穏やかに一日が終わる。
ビルの谷間に陽が落ちていく。 こんなにのんびりとした気分で夕日を眺めることができるなんてな。
まあ、あまりのんびりともしていられないのが本当のところなんだが。
電気躯体専門の街医者としては、客の入りが悪いと生活に困る。
このままでは来週には食い扶持にも事欠く。
それでも、あの頃よりはマシなもんさ……。

机の引き出しからアイリッシュウイスキーのビンを出して口をつける。
軽い飲み口の琥珀色の液体が空腹を訴える粘膜を焼き付ける。

「ふう……」

窓に腰掛けて街行く人波を眺める。 ヒトにまぎれて電気躯体がせわしなく歩いている。
ヒトの為に生み出され、ヒトのために生き、ヒトの為に死んでいく憐れな存在。
そんなやつらでも、ヒトの生活を脅かさない限り自己の権利を主張できるようになったなんて。
あの、酷い戦役のおかげか……。

ああ、あれは酷い戦いだった……。
紛争、戦役、言い方はいろいろ与えられたが、なんてことはない。
殺し合いを電気躯体に預けてヒトは高みの見物を決め込んだ代理戦争。
戦火は拡大し、ヒトの生活を灰に還した頃にようやく事態の重さに気がついた政治屋があわてて休戦交渉に入った。

全てのヒトが高みの見物をしていたかというと、そうでもない。
戦争行為は兵器だけでは成り立たないから。 作戦参謀、整備のメカニックマン、輸送隊、多くのヒトも戦線にいたものさ。
とっさの判断と瞬発力は電気躯体では不十分。 肉体的強度を別にすれば、ヒトというものは便利な機械の一種らしい。  迷惑な話だ。

戦線に送り込まれたヒトたちも、精神を病んで壊れていった奴も多かった。 普通の神経では耐えられないわな。 あれは……。
俺も、技術屋として戦地に送られて、何度も何度も……直しても直しても……。

思い出すのはよそう

酒が不味くなる。




コンコン。
控えめなノックに気がついたのは空があかね色に染まった頃だった。
「開いてるよ」

キィ。
「失礼します」
入ってきたのは美形のシビリアンモデル。肩口で艶やかな黒髪を切り揃えたクールな顔立ち。
どこかの企業の秘書といった風情だな。
しかし、この躯体には不似合いな立ち居振る舞いは……コマンダー?

「これはこれは、綺麗なお嬢さんがいらしたものだ。 すまないが今日はもう店じまいでね。 ご覧の通り、酒も入っている。
 あんたにどんな症状があるのか知らないが、今日は適切な処置ができそうにない。 明日にしてもらえないだろうか」
見せ付けるようにウイスキーをあおる。
昔のことを思い出して鬱になりかけたばかりだ。 これ以上、あの頃のことを匂わせる躯体は見たくない。

「Dr.ハル、私をお忘れですか? かつて、貴方の技術に救われたモノです。 仕方ないのかもしれませんね。
 私にとっては たった一人の貴方でも、貴方にとっては無数にあったモノの一つでしかなかったでしょうから」
そう言って、俯いて少し寂しそうに微笑むクールレディ。
無言で愛想笑いを続ける俺に向き直り口を開く。

「Dr.ハル、一日で300体の電気兵士をハンガーアウトした伝説の技師。
 工具を振り回しながら落ちる涙を拭いもせずに喚き散らしていた貴方の姿を今でも覚えています」
まさか、今になって当時を知る電気躯体と再会とはね。 しかも、ご丁寧に俺が壊れていた頃のことを……。

「それはそれは、君のような美人に覚えていてもらえたなんて光栄だね。 でも、生憎だがその当時の記憶はあいまいなんだ。
 それは本当に俺だったのかい? 当時、ハンガーには技術屋が何人もいた。 誰かと人違いなんじゃないか。

 ちなみに、君の記憶にある俺は 何て喚いていたんだ?」
驚いたように目を見開くレディ。 クールらしからぬキュートな顔にくらりとする。 酒のせいだけじゃなさそうだ。

「そうですか……確かに、辛い思い出かも知れませんね。 貴方の脳が覚えていることを拒絶していても、仕方の無いことかも知れません。
 でも、戦闘躯体を破壊されてオブジェのように頭と脊髄だけの姿でぶら下げられた数千体の電気兵士達は全て貴方の叫びをメモリーに
 刻み込んだのです。 貴方が本気で私たちに愛情を注いでくれていたことを、皆が理解していたのです。

 『チクショー! 足りねぇっ! 足りねぇんだよっ! 機材もスタッフも! こんなんでどうしろってんだっ!』
 『クソッ! 直してやる……直してやるぞお前らっ! 一人残らず直してやるからなっ!』
 『なんでだーっ! なぜ壊れる! なぜ壊されてくるんだっ! 直しても、直してもキリがねぇっ!』
 『ちくしょー……ちくしょう……』
 『フザケンナクソヤローっ! あいつらを唯の兵器と思うなっ! 俺たちと何も変わらない意思を持ってるんだぜっ! 唯の、唯の兵器が欲しかったのなら、
  最初から意思なんて持たせなきゃよかったろうがっ!』
 『バカカアンタっ! ミサイルの弾頭に奴らを取り付けろだとっ! 脳みそ膿んでんじゃねーか? そこに座れっ、お前の頭を切り落としてミサイルに付けてくれるわっ!』

 もっと、お聞かせいたしましょうか?
 上官に逆らって、歯向かって、無事では済まないだろうとは思っていましたが……」

本当に、よく覚えているもんだ。 身体から力が抜けて、椅子に沈み込む。
目が廻るのは酒のせいか、記憶がロールバックされるせいか……
目から熱いものが流れてくるのはなぜだ? 情緒不安定な小娘でもあるまいに、糞っ。
まったく、らしくない。

「戦いが終わり、国に復員してからというもの。 私たちの扱いが大きく変わり、多くの仲間たちがヒトと同じような生活を与えられました。
 戦前からは想像もつかないほどです。 私も、とある企業の御曹司付の秘書兼慰安パートナーで生計を立てていました」
伏し目がちに彼女が呟く。 憂いを帯びた表情を出せるようになったとは、最近の技術の進歩か……彼女のアイデンティティか。

「いいことじゃないか。 不幸せには見えないぜ。 生きる目的があって、自分以外の誰かに必要とされるなんて。素晴らしいことさ。
 今時は、ヒトだって そこまで優遇されている奴は多くない。 目的も無く、誰にも必要とされず、路地裏で人知れず死んで逝く奴だって多いもんさ」
努めて陽気に言ってみる。 暇な街医者なんて、誰にも必要とされていない筆頭だ。 自分の言葉に傷つく。

「生きている気がしないのですよ」
一段と声を張り、目を見開いて彼女は言った。

「私たちが生み出された目的は戦闘です。 普通のシビリアンと違い、私たちは生まれながらに相手を破壊することを目的にされました。
 決して 毎朝のモーニングコーヒーの香りを気にしたり、誰かの好みを気にして口紅の色を変えたり、とっさの時に備えて下着に気を使ったり、
 ベッドに誘われたときに甘い声が出せるように新しいプログラムをインストールしたりする為ではないのですっ!」

「……そ、そいつぁ、たいへんだったな」
長く彼ら、彼女らと付き合っているが、用途外使用に悩むなんて初めて知ったな。 もしかしたら、学会に発表できる話題かもしれん。

いや、効率の良い作戦遂行の為にヒトの思考に極限まで近く造られた彼らのAIのことだ。
単なる学習型を超えて、自己進化を始めたとすれば、ヒトと同じフィーリングを獲得する固体が現れても不思議は無いな。
ましてや、自分が言った言葉の意味に気がついて顔を赤くして照れる電気秘書なんて、可愛いじゃないか。 俺がパートナーにしたいくらいだ。
まあ、それはいいとして。

「生み出された目的と違うことをしては、自己存在の矛盾を解決できなくて辛いと?」
冷静に声を掛ける。 さっきまでの脱力感も、熱さもどこかへいってしまった。 自分の目と耳が技術者のそれになっている自覚がある。

「戦場から戻った多くの仲間は現在の生活に馴染んでいます。 平穏のなかに自分の居場所を確保して生きる喜びを得たモノは多いです。
 しかし、私と同じように今の生活に違和感を感じているモノも少なくないのです。
 思い出を美化しているわけでは無いのですが、あの頃の、あの戦場音楽の鳴り響く戦地にこそ、自分の生きる目的があると。
 そう思っているモノがいます」
興奮を落ち着かせるように、深く息を吸い込み、放熱を繰り返す。 部屋の温度が上がった気がしたのは、気のせいではないだろう。

「いまの暮らしはどうする? 聞いた話では、君のオーナーが君の思いをかなえることは無さそうだが。 電気躯体といえども、生活の糧は必要だぜ。
 日々のメンテナンスにも費用はかかるんだ。勤労は生きるための義務だぞ」
諭すように話しかけてみるが、この目は聞き入れそうにないな。 さて、何を考えている?

「実は、オーナーには三行半を突きつけてまいりました。 今の私は住所不定無職の躯体です。 今の私を保護する法律はあっても、それを守ってくれるヒトはいません。
 お好きになさってくれて構わないのですよ。 私のシビルモデルの躯体も追加インストールしたプログラムも、ヒトの男性を悦ばせるには十分な性能がありますから」
そう言いながら、椅子の前に膝をつきファスナーを唇で咥えておろしだす。

「何が目的だ? 医者に保護を求めている目じゃないな。 春をひさいで生きていくつもりでも無い。 何を企んでいる?」
窓の隙間から吹き込んだ風が、彼女の前髪を揺らす。 強い意志を眼差しから感じる。

「ミッションがあります。 ヒトはもちろん、現状に満足している仲間にも判らないネットワーク経由で募集がかけられています」
そんなものがあるなんてな。 まったく、世界は不思議に満ちている。 自分が知覚している世間なんて狭いものだ。

「テロでもやらかすつもりか? だったら、行かせる訳にはいかんぞ。 力づくでも止めてやる」
こちらも、強い意志を眼差しに込めて見おろす。 万が一のときは、しんどいことになるな。

「かの国でテロが計画されています。 私に誘いが掛けられたのは……それに対する、カウンターです。 非公式なガバメントオーダーなんですよ。
 いまの政府は私たちのような外れ者の存在を把握しています。 そのせいで犯罪発生率が増加していることも。
 フラストレーションが爆発する前に、生きる場所を提供しようというらしいです。 秘密裏のネットワークに非公式に介入されたので、仲間が追跡して情報の出所をハックしたところ、
 ソースは確かなものでした。 それも政治というものらしいです」
事も無げに淡々と語る。 なるほど、納得できる話だ。 信用する、しないは別の話だが。

「ふう、それで、オーナーの元を離れて、俺のところを訪ねた目的は? 昔を懐かしむためでもあるまい」
顔を逸らし、天井を見上げて彼女の言葉を待つ。 退屈を持て余していたら、とんでもない話が舞い込んできたものだ。

「貴方を スカウトにきたのですよ、Dr.ハル。 私と私の部下を任せられるのは貴方しかいないの。 貴方しかいないの。 貴方じゃなきゃダメなの。 お願いよ、Dr.ハ―」
「駄目だ」
彼女の言葉を遮る。 まったく、思いもかけない話で驚いたぜ。

「今の俺は昔の俺じゃない。 腕も情熱も錆付いちまった。 あの戦争で懲りたんだよ。 君にとっては戦場が恋しいものかもしれんが、俺にとっては気が狂うほど嫌なところでしかない。もう、い―」
「お願いよ、ハル。 貴方しかいないの。 だからこそ私は、代償としてでも貴方に抱かれようと……」
今度は俺の言葉が遮られた。 しかも、スカウトなのか口説かれているのか判らなくなってきている。 これが恋愛話でないことが残念だ。

「すまないな。それこそ無理な話だ。 俺の男性は あの戦争以来、機能しない。 復員してからはさっぱりなんだ。 俺に、色仕掛けは通用しないぜ」
「よくある症例ですね。 任せて下さい。 私の性能は伊達じゃないですから」
ファスナーを下ろされ、ベルトを外され、パンツを脱がされて下半身が露になった俺は彼女の奉仕を受けていた。
彼女の舌と口内粘膜の感触は 本来であればめくるめく快楽を与えてくれたのだろうが、機能しない男性自身にとってはマッサージ程度のものでしかない。
舐める、吸う、噛む、与えられる刺激に何の反応も無い。 睾丸を揉まれ、口にふくまれ、舐め上げられる。 これはこれで気持ちよかったが、竿はぴくりともしない。
足を上げさせられ、まるでソノ時の女の子みたいな格好をさせられる。 ソコを彼女の舌で愛撫される。 皺の一本一本をなぞるように丁寧に舐められ、擬似唾液でヒタヒタにされる。
ふうっと息を吹きかけられて、ソコがひくひくするのが判る。 ああ、女の子ってこういう気分なんだな。 判ったような判らないようなことが頭の中に浮かぶ。

ヌプリ
と、彼女の舌が侵入してきた。 ウネウネと動きながら滑らかに摩擦の刺激を受けて思わず声をあげる。 いかん、自分のあえぎ声なんて聞くもんじゃない。
腹の中で舌が蠢いて、やがてとんでもない快感を得られるところを見つけられた。 いかん、これはいかんぞ。 うあ、いかん、いか――
意識がホワイトアウトする。 何も考えられない。 何も。


数分後、意識が戻ると彼女が沈痛な顔をしていた。

「申し訳ございません。 大きなことを言っておきながら、私は男性機能を回復させることができませんでした」

「い、いや、気にしないでくれ。 俺も気にしないから。 それでも、素晴らしい快感だったよ。 あの感触が、アレか。 まあ、驚いたよ」
露になっていたはずの下半身はキチンと後始末がなされ、まるで何事もなかったかのような佇まいだった。

「Dr.ハル、それでも私は本気です。 貴方の人柄と技術が欲しいのです。 本日はこれでおいとまいたしますが、もし宜しければ ここに連絡を下さい。
 私がお迎えに参ります。 貴方は身体一つで来て頂ければよいのです。 期待して待っています。 では、失礼します」

キィ、パタン。

思わぬ闖入者で驚いたよ。 普通に生活していたら聞けない話しまで聞けた。 ふう、なんか疲れちまった。
デスクの上のウイスキーをあおる。 喉が渇いていた。 グビグビと胃に流し込まれる琥珀色の液体が、気持ちに落ち着きを与えてくれた。

ミッション、スカウト、本当は その言葉が聞こえた時に胸が躍っていた。
精神が壊れるような思いをしていて尚、俺は あの充実感を欲していた。

「生きている気がしないのですよ」
彼女の叫びは俺の叫びでもあったのだ。
「思い出を美化しているわけでは無いのですが、あの頃の、あの戦場音楽の鳴り響く戦地にこそ、自分の生きる目的があると。
 そう思っているモノがいます」
技術者として、自分の腕を思う存分に揮える場所があることは、ある意味では幸せなのだ。

彼女が置いていった名刺を手に取る。 彼女が付けていた香りがした。


ド ッ ク ン


ん?


ど っ く ん


おや? なんだ? この感じは?

気がつくと、俺の男性が痛いほどに凛凛と怒張していた。 なんだこれは? 最後にこれを見たのは復員前に戦地でWACが慰安サービスをしてくれて以来だ。
娑婆に戻ってから、何度も試しても駄目だったというのに。 現に、ついさっきも役に立たなかったではないか。

ギン、ぎん、ぎんっ!

と、自分のなかに湧き上がる何かを代理主張している自分自身を持て余す。 どうせなら、必要なときに そうなってくれよ……。
物言わぬ分身に恨み言を呟く。

思い出すまいとしていた戦場。 その空気を実際に思い出してみると、頭では無く身体が興奮している。 否、頭も期待しているのだ。
胸の鼓動が激しいのは自分の奥底の願望を表しているに過ぎない。

因果なものだ。 戦場のなかでは平穏を望み、平穏のなかでは戦場を望む。
オイルと溶接粉塵の臭い、焼けた金属の熱気が周囲の空気をイオン化させるムッとした空気。
爆音と怒号と喧騒。
そんな最中にも訪れるひと時の慰安。 女の柔肌とむせ返るようなフェロモンの香りは男の本能を刺激するには十分だった。
闘争と生殖。 相手がWACでも電気躯体でも、自分を優しく包んでくれる感触はささくれた気分を癒してくれたものだった。

当時のことを思い出しながら自慰に耽る。 ああ、そうだ。 悪くない。

久しぶりの射精は失っていた何かを補填してくれたような気がした。
そして、さっき部屋を出て行った彼女の肢体を思い出させた。
そういえば、かなり熱く口説かれたっけ。 彼女の髪、顔、手、口、舌の感触が蘇る。
よし、彼女に乗ってみようか。 話にも、身体にも。

熱く潤んだ瞳を思い出しながら電話のボタンを押す。 少し指先が震えていた。 案外、微笑ましい奴だったんだな、俺って。
自嘲気味にニヤついていると彼女が電話に出た。

「ああ、俺だ。 集合の場所と時間は? もし、よかったら、迎えに来てくれないか? ああ、口紅は薄いピンク、下着は白のレースにしてくれ。気を使わなくてもいいぞ――」






その後、彼らがどこへ行き、どうなったか知る者はいなかった。
ある日のTVニュースが国境付近の山岳で山火事が起きたことを伝えることがあったが、すぐに鎮火された為、話題になることもなかった。
相変わらず、世間は平穏だったが、電気躯体の市民が国境の方角を眺めて悲しい顔をしている姿を よく見かけるようになった。

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