子も高等 女学校の四年生になる。もう大人だ。  言葉を探してうろたえるおよねを捉えるように、秀子は目を離さず、およねを 凝視していた。 「おばさん・・・本当のことを教えて。本当のことが知りたいの。わたし、もう十七よ」 「そうだね・・・おまえももう大人だものね。おばさんの頃だったら、お嫁に行ってた 年だものね・・・」  秀子から眼をそらして、湯のみを自分のほうにたぐりよせ、ぬるくなったお茶を 飲み干した。  そして、膝に手を置いて、 「いつかはね、そう、おまえが女学校を卒業したら、そのときにでも、伝治郎とお八重さんは、 おまえに話すというつもりでいたんだよ」 と、およねはおっかなびっくりした様子で、言い訳するように話し始めたが、 「おまえがあんまりびっくりしないように、いつか落ち着いて話そう、でもどうやって 話そうかってね、おばさんもおじさんも、かねてから伝治郎たちと相談してたんだよ」 と、噛みしめるように言っているうちに、だんだん冷静さを取り戻してきた。 「わたし・・・お父さんとお母さんの子どもじゃなかったの?」  秀子の瞳は涙でいっぱいになっていた。  およねが苦渋の顔でうなずく。うなずかざるを得なかった。 「いいかい、秀坊や」 と、思わず秀子を小さい頃の呼び名で呼び、秀子の肩に手を置いた。 「たしかにね、秀ちゃんの生みの親はね、伝治郎とお八重さんではね、ないんだよ」 ゆっくり、一文節、一文節を区切るようにおよねは言った。 「おまえがもう気づいてしまったように、おまえはたしかに人間じゃない。 人間によって造られた機械だよ」  その言葉に秀子は蒼白になり、口をへの字に曲げて、顔をこわばらせた。 「誰が・・・誰がわたしを造ったの?」  秀子が心配げにおよねを見据える。  およねは一度しまった煙管をまた取り出し、刻み煙草を詰めると、 「伝治郎が子どものとき、つまり震災の前の、本所の家にいた頃にね、伝治郎の 尋常小学校のお友達だった人が、おまえの生みの親なんだよ」 と、秀子の頭をなでながら、やさしく説明を始めた。 「その人は、それはそれは頭のいい人でね、三中から一高に進んで、帝大で博士に なったんだ」 というおよねの説明では、すなわち「生みの親」は男性ということになるから、 やはり秀子は人間にあらず、ということになるしかない。  秀子はがっくりとうなだれた。 「でもね、その人・・・芹沢博士という人と伝治郎とはずーっと仲が良くて、 お互い全く違う道に進んでからも、親友同士で、しょっちゅう一緒に碁を打って いたものさ」  およねが煙管を口にくわえ、しみじみと思い出すように言った。 「その博士がわたしを造って・・・じゃ、どうしてわたしはお父さんの子になったの? 博士っていう人はどこに行っちゃったの?今、どこにいるの?」  不安そうな顔で矢継ぎ早に質問してくる秀子の頬にやさしく手をあて、 「ええ。それはね・・・」 と、いつもよりゆっくりした呼吸で、およねが話を続けた。  庭では落ち葉が風に吹かれてカサカサと転がり、隣家の三毛猫が軽やかな足取りで それをふみしめていた。 「芹沢博士がドイツ留学から帰って来た年の冬、ちょうど伝治郎とお八重さんが 結婚した年の冬にね、博士が結核にかかって、もう長くは生きられないって わかったとき、博士は伝治郎を療養所に呼んで・・・」 「・・・」 「それで、娘のことを頼むって、伝治郎に言ったんだよ」 「お父さんは・・・その・・・わたしのことを、その前から知っていたの?」  秀子の問いに、およねはかぶりをふった。 「いいえ。全くそのときに初めて知ったことだったんだよ」 と言って、煙管の煙を吐き、記憶をたぐりよせるようにして、目をつぶった。 「芹沢博士が自分の子どもとして機械人間を造ったということ、自分が死んだら、 その機械人間を引き取って、伝治郎たちの子どもにして育ててほしいということを、 伝治郎に告げて・・・それで、伝治郎も親友の最後の頼みだからっていうんで、 よくわからないままにとにかく引き取って、自分の家に連れて帰って来た・・・」 「それが・・・わたし?」  秀子が泣きそうな顔になって、必死におよねを見つめて言った。 「そう・・・」  およねがうなずく。 「機械、人間・・・・・・機械人間・・・」  秀子が眼尻に指をあて、悲しそうに反芻して涙を拭いた。 「そう・・・たしか、何て言うんだっけねえ。横文字ではロボットとかいうらしい んだけどね・・・おばさんは、そんなハイカラな言葉はよくわからないけどね・・・ 残念だけど、秀ちゃん、これは本当の話なんだよ」 「じゃあ・・・わたしはお父さんとお母さんの本当の子どもじゃなかったのね。 芳三だけがお父さんとお母さんの子で・・・わたしは機械人間だったのね」  秀子がしゃくり上げて涙をこぼした。  やっぱり言わないほうがよかったんだろうか。  およねは後悔したが、心を引き締めて、気を取り直した。  いつかは言わなければいけないことだったのだと。  およねは軽く咳ばらいをして、膝立ちになり、秀子の隣に移って、 「でもね、秀ちゃん」 と、そっと秀子の肩を抱いた。 「知っているだろう。伝治郎とお八重さんが、おまえのことをどんなに大事に しているか、どんなにかわいがっているか。芳三ばっかりかわいがって、おまえの ことは冷たく扱って、なんてことは一度だってなかっただろう。おまえも芳三も 伝治郎たちにとって、どっちも大事なわが子なんだもの」  およねは袂から手ぬぐいを出して、秀子の双眸をぬぐってやった。 「・・・ええ」  秀子が掌の底で涙を拭きつつ、しゃくり上げとともにうなずいた。 「とっても・・・とってもいいお父さんとお母さんよ」 「そうだろう」  およねが秀子の手を握ってから、秀子の黒髪をポンポンとやさしく叩いた。 「半年にいっぺん、帝大の、芹沢博士の門弟のところに、おまえの知らない間に おまえを連れて行ってね、それで新しい、大きな体にしてもらうたび、伝治郎は 姉さん、うちの秀坊がまた大きくなったんだぞ、うちの秀坊が・・・って、 そりゃあねえ、うれしそうに私に自慢したもんだよ」  およねの言葉に、秀子が涙をはらって、こそばゆそうに小さくうなずき、微笑んだ。 「わたし・・・やっぱり、お父さんとお母さんの子どもよ」 「そうそう。そうだよ、秀ちゃん」  およねがにっこりとして、よしよしと秀子の頭をなでたら、秀子は 「おばさん。わたし、もう大人よ」 と、ふくれっつらをした。 「ああ、そうだったねえ。ごめんよ。つい話しているうちに、秀坊の小さかった 頃のことを思い出してねえ」 と、およねがまた秀子を幼い頃の呼び名で呼んだので、秀子は 「もう。おばさんったら。知らないっ!」 と、笑いながらそっぽを向いた。  いつのまにか厚い雲が流れ去って、庭には小春日和の穏やかな日差しが降り注ぎ、 隣の三毛が陽だまりで大きなあくびをした。

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